四、pillar
巡回路を渡ってからしばらくは、兄弟たちに大きな困難はなかった。
巣のある地域とは違って、巡回路から西は崩壊していない建物が多く、身を隠しながらの移動が比較的容易かったからだ。
「この辺はなんで建物がたくさん残ってるの?」
自分たちを囲むようにそびえる建造物を、物珍し気に見上げながらスシシは兄に訊ねた。
「こっちは上層や天蓋があまり崩れてないからな」
カハルは周囲に注意を払いつつ弟に答えた。高い建物が多いということは、身を隠しやすいが同時に自動機械が近くにいても気付きにくい。特に空からの監視にいきなり出くわす危険性が高くなる。
「逆に言えば、これから崩れ落ちてくる可能性があるってことだ」
「え……」
カハルの言葉にスシシは身を縮こませる。兄弟は天蓋の崩落で父を失っているのだ。
「でも今回は上層が残っていることは幸いだ」
こわばった弟の背中を、カハルはぽんと叩いた。
「上層があるってことは、まだあれが残っているはずだからな」
「あれって?」
「柱塔だよ。地図によればもうじき見えてくるはずだ」
都市構造群は、地域にもよるが、数層の階層構造を持つ。
階層間を行き来するには――当時はもっとあったろうが――二つの経路がある。
一つは地区を区切る内壁沿いに設置された、層間路と呼ばれる坂路や大階段。もう一つは、複数の層を貫く柱塔と呼ばれる柱状の建造物だ。
カハルはこの先のルート上の、地図には記されていない現在の地形や自動機械の状況を、高い場所からあらかじめ確認しておきたいと考えていた。
しかしルート上に内壁はなく、また幅の広い大階段は自動機械が利用することも多い。だから柱塔を利用したかった。柱塔ならば、大きな自動機械が入って来ることはない。それに柱塔は多くの人間が利用していたこともあって、複数の施設を兼ねていることが多い。そういった場所にはオープンな端末がある可能性が高かった。認証なしで使える端末だったら、そこでしか得られない情報も掴めるかもしれない。
「ほら、あれだ」
カハルが指し示す先に、往時の姿を維持し続ける周囲の建物たちを従えるように、円柱状の構造物が、上層の基盤となる天井を支えるようにそびえ立っていた。
スシシは「うわあ」と感嘆の声をあげた。
「あれが柱塔……。あんな高い建物初めて見たよ。お兄ちゃんは見たことあるの?」
「一度だけ、父さんに連れられて上層に行った時に登ったことがある。見たところ、その時のと違いはなさそうだ。天井のすぐ下に、少し広がっていてガラスが張られているところがあるだろ? あそから外が見える。これから向かう場所だ」
「あんな高いところまで!」
上層へ行ったことのないスシシは目を輝かせた。
「怖いか?」
「ううん。でも初めてだからわかんない」
「ははは。正直だな」
柱塔自体の太さは直径十メートルほどだが、基部は円錐状に大きく広がっていて、地上階は四方に大きなエントランスが開いていた。
「自動機械はいないようだな」
チビスケたちを利用しながら内部に入った兄弟は、周囲の安全を確認してひとまずホッとした。
「けれども五階辺りまでは広いから、油断はできないな」
「小さな部屋がいっぱいあるね」
スシシは興味深げに周囲を見渡す。
柱塔基部の内部は吹き抜けの広い回廊になっていて、その両側に元は店舗であったろう仕切りが残っている。しかし往時を偲ばせるようなものは、もう何も残っていなかった。
「めぼしいものはとっくに持っていかれてるけど、もう長いこと人が入ったことはなさそうだ。奥へ行くぞ」
回廊を横切って、中心部へ向かう通路を進むと、円形の広場に出た。
「一階に端末はなさそうだな」
「アレ何?」
広場の中心にそびえる、柱塔を模したかのような太い柱状の施設があった。四角い扉が一つだけある。
「あれは昇降機だ。中に入ると自動で上に行ける機械だよ。お、電源はまだ通ってるようだぞ」
ドアに表示されてる電光のサインを見止めて、カハルは嬉しそうに言う。
「あれに乗っていくの?」
「いいや。動くだろうけど、古すぎる。途中で壊れて落っこちたら大変なことになる」
「うわあ……じゃあどうやって上に?」
「普通の方法だよ。あれ」
昇降機の柱の裏手から、装飾のついた広い階段が二階へ続いていた。
「けっこう大変だぞ。スシシは残るか?」
スシシはぶんぶんと首を振った。
「ま、一気に登るのは俺もしんどいから、休み休み行こう。チビスケは四体ほど連れてくか」
「全員じゃないの?」
「上の方は柱塔の幅に合わせて階段も細くなるんだ。念のため柱塔にあまり負担をかけたくない。階段が崩れた時のために、お前もワイヤーはすぐに出せるようにしておけよ」
「……そんなに危ないの?」
「念のためだって言ってるだろ。都市構造群の建物は俺たちの体重ぐらいでなんとかなるものじゃない。天蓋が落ちるとか、自動機械が攻撃するとかない限りはな」
最後にカハルは「たぶんな」と付け足した。
居残り組みが見送る中、スシシが選んだチビスケを先行させ、兄弟は階段を上り始めた。
七階まである基部を過ぎると、階段は一気に簡素になって昇降機の周囲をせわしなくジグザクと折り返して登るようになった。
その間、数階ごとに窓のある休憩所のようなスペースがある以外は施設らしいものもない。
「うわあ高い」
スシシが最初の休憩スペースの窓から外を覗いて目を輝かせた。
「やっと基部を過ぎたところだぞ。まだ全体の四分の一ぐらいだ。怖いか?」
兄の問いに首を強く振るスシシ。
「面白いよ! これからどんどん遠くが見えるようになるんだね」
「頼もしいな」
初めて見る景色に興奮気味の弟に、カハルは笑みをこぼす。
「上層ってどんな感じ?」
「基盤層とたいして変わんないよ。でもあまり大きな建物はないかな。あとは自動機械がちょっと多いくらいだ」
「へー。自動機械は怖いけど、一回くらいは見てみたいな」
「展望室のすぐ上だし、チビスケに確認させて安全そうだったら、ちょっと覗くくらいはできるぞ」
カハルの提案にスシシは少し考える。
「うーん。見る時はちゃんと見てみたいから今回はいいや。でもこの遠征の後もいろんなところを見てみたいな。知らないところばっかりだから」
「俺だって知らないところばかりだ。父さんがいれば、もっといろんなところに連れてってもらえたかもな」
「虚無地帯とか?」
スシシの言葉にカハルは思わず振り返った。
「いきなりすごいところきたな」
「どんなところなの?」
「たしか……」
カハルは父親の言葉を思い出す。
「昔のままの場所だって話だ。都市構造群が地面を覆っていないどころか、人工物がほとんどなくて、人間以外の生き物を残してるんだってさ。だから正式には『保全地区』って言うんだ」
「生き物! 鳥以外にも?」
「そうだな。俺もその辺はよく知らないけど」
今の都市にはほとんど生き物がいない。せいぜいが瓦礫を這う小さな虫ぐらい。虚無地帯から迷い込んできた動物は自動機械によって捕獲され、外に戻される。自動機械が対象としない小さな動物は、侵入したとしても食料を求める人間に狩りつくされてしまう。
「動物以外にも植物もたくさん生えているらしい。木っていう高くて硬い植物もあるってさ」
都市の植物相もまた貧弱で、雑草ですら希少な存在だった。
カハルの言葉に都市の外を夢想するスシシ。
「……僕たちも、チビスケについていけないのかな。あの子たちと一緒なら安全じゃん」
「無理だな」
カハルはきっぱりと言う。
「都市の外には自動機械はいないらしいけど、けして安全なわけじゃない」
断言されて、スシシは少し口をとがらせた。
「でも昔はそういうところで人間は暮らしてたんでしょ」
弟の気持ちをおもんばかって、頭をなでるカハル。
「昔はな。でも都市に頼るしかない今の人間には過酷な世界らしい。自然の中で生きるには、都市で生きるのとは別の知恵と力が必要なんだって。それがないとすぐ死んでしまうって」
たとえば――都市構造群に隠れ住む人の中で、火のつけ方さえ知っているものごくわずかだ。それは高温の熱源を自動機械に探知されてしまうため、火の使用が制限されたことでほとんど淘汰された知恵だからだ。彼らは調理という概念すら希薄だ。多くの食料は都市に残された加工品であり、たまに捕獲された動物もそのまま食べている有様だ。都市での生存に特化した結果、彼らには自然を生き抜く知恵が継承されていないのだった。
「だからみんな虚無地帯だけでなく都市の外を自動機械以上に怖がってる。そんな話をしたがるのはお前くらいだよ」
「お兄ちゃんは?」
「俺は父さんから聞いてたから怖いとは思わないけど、お前ほどに興味は持てないよ。父さんだって虚無地帯は都市から見たことあるだけだって言ってたし、行きたいなんて思ってもなかったんじゃないかな」
「そうなんだ……」
「だから、これまで人間が都市の外に出たって話も、実際の虚無地帯がどんなところなのかってのも、噂でさえ聞いたことがない。誰も行ってないかはわからないけど、それって、生きて戻ってきた人間もいないってことだろ。だけどもしかしたら――」
カハルは何かを言いかけ、思いとどまった。その可能性はまだ薄いものだったからだ。見当違いの希望を抱かせて弟をがっかりさせたくなかった。
「どうしたの?」
「いや……先のことより、今はできることを一つずつやっていこう。まずはこの柱塔で状況を確認して――」
「“キン”を見つけることだね」
「ああ、そうだ」
兄弟はそんな風に話しながら、時折休みを入れつつもひたすら柱塔を登り続け、展望室へとたどりついた。
「うわあ、すごい」
スシシは足の疲れも忘れて、窓際へ駆けだした。展望室は昇降機をぐるりと囲む広い回廊になっていて、外壁は大きなガラスが張り巡らされている。
「西はあっちか」
カハルは地図を出し、外の地形と見比べる。
「建物がなくなって開けているあたりは天蓋か上層が落ちているところだな。肉眼で見える範囲では、ほかに変化はなさそうだ」
「でも向こうの方、天井がないような……」
スシシが目を凝らす。たしかに西の一定範囲から先は上層の天井も天蓋も途切れていて、剥き出しの白い空が続いていた。
「上層はあそこまでしかないんだ。そこから先の基盤は、都市の中でも比較的新しく作られたものらしい。そんで、俺たちが進むルート上の、天井が終わるところの下を見てみろ」
カハルは西の方角を指し示し、その指をまっすぐ下に傾けた。
「なんか丸いのがあるね」
ここからでもはっきりと、基盤の上に乗る円形の構造物が見えた。距離からすると相当な大きさだということがスシシにもわかった。
「お父さんから聞いたことがある。都市には外からの玄関口にあたる「ターミナル」っていう施設があるって。そこは都市内の交通の起点にもなっていたんだ。たぶんあそこがそれだよ」
カハルの言葉に、はっと気づいて地図に目をやる。
「そうか、地図のこの丸いところだね。ということは、ここがチビスケたちとお別れするところか……」
カハルがチビスケを軽く叩く。
「ああ、俺たちとこいつらの分岐点だ。そこからは俺たちだけで行かなくちゃならない。でも地図によればあそこからたくさんの地下通路が走っているはずだから、その入口を見つけて入ってしまえばあとは俺たちも安全に目的地につけるはずだ」
スシシはそこで、出発前に計画していたあることを思い出した。
「ということは『あの子たち』ともあそこで合流するんだね」
「ターミナルにあれがあるっていう予想が当たっていればな」
「きっとうまくいくよ。でもあの子たちが来なかったらどうしよう」
「想定通りならやつらは先についている。いなかったら予想が外れたってことだ。その場合でもあいつらは大丈夫だって言ってたんだろ?」
確かにスシシは『あの子たち』に何度も確認した。嘘をつかない彼らの答えはそのたびに『○』だった。
「でも大丈夫かなあ……」
無意識のうちに背後のテーブルに腰かけて、足ぶらぶらさせるスシシ。
「……って、おまえ何に座ってるんだ」
カハルがスシシの乗ったテーブルに怪訝な顔を向けた。初めは無地だった白い天板の表面に、文字や記号が浮かびだしたからだ。
「え?なにこれ」
驚いてスシシが飛び降りた。カハルは天板を覗き込んで「ああ」と感嘆の声をあげた。
「端末だ! これはテーブルの表面全部がディスプレイパネルなんだ」
「へえ、これも端末なのか」
巣の端末とはだいぶ違う様子にスシシは半信半疑でいる。
「俺もこんな形は初めて見たけど……ほら、やりかたはアクセスルームのとおんなじだ」
そう言ってカハルが天板をなでて操作し始めた。手の動きへの反応は確かに巣の端末と違いはない。だがカハルは少し首をひねる。
「……でも、出てくる表示がだいぶ違うな。アクセスルームのより新しいものだからか?」
UIやメニューの内容が大きく違っていることに違和感を覚えるカハル。
「これはもしかして、ネットワークには繋がっていないのかもしれないな」
「え、それじゃあ何もわからないんじゃ」
「いや、データは都市のネットワークだけにあるわけじゃない。これはこの柱塔独自のローカルデータに繋がっているのかも」
そう言うと、メニューを開いてアクセス状況を確認しながら、自分の予想が当たっていることを確信する。
「それはダメってこと? いいってこと?」
「調べてみないことにはわからないな。でも、場合によってはむしろネットワークでは得られない情報もあるかも。えーっと、これが柱塔に関する案内で……お、この地区に関する情報があるぞ。この簡略地図から行けるのか? これがターミナルだから……やった」
あれこれ操作した末に、カハルはターミナルの案内図にたどりついた。地下階層の図を見て、小さく「よし」とつぶやく。
「やはり地下通路網がある。入口もたくさんあるぞ。なるほど。この辺りから入ればいいいか。見ろスシシ、やはりターミナルの地下はだいぶ下まであるみたいだ。何も書かれてないけど、これは希望が持てそうだぞ」
それを聞いてスシシの顔も明るくなる。
「じゃああの子たちも来れるんだね」
「そして西側は……おお、結構先まで地下通路で行けそうだ。あそこまで目と鼻の先じゃないか」
兄弟の地図に、カハルは次々と新たな情報を描き写していった。
「あと知りたいのはやはり「博物館」だけど……こうか? お、あるぞ! やっぱりネットワークのとは違う感じだな。図が多くて見やすいけど、文字情報が少ない。これが構造図か。そんなに広くはなさそうだけど、あれがどこにあるかわからないかな」
カハルがあれこれといじりながら片っ端からメニューを開いては戻るのを繰り返すのを横で見ていたスシシが「あ」と声をあげた。
「これあれと同じ字じゃない? ネットワークで“キン”の情報を見つけた時にあった」
スシシが指したメニューには「収蔵物紹介」と書かれていた
「そうだ! よく気づいたな! そのまま触って開いてみろ」
カハルに肩を叩かれたスシシがパネルに触れると、カテゴリに毎に分けられたいくつもの小さな画像群が現れた。しかしその数は百もない。
「ネットワークのと比べるとずいぶん少ないな。全部ではないのか……。でも画像付きだ。あるとしたらおそらく古い時代のカテゴリのはずだけど――」
画像とそこに添えられた収蔵物名と思われる文字を追っていたカハルは、途中で息をのんだ。
「――これだ!」
まるで貴重なものに触れるかのようにそっと画像の一つを選択すると、大きくそれが映し出された。それは彼らが求めるものの姿だった。
「これが“キン”……いろんな色がついてるね。とってもきれいだ」
スシシは小さくため息をついて、初めてみるその姿をうっとりするように見つめた。
「“キン”にはいろんなものがある。形はそんなに違わないけど、大きさも厚さも色もそれぞれ違う。これは俺が父さんに見せてもらったものと比べてもだいぶカラフルだな」
カハルも見とれる。
「名前もネットワークで見たのと同じだから、これで間違いない。これは説明かな? 何々……」
画像に添えられた二百文字に満たないわずかな文章を、何度も読み返すカハル。
「何が書いてあるの?」
「この“キン”の内容と役割だよ。意味の分からないところもあるけど、これはやっぱり俺たちに必要なものかもしれない。それにもしかすると……」
それの持つ力の可能性について思いを巡らせ始めるカハル。
「お兄ちゃん?」
弟の呼びかけにカハルは我に返った。
「おっと。ちゃんと考えるのは手に入れてからだな。次はここに上った一番の目的を果たさなきゃ」
そう言って再び窓の方を向いて都市を見下ろした。
「この先の実際の状況を確認しよう」
兄に言われてスシシは目を凝らすが、冴えない顔になる。
「でもここからだと小さくてよく見えないね」
遠くまで見通せても、肉眼ではターミナルのような巨大な構造物を除けば、数百メートル先以降は詳細を伺うことはできない。だがカハルは余裕の表情で、傍らにあるものに手を乗せた。
「こいつを使うんだよ」
それは窓際の床から生えるポールに固定された、筒形の装置だった。ひとつだけではない。それは窓に沿うように等間隔にいくつも設置されていた。
「これは遠くのものを近くにあるように見せる道具だ。もっと小さくて持ち運べるものをあるらしいけど、ここのは床から取り外せたとしても持っていけそうにもないな」
展望室に備え付けられた望遠鏡だった。
「え! ほんとに? すごいね!」
「お前もそこの使って見てみろ。筒を覗いて、見たいところに向ければいい。焦点は横ダイアルで合わせて……。これなら自動機械の様子も見えるし、瓦礫がない場所なら地下通路の入口も確認できるだろ」
カハルがそう言うや、スシシは飛びつくように望遠鏡を除いて喜びの声を上げた。その様子に笑みを浮かべてから、カハルも覗き込んだ。
「……んー、途中までは地図通りに行けるけど、やはり天蓋が落ちてるところが難所だな。北側に大きく迂回しないと……」
「うわっマワリがいる」
走る自動機械を見つけて反射的にしゃがむスシシ。
「向こうからは気付きゃしないよ。でも普通の道を巡回路として使ってるみたいだから覚えておかないとな。ターミナルは……うへえ、上の方は自動機械だらけだな。でも端末の通りずっと手前に地下道に入口があるから問題ない」
「ターミナルに鳥がいっぱいいるよ!」
「天蓋の縁があるから、都市を越える鳥や越えてきた鳥があそこで休むんだろう。あの先にある博物館のさらに向こうはもう虚無地帯も近いしな……ん? なんだあれ?」
ターミナルからさらに先の方に望遠鏡を向けたカハルは、目にしたものがあまりにも奇妙なので一旦目を放して目を擦った。果たして再び覗いても、それはあった。
都市の基盤を横切るように、黒い線が走っていた。
「溝? 段差?……いやあれは、裂けてる!?」
目を凝らせば基盤の断面が見えた。兄弟も天蓋の崩落によって陥没した基盤を見たことはあるが、そこはそもそも天蓋が覆っていないエリアだ。何か兄弟の判らない理由で基盤自体が断裂しているのだった。亀裂の幅は数十メートルはあるように見えた。柱塔から見る限り亀裂の終端は左右とも確認できない。どこまで続いるようだった。
カハルは動揺を隠せない。
「じゃ、じゃあ地下通路はどうなってるんだ……?」
兄弟が利用しようとしている地下通路の状態まではここからではわからない。
「でも基盤の下には昔の地面があるんでしょ? 地下通路が途切れてても、そこを通ればいいんじゃないの?」
スシシは巣のある古い建物を囲う基盤のことを思い出しながら言う。アクセスルームのある地上一階から見る外は、人が潜り込むほどの隙間はないが、基盤の下には本来の地面があった。
スシシの指摘にも兄も表情は暗いままだった。
「そうとは限らない。本当の地面っていうのは、かなりでこぼこしていて高低差があるんだ。低い地面だったら、ずっと下まで基盤の構造体がある可能性がある。ここから見える断面だけでも、俺たちの巣の地下よりもずっと下まであるぞ。とてもそんなとこまで降りられない……」
「そうなんだ……あ、橋が見えるよ。あそこを渡って行けばいいんだよ!」
確かによく見れば、ルートからそう離れていないところに裂け目を渡る構造物があった。細く見えるが実際は結構な幅があるはずだ。
「自動機械が移動用に新たに作ったんだな。つまりあれは巡回路といっしょだ。渡ったらすぐ見つかるぞ。トリモドキもいるじゃないか」
橋の近くではないが、裂け目の上を鳥にしては大きい飛行体が時折通過しているのが見えた。
「で、でも橋の下をワイヤーを使って渡ったら――」
「……ちょっと待て」
スシシの言葉をカハルはさえぎった。
「な、なに?」
「橋の手前のたもとを少し右に行った裂け目沿いを見ろ。ヘンな建物かと思ったけど……な、なんだあれ。動いてるよな……?」
カハルが言っているものをスシシも見つける。
「自動機械? アシダカにちょっと似てるね」
それは確かに平たい直方体のボディを頂いた長い四脚の自動機械のようにもみえた。だが――。
「形はな。ターミナルに張り付いているのと比べて見ろよ」
「あ……」
そう言われてスシシもようやく、それの異常さに気づいた。
「もっと遠くにあるのに、自動機械だとしたら、いったいどんだけの大きさだ……。手前の建物よりでかいぞ!?」
悠然と橋の周囲を探るように歩くそれは、十数メートルは体高があった。これほどの大きさの自動機械は兄弟は話にさえ聞いたことがなかった。
「ふざけるなよ。あんなのどうすれば……」
カハルの声が震える。
その時望遠鏡を覗く兄弟の視界を影が横切った。
「え?」
カハルは反射的にスシシを覆いかぶさるように身を伏せた。
「トリモドキ!? 見つかったか?」
しばらく身を潜めて様子をうかがうが、飛行型自動機械が人間を見つけた時に発する特有の雄叫びは聞こえてこない。
しかし、展望室の全周がガラス張りである以上、下手に体を起こすことができなかった。
「階段まで行けば身を隠せるけど」
カハルは背後を見る。部屋の中央にある昇降機のおかげで後ろは見えない。さらに今いる場所は端末のテーブルが影になっていて側面からも見つかることはない。しかしこの位置から動けばいずれかの方角から丸見えになってしまう。
「降りる階段はちょうど裏側だ。上りの階段のほうが近いな。チビスケ、階段までの窓をできるだけ隠せ」
四体のチビスケは窓際に並んで立ち、腕部の突起を平たくして精いっぱい広げた。それで窓全体を隠しきれるはずもなく心もとないが、兄弟は運を天に任せて階段に飛び込んで駆けあがった。
「ふう、気付かれてなさそうだな。しばらく上層でやりすごそう」
飛行型の自動機械トリモドキは一定時間特定エリアを跳び回るが、そう長くは滞在しない。カハルはすぐ上の上層の塔内で待機しようと弟を連れて階段を上った。上層基盤上のフロアは、基部程ではないが、広い空間になっている。
その時トリモドキの出現に動揺していた彼は、チビスケを先行させることを失念していた。
「ここで三十分もいれば――」
先頭に立ってそこに足を踏み入れたカハルが自分の失態に気づいたのは、フロアに這うムシニを目の前にした時だった。
自動機械が反応するより早くカハルは振り返って、上がってくるスシシを抱えるようにして階段に飛び込んで駆けおりた。
「どうしたの!? まだトリモドキが――」
「ムシニだ! こっちのほうがやばい!」
展望室に出ても外のことなど一顧だにせずに下りの階段に回り込んだ。
上層から轟音と共に振動が響いてくる。
「全速力で駆け降りろ!」
「でもこんな狭い階段にムシニは入ってこれないんじゃ」
「無理やり広げてでも来るぞ! 聞こえるだろこの音が!」
何かが砕ける音と、機械の回転音が間近まで聞こえてくる。フロア全体を振動が包み始めた。
「下手すれば塔がぶっ壊れる! 急げ!」
「う、うん……!」
スシシを先頭に、飛び降りように階段を駆けていく兄弟。その後をチビスケがついていく。
しかし破壊音と振動は遠ざからない。多脚の自動機械は、階段を押し広げて体をねじ込むようにして強引に塔内を這い降りてきているようだった。それは当然柱塔に多大な負荷を与える。
「急げ! ペースを落とすな!」
カハルは焦りを隠せない。
降りる速さでいえば兄弟たちの方がずっと速く、差は少しずつ開いている。しかし塔の振動は大きくなっていくばかりだった。
自動機械が与える塔への負荷は、支える自重が多くなる下部へ行くほど大きくなっていくはずだ。カハルはそのことを危惧していた。
そして、その危惧は的中し始めた。
半ばほど降りたところで、壁面に亀裂が入り始めたのだった。
「お、お兄ちゃん」
「まずい、塔が崩壊する……!」
亀裂はやがて兄弟さえ追い越していく。
「うわ!」
いきなり塔が大きく揺れた。
「あ!」
揺れたはずみで、兄弟の後をついていたチビスケが一体、階段から弾けるように飛び出して手すりを越えて下階へ落ちていく。
それをスシシは受け止めようと手を伸ばすが、バランスを崩して足を滑らせた。
「スシシ!」
しかし転がり落ちる寸前、スシシが掴んだチビスケが突起を手すりにかけ、振り子の要領で踊り場に軟着陸を果たした。
一瞬肝を冷やしたカハルは内心胸をなでおろすが、踊り場にへたり込むスシシを怒鳴りつけた。
「チビスケなんかにかまうな! 死にたいのか!」
次の瞬間塔が再び激しく揺れて、カハルはつんのめるようにスシシのいる踊り場に転がり込んだ。
と同時に、塔の中心をなす昇降機の柱が上から崩れ始めた。見上げると、柱と壁を破壊しながら迫って来るムシニの姿があった。一瞬凍り付く兄弟。
「立てスシシ!」
慌てて起き上がるスシシの背後に、とっくにガラスの割れた窓があった。そこからいきなり何かが飛び込んで来た。
「なんだ!?」
「え? チビスケ!?」
スシシの足元で飛び跳ねるそれは、同行した四体とは別のチビスケだった。
「どうやってここに……?」
スシシはそのチビスケの上面の表示を見て、すぐさま困惑するカハルに呼びかけた。
「ここから出ろって!」
そう言って風の吹き込んでくる窓を指す。
「は? まだ基部にも到達してない高さだぞ!?」
「いいから! じゃあ僕先に行くよ」
そう言ってスシシは躊躇なく窓に飛び込んだ。
「スシシ!」
カハルが顔面蒼白になりながら窓に身を乗り出すと、なんとそこには「道」があった。
「え?」
幅一メートル弱の、雨どいのように内側にへこんだその「道」は、傾斜しながら下へと伸びていた。そこをスシシが滑り降りていくのが見える。
「お兄ちゃんも早く!」
「これ……チビスケか」
長大な滑り台といううべきそれは、チビスケが一体ずつ連結してできたものだった。湾曲する壁は、腕部の突起を変形させたものだ。
「早く!」
見上げると崩れていく塔が見えた。このままでは間もなく落下してくる瓦礫に巻き込まれ、共に真っ逆さまに落ちていくことになる。
「くそっ」
カハルが滑り台に身を預けると、そのまま勢いよく滑り出した。
「うわああああ」
カハルの悲鳴は基盤に到着するまで続いたが、崩壊する柱塔の轟音によってかき消された。
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