二、nest

 スシシが寝床で目覚めると、部屋にカハルの姿はなかった。布をかけただけの出入り口から光が差し込んでいる。昨日西側地域への探索から帰ってきた後、くたくただったスシシは軽く食事をとってすぐに眠ってしまったから、兄が寝床で就寝したかどうかもわからない。

「おはよう」

 寝床部屋を出たスシシは、部屋の前にいたチビスケに声をかけた。部屋の前に限らず、通路には幾体ものチビスケが蠢いている。

「今何時?」

 手近にいたチビスケに問うと、立方体のボディの上面に数字が浮き出た。

「もうそんな時間? 寝すぎちゃった」

 光が差す廊下の天窓を見上げる。上階があるので、厳密には天窓ではないのだが、都市の天蓋などにも使われている、スシシの理解の及ばない技術で外光が入ってくるようになっているのだった。

「お兄ちゃんはアクセスルーム?」

 チビスケは「○」を表示する。

 ここは第一層の基盤下から突き出るように建つ、都市構造群誕生以前からあると思われる建造物の中だ。基盤上にある階層こそ瓦礫で埋もれてしまっているものの、囲んだ基盤が支えとなって今も崩れることなくほぼ原形を留めていた。そのため、自動機械や他の人間の目を避けて安全に暮らすことができる棲み処となっていた。

 兄弟がここに住むようになったのは偶然からだった。

 父を崩落で失った時、彼らは長らく住んでいた集落を離れ、旅の途中だった。行く当てもない幼子二人は、自動機械から逃れようとして基盤の陥没部から古い、用途不明の地下道網に迷い込んでしまった挙句に、前後も分からない闇の中で遭難してしまった。衰弱しかけた彼らを助けたのが、地下道に繋がるこの建物を「巣」としていたチビスケたちだった。

 以来兄弟は、このチビスケの群れと共に巣に住むことになった。

 寝床部屋は建造物の中階層、基盤に囲まれたフロアにある。そこからスシシは通路の突き当りにある階段を使って下へ降りていった。おそらく建造当時は地上一階だったろうフロアに、目的の部屋はあった。

 兄弟がここを新たな棲み処に選んだのは、安全であることやチビスケがいること以外に、この部屋にも大きな理由があった。

「おはようカハル兄ちゃん」

「おう、おはよう」

 カハルは部屋の中央に陣取る、テーブルか作業台だったと思われる横長の台の前に立って、昨日拾ったものを広げて眺めていた。

「お前を待ってたんだ。さっそくこいつを使ってみるぞ」

 台に広げたものの中から例のプレートを取って見せる。

「使うって、何に?」

 スシシは首を傾げる。彼はまだそのプレートがなんなのか理解しきれていなかった。

「端末にこいつを入力するんだ」

 兄の言葉に、一転してスシシは顔を輝かせて、台に駆け寄った。

「端末を使うの!? じゃあ、ぼくが立ち上げていい?」

 そう言いながら、そのまま素早く部屋の奥へと回り込む。

 台の向こう側、部屋の最奥には、壁の一面を占める操作盤と、大小複数のディスプレイが鎮座していた。

「別にいいけど、ただ手をかざすだけじゃないか」

 カハルがやや呆れている目の前で、スシシが操作盤に手を置くと、それだけでタッチパネルとディスプレイが起動した。さらにスシシがタッチパネルに触れると、複数のメニューが現れる。

「でも不思議だね。こんなので都市のネットワークに繋がっちゃうなんて」

 ディスプレイを興味深げに見上げるスシシの後ろにカハルが立つ。

「ネットワークって言っても、人間が都市の住民だった頃に誰でも利用できた範囲だけだ。セキュリティや中枢にはもちろん届かない。昔は都市自体が管轄していたものだけでなく、いろんな人間が独自に構築していたデータにも繋がっていたらしいけど、それも全部なくなってしまったしな。それでも、今の人間にとっちゃ魔法を手に入れたのも同然だ」

「そういうことも、お父さんの“キン”の力で知ったことなの?」

「もちろん。俺が教えてもらえたのはほんの一部だったけど」

 父親の“キン”もまた、持ち主と共に都市天蓋の崩落で喪失した。

「それでも俺たちはついてる。父さんの話によれば、本来の端末ならアクセスには認証が必要らしいけど、ラッキーなことにここはその必要がない」

「あー、前に言ってた、えいぞくせつぞく?ってやつだね」

「そうだ。ここは都市構造群ができる前からある施設で、ネットワーク接続用の機器も古いものなんだと思う。実際これまでに見た端末とはちょっと形が違う。それで都市構造群と今の都市のネットワークができた時、規格の違うこの端末を利用し続けるために、間を取り次ぐシステムを挟んだんだと思うんだ。そのシステムが常時ネットワークに繋がっているから、あらためて認証が必要になることがない。これはつまり、人間によるアクセスだと向こうに気づかせないようにネットワークの奥に入ることも可能かもしれないということで、きっと父さんだったら……いや、お前にはまだ難しかったな。とにかくこいつは俺たちにとって“キン”並みにすごいお宝なんだ」

「まだわかんないことばっかりだけど、ぼくもがんばって早く使えるようになるよ」

 そう言うスシシの頭を撫でるカハル。

「まずは文字を読めるようにならないとな。そうだ。今日の操作はそのままスシシがやってみろ。教えてやるから」

 振り返って目を見開くスシシ。

「いいの?」

「今できることなんて、字さえ読めれば知識がなくてもできてしまえることだからな。それに、さっきも言ったように変な操作をしても、セキュリティに怪しまれることはない。でたらめやりすぎると壊す可能性はあるけどな。言う通りに触ってみろ、まず一番上の項目を選択」

「『としあんない』……?」

 スシシがパネルを触ると表示が変わり、また複数の選択メニューが出現する。

「とぴっく、いべんと、かん……こう?、きょういく……」

「お、だいぶ読めるようになってきたな。でも残念ながらこの項目内は、更新された最新のものしかない。だから破壊や崩落によって消失したものや、維持管理する人間がいなくなって停止したものなんかは削除されてる。つまりほとんどなんにもないってことだ」

「人間を追放しといて、人間用の情報を更新してるのっておかしいね」

「あいつらは敵だけを排除しているつもりなんだよ。だから今も都市の住民のためのシステムは維持されている。インフラの維持や改修なんかも地区によってはまだ機能している所もあるらしい。ほとんどは『追放』時の争いや、その前の戦争なんかでぶっ壊れてしまってるけど。なのにセキュリティだけがピンピンしているのがムカつくな……それはいいとして、今使うべきなのはどの項目でもなく、その下にあるやつだ。保存された過去情報に行き着くには、それを使うしかない」

 カハルが指さすパネルの下部には、横長の帯状の枠があった。

「お兄ちゃんがよく文字を入れてるやつ」

「そう、そこに言葉を入力して、具体的な情報を引っ張り出すんだ。ただ、いろいろ試してみたけど『工場』とか『倉庫』とかみたいな大雑把な単語じゃだめみたいだ。該当するものが多すぎるかららしい。だからもっと具体的なもの、施設の名前とか、場所の名前とかを入れるといいんだと思う」

「『巣』とか『西地区』とか?」

「それは俺たちが勝手に呼んでる名前だろ。『ジュウジダニ』とか『パイプザカ』とか、みんなと住んでいた『ヤマタ村』みたいなのも今の人間がつけた地名だ。でも都市にはもともと昔に付けられた地名があったんだ」

「そんなもの知らないよ」

「そうだ。年寄りさえ聞いたことがないほど昔に呼ばれてた名前だからな。手がかりを探そうにも建物は大方瓦礫になっちまっているし、残ってたって名前が記されたものがなければどうにもならない。ここの地区名や今いる建物の名前さえわからないようにな。だから検索する手掛かりさえなかった。……こいつを手に入れるまでは」

 カハルが例のプレートを操作盤に置く。

「これはきっと地区表示だ」

 スシシがプレートをしげしげと眺めて首をひねる。

「この板に書かれているのが地区の名前なの? 数字と文字が組み合わさっているようなのが?」

「昔父さんと探索していた時に似たような表示を見たことがあったんだ。それは樹脂ケースに手書きされてたものだったけど、それがその場所の名前だって父さんが教えてくれた。都市構造群は広大だし、何層にも積み重なっているから、固有名詞のようなものじゃ間に合わなくなってコードのようなようなもので区別していたんだ。このプレートは人間が運ぶ荷に貼られていたか、建物自体に設置されていたものかなんかだろうな」

「ふうん。で、これをどうするの」

「そこにこいつを打ち込むだけさ。これがなんらかの場所を表すコードなら、その場所の情報が見つかるかもしれない。とにかく打ってみろよ」

「えっと……Wt……2……わ……」

 たどたしい手つきで文字を打ち込み、検索ボタンを押すと、新たな項目が幾つか並んだ。

「やったぞ。検索結果が出た」

「うわ、いっぱい文字……」

「どれ……どうやらあの建物を示すコードだったみたいだな。都市が管理しているものじゃないからあまり情報がないなあ」

 配送所のような施設だということはわかるが、それ以上の有益な情報は見当たらず、カハルは一瞬落胆したが、ふいに思いついた。

「コードのどこかは場所を表しているんじゃないか? たとえばこう、前半だけ打ってみるとか。あ、これはまさか……」

「ああ、ぼくにやらせてくれるって言ったのに」

 夢中になったカハルは約束を忘れ、自分でパネルを操作していく。すると画面が切り替わり大きな図が表示された。

「んん? これなんの絵?」

「……やったぞ。やった!」

 図を見てカハルは目を輝かせた。それを怪訝な顔で見るスシシ。

「この絵がどうしたの?」

「これは地図だ!」

「え? なに? どういうこと?」

「真ん中で光っている点が、コードの所在地……このプレートがあった場所なんだ。上が北のはずだから、ここからこうなって、表示されてないけど、俺たちの巣のある地区はこのあたり」

 カハルがパネルの上をなぞるように、指でしめす。

「あっ、上から見た絵か。でも僕たちがこっちから来たとすると、全然道が違うね。あの建物の前を通っている巡回路もない」

「そりゃそうだ。これは今よりずっと前の、都市が壊れてない時代のものだからな。でも参考にはなる。この地図はあとで描き写しておこう。基盤層だけだけど、上の層は今はないとこばかりだから問題ない。見ろよ、昨日のここ、地下に通路っぽいのがあって基盤の中を通ってるんじゃないか?」

「あ、本当だ! これが使えれば、巡回路を横断しなくても行けるね! 他にもいっぱい点と文字があるのは何?」

「病院とか学校とか役所とか、公的機関の場所だな。やっぱり都市が管理していないものは何も書かれてないか。食料庫とか都市所有の工場とかわかるといいんだけど……」

「ふーん」

 父から伝え聞いているカハルはともかく、スシシには病院や学校と言われてもそれがどういうものかよくわからない。だからぼんやりと地図を見つめていると、あるものに気づいた。

「お兄ちゃん、これはなんて書いてあるの? これだけ緑色の点なんだけど」

 スシシは地図の端にあるマーカーを指した。

「えーっと、はか……」

「え? お墓?」

「違うよ。初めて見る単語だ。はか……ものかん?」

 そこには『博物館』と表示されていたのだった。

「お兄ちゃんもわかんないのか……うわっ」

 スシシがそのマーカーに触れると、ページが切り替わった。

「これは……そうか、点を触るとその場所の詳細情報に行けるんだ。だけど何だこれ? ん? 『収蔵物』? そこにあるものってことか?」

 『収蔵物リスト』に行くと、名前と簡単な説明がついた一覧がずらりと並んだ。

「うわ、また文字がいっぱい並んでる」

「この施設が保管していたもののリストのようだけど、よく分からないものばかりだな。どうやら古いものっぽいけど、希少なものはあるかな……うーん」

 そこに並んでいるのは、ほとんどが都市構造群ができる遥か前の時代の遺物だった。カハルは重要なものを見逃してはなるまいと慎重に見ていくが、意味の分からないものばかりなのでついつい目が滑ってしまう。

「あ!」

 それをやっぱりぼんやり眺めていたスシシが突然声をあげた。

「なんだよ。びっくりさせるな」

「これ、これ! これって」

「は? なんだよ……あ」

 スシシの指した文字を見て、カハルは息をのんだ。

「この字はぼくも覚えているよ」

 スシシは興奮気味に言う。

「だってこの字……“キン”のことだよね!」

 まさしくそれは、そこにたった一つだけ収められていた、彼らが“キン”と呼んでいる物の一種だった。


 “キン”の情報を得たカハルとスシシの兄弟は、これまでよりはるかに長距離の探索に出る決意をした。

 その道のりのほとんどが未知の領域である。現在の地形がどうなっているかは行くまではわからないし、セキュリティの種類や傾向も不明だ。あまりにも危険な旅だった。

 しかし“キン”の魅力には代え難かった。“キン”ひとつで、大量の物資と交換もできるし、自分で使えば大きな力を得ることも可能だ。幼い兄弟がこの先己の力だけで生きていくには是非欲しいものだった。何より父が求めていた“キン”は、彼らにとっても大きな目標だった。

「この“キン”はどんな力があるのかな?」

「リストのデータからでは名前と大きさくらいしかわからない。ただその名前から察するに生存に関係するものだとは思う」

「せいぞん?」

「死なずに生き抜くってことだ。俺たちには最も重要なことだろ」

 二人は建物の壁紙を剥がしてアクセスルームのテーブルに広げ、踏破すべき地区の地図を描き写していた。崩落や倒壊で当時の道はほぼ使い物にならないだろうが参考にはなる。特に施設や自動機械の目が届かない場所の情報はそれこそ生存を左右する――今も機能している場合に限るが。

「まっすぐに行ければ二日もかからないだろうけど、瓦礫を縫って、時には大きく迂回しつつ自動機械を警戒しながら行くとなると、往復七、八日は見た方がいい」

「そうすると、食べ物はともかく水がたいへんだね」

「途中に貯水槽のようなものもあるけど、今もある保証はないしな。何があるかわからないから道具も一通り持っていきたいし。だから荷の一部はあいつらに持たせよう」

「あいつら? あ、チビスケたちか」

「今回はチビスケを大勢連れて行きたいと思ってる。昨日のことでわかったけど、あれは自動機械の死角を作るのに有効だ。誤魔化せるのは目ぐらいだとしても、だいぶ旅程がスムーズになる。少なくとも五……できれば消耗を考えて十いるといい」

「しょうもう? でもいっぱいで行くの楽しそうだね!」

「遊びに行くんじゃないんだぞ。そうだ、その十体の選定はお前に任せようか。お前はあいつらと仲いいからな。元気が良さそうなのをみつくろって、オーダーしておいてくれ。出発は、準備も考えて明後日にしよう」

「うん! じゃあこのあとチビスケたちに話しておくよ!」

 地図がおおまかに仕上がった後、カハルは探索に必要なもの集めに行き、スシシはさっそくチビスケたちに遠征の話をしようと、アクセスルームを出た。だが。

「あれ?」

 いつもは巣となっているこの建物中にまばらに集っているチビスケたちが、どこにも見当たらない。

「朝はいたのになあ……」

 アクセスルームと同階にあるロビーにも、挨拶をした寝床のある通路にも、基盤上に出る屋上にも、ミーティングルームと呼ばれる最大の部屋にも、彼らはいなかった。

 となると、可能性は一か所だ。

「あそこかあ」

 スシシは渋々、再び階段を降りていく。普段は小集団単位で活動することはあっても、一斉に全個体が動き出すことはなかった。しかし、数十体はいるだろう全チビスケが集まっているとすれば、そこしか考えられない。

 スシシは地下二階に降り立った。ここの天井も基盤層の上からの光が届けられている。しかしスシシは地下階があまり好きではない。ここから、光のバイパスも届かない暗黒の地下道網に繋がっているからだ。

 地上階のものよりもずっと幅広い地下階の通路を少し歩いた先に、唐突に二十メートルはある幅の階段が現れる。そのすぐ下はホールと呼んでいる広場のような空間があり、その一角からかつて兄弟が遭難した地下道に入ることができた。

「え?」

 普段なら通路の光が途切れて闇が落ちているはずのホールがほんのり明るくなっていて、いつもは見ることのできない全容が確認できた。

「うわあ……」

 スシシはその理由に気付いて声をあげた。ホールにひしめくように密集するチビスケが、それぞれ淡い光を発していたのだ。

 引き寄せられるように降りてくるスシシに気付いた個体が、脚部を屈伸しながら喜びを表す。数体が近づいて足下を明るくしてくれた。自分んが奇妙な集いの歓迎されざる客ではないことがわかって、スシシはほっとする。と、同時に違和感に気付いた。

「多くない?」

 これまで巣のチビスケの個体数を数えたこともなかったし、こうして全個体が集まったのを見たこともなかった。しかし巣の建物の広さや密度からして、三十からせいぜい四十体が妥当だろうと兄のカハルは言っていた。

 だが目の前にいるのはどう考えても百体近くいる。

「もしかして、他の巣の子たちもいるの?」

 そう考えるほかなかった。そのつぶやきを聞き取った、一番近くの個体の上面に「○」が浮き出た。

 チビスケたちの巣は都市のあちこちにあることは、父親から聞いていた。遭難時にチビスケに助けられたことからして、彼らは地下道を行き来している。それは、彼らの必要とする水分と電気、つまり地下水脈と未だ生きている埋没送電線を利用しているため――その恩恵は兄弟も受けている――と考えていたが、それだけでなく、そもそも他の巣との通路としても利用していたのだろう。

「でも、ここでいったい何してるの? あ、それが終わったらでいいから、後で話を……え? それ何?」

 スシシの疑問に答えるかのように、使役用人工生物は蠢き、密集形態をとり始めた。そして――。

「ええ!?」

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