第2話:サラッとカミングアウト

 翌日。三人は揃って登校してきた。駅で会ったのだろうか。なんだか昨日よりも王子と小桜さんの距離が近くなっている気がする。


「あ、、今のうちにLINK交換しよ」


「えぇ」


 今、聞き間違いでなければ、王子が小桜さんの名前を呼んだ気がする。


「…もしかしてこれ、?」


「ん?…あぁ…そうだよ」


 小桜さんも王子の名前を呼んだ。高校生活二日目にして、もう既に名前で呼び合うイベントが発生している。登校中という短い時間に一体なにがあったのか。

 三人に目をやる。王子と小桜さんの距離が明らかに近い。一つのスマホの画面を二人で見ている。それが出会って二日目の距離か?女子同士なら普通だと言われればそうかもしれないが、小桜さんの表情はなんだか少し硬い。


 そしてその翌日。登校すると、事件が起きた。


「おは——「何?鈴木くんってやっぱLGBTなの?」


 私の挨拶を、少し嫌味っぽい男子の声がかき消した。声の主はクラスメイトの山田という男子だ。クラス中が王子に注目する。すると彼女はなんでもないようにサラッとこう答えた。


「確かにそうだけど、だからズボン穿いてるわけじゃないよ。スカートが苦手なだけ」


 教室がざわつき、茶化しに来た山田の顔が引きつる。冗談のつもりだったのだろう。


「そうだけどって…」


「クラスに一人の割合で居るんだから、私がそうであっても何もおかしくないでしょう?まぁ、細かいこと言うとLGBTじゃないんだけど…異性愛者じゃないことは確かだよ。なんだ」


「は…はは…マジか…。…体育の着替えどうすんの?男子の方来られてもちょっと困るんだけど」


 そういえば今日は六時間目に体育がある。男子は更衣室で、女子は教室で着替えることになっている。王子は女子だとはいえ、カミングアウトした以上は気にする生徒も出てくるだろう。


「トイレで着替えるよ。いつもそうしてる」


 王子はサラッと答えた。彼女を揶揄った男子生徒はなにも言えなくなる。


「なぁに?ショック受けたような顔して。あ、まさか私に気があった?ごめんねー男性は恋愛対象外なんだ」


 肘をつき、揶揄い返す王子。彼女に向けられていたクラスメイトの視線が山田の方に集まる。


「バッ…!誰がお前みたいな男女おとこおんな好きになるか!」


「あははっ!それ、よく言われるよ。でも、そう言われるの嫌じゃないよ。ありがとね」


「残念だったね山田くん」と、どこからか野次が飛んだ。調子を狂わされた彼は悔しそうに席に戻っていった。それを見送ると王子は、何事もなかったかのように小桜さんと会話を再開した。


「山田、鈴木くんに何か言うことないわけ?」


「謝りなよ」


 彼を責めるような声が上がり始め、耐えきれなくなったのか彼は立ち上がり、王子の前まで行って頭を下げた。


「うん。良いよ。でも、もう二度とああいう揶揄い方しちゃ駄目だよ。私はオープンにしてるけど、そうじゃない人も居るから。笑い者にされて、ストレスで自殺しちゃう人も少なくはない。言葉や態度は時に人を殺すこともあるから、使い方には気をつけてね」


 優しく諭すようににこやかに話す彼女だが、静かで穏やかな声色の中には、しっかりと怒りが含まれているように感じた。教室の空気が張り詰める。教室に入ってきた担任の三崎みさき先生が異様な空気を察して立ち止まってしまうほどに。


「な、なんだ?このお葬式ムードは…」


「三崎先生、おはようございまーす」


 明るく挨拶をしたのはこの空気を作り出した王子だけだ。続いてぽつぽつと元気の無い弱々しい挨拶が飛び交う。


「お、おう…おはよう…」


「ちょっと換気しますねー。こんな空気にしちゃったの私なんで。ごめんねー。窓開けまーす」


 窓際の生徒に断りながら窓を開け始める王子。不自然なまでに明るく、少々不気味にさえ思ってしまう。大丈夫だろうか。無理して笑っていないだろうか。


「…分かりづらいかもしれないけど、あいつはお前のさっきの失礼な態度で傷ついたりしてないよ。無理して明るく振る舞ってるわけでもない。保育園からずっと一緒にいる幼馴染の私が言うんだから間違いない。だから、いつまでもそんなしけた面しなくていい」


 ボーっと突っ立ったままの山田に、月島さんがフォローを入れた。キツイように見えて、意外と優しい。


「おっ。…まこちゃーん!おはようー!」


 換気していた王子が、作ったような高めの声で窓の外に向かって叫ぶ。しばらくして『まこちゃんって呼ぶんじゃねぇー!』という男性の声が微かに聞こえてきた。窓の外を覗く。男子生徒が上に向かって叫んでいる。


「誰?鈴木くんの彼女?」


「ううん。一つ上の幼馴染。ツンデレヒロインみたいな可愛い男の子だよ」


「…鈴木、今の、安藤さんの声真似か?」


「ふふ。似てました?」


「あぁ、めちゃくちゃ似てる」


 苦笑いする三崎先生。作った声は誰かの真似だったようだ。

 いつの間にか、教室の空気が和らぎ、何事もなかったかのように1日が始まった。

 HRホームルームで今日1日の流れを説明し、そのまま一時間目のLHRロングホームルームの時間に突入する。今日はさっそく学級委員と委員会を決めるようだ。

「学級委員とか、鈴木くんしかいなくね?」

 と、誰かが声を上げた。先ほどの光景を見たら誰もがそう思う。


「構わないよ。ね?百合香?」


 しれっと小桜さんを巻き込もうとする王子。


「…え?えぇ…って、待って、私も巻き込もうとしてる?」


「え?私がやるなら君もやるでしょ?」


「どうしてそうなるのよ。そこは満ちゃんじゃないの?」


 王子は恋愛対象は女性だとはっきり公言した今、小桜さんに対する好意は明らかに恋愛感情にしか見えないが、月島さんに対する好意もそれに似ているように見える。どっちが本命なのだろうか。


「満ちゃんは断るの分かりきってるからね。どれだけ説得したって嫌だしか言わないよ。今まで散々断られてきたから。…というわけで百合香、どう?強制はしないよ。お願いはするけど」


 お願いではなくもはや脅迫だ。困る小桜さん。やはり王子の本命は小桜さんなのだろうか。それとも、彼女を当て馬にして月島さんを妬かせたいだけなのか。後者だとしたら小桜さんが不憫すぎる。


「やりたくないならやりたくないってはっきり言った方がいい。特にこいつには。流されてばかりいたら良いように利用されるよ」


 見かねた月島さんがため息を吐き、助け舟を出した。答えを出さずに悩む小桜さん。すると月島さんは「別に私が代わってやってもいいよ」と続けた。


「えっ?満ちゃん、どういう風の吹き回し?はっ…まさか百合香に私を取られるって心配してる?可愛いやつめー」


 舌打ちする音が教室に響いた。教室の空気が凍りつく。王子は変わらずへらへらしながら「すまんかった」と静かに謝った。


「鈴木の他に学級委員やりたいって人」


 担任の問いかけに、誰も手を上げない。小桜さんは手をあげるか上げないか悩むように、机の上でぱたぱたしている。可愛い。

 しばらく見ていると、ついに決心したのか、顔を上げた。しかし、スッと男子の席から静かに手が上がったのが見えた。小桜さんもそれに気づいたのか、挙げかけた手を机の下にしまった。クラスメイトの視線がピンと真っ直ぐ上がった手に集中する。


「…あっ…えっと…その前に質問なんですけど、学級委員って、前期だけですよね?」


「あぁ。けど、後期の方が学校行事多いから忙しいぞ」


「…じゃあ…前期だけやってみたいです」


「おぉ。挑戦するのは良いことだ。頑張れよ」


 名乗りを挙げたのは加瀬かせくんという大人しそうな男子だ。


「なんだよ加瀬くん、鈴木くん狙いか?」


「そんなんじゃないよ。ただ、ちょっと挑戦してみようかなって思っただけ」


「女子の好感度アップ狙ってんのか?」


「違うってば」


「とかなんとか言って本当はー?」


「もー…しつこいなぁ…」


 同性愛者だとカミングアウトした女子に言い寄るほど図々しいタイプには見えない。少なくとも王子目当てでは無く真面目に仕事をしそうだ。


「はいはい。茶化すな茶化すな。他に立候補する人は?居ないなら鈴木と加瀬で決まりだけど」


 特に誰も手をあげない。個人的には小桜さんを推したいが、彼女は私と目が合うと首を横に振って意思を示した。しばらく経っても誰も手を上げず、学級委員は王子と加瀬くんに決まった。二人並んで意気込みを述べる。それにしても、高身長で男っぽい顔立ちの王子に対し、加瀬くんは華奢で小柄で女顔。正反対な二人だ。


「なんか対象的だね。あの二人。女子校の王子と男子校の姫って感じ」


 近くのクラスメイトが話しかけてきた。


「分かる」


 聞こえたのか、加瀬くんが苦笑いする。


「とりあえず決めなきゃいけないのは委員会だけど、来週中に決めれば良いから、残りの時間で決められるところまで決めてくれ」


「俺が板書するね」


「……上、届く?」


「……流石に届きますけど」


 王子に揶揄われ、ムッとする加瀬くん。


「ごめんごめん。じゃあまずは…」


 委員会と係決めは来週に持ち越しになり、LHRが終了した。休み時間に入ると、王子の周りには人が集まり『彼女居るの?』とか『初恋もやっぱ女の子?』とか、転校生のごとく質問責めに合う。それに対して彼女は嫌な顔せずに一つ一つ丁寧に答えていく。初めて会った時から思っていたが、物凄く良い人だ。月島さん曰く腹の中は真っ黒らしいが。

 ふと、その様子を振り返って見ていた小桜さんがスッと立ち上がった。そして教室を出て行った。

 2〜3分ほどして、王子が「ちょっとお手洗い行ってくるね」と言って教室を出て行った。王子を囲んでいたクラスメイト達が月島さんの方を見るが、彼女も質問する隙を与える間も無く逃げるように教室を出て行った。廊下から彼女の声が聞こえる。会話の相手は、入学式の時に一緒にいた背の高い男子だ。少し話してすぐに別れる。そのタイミングを見計らって廊下に出ると月島さんに声をかけられた。


さん、あいつらの様子見に行くんだろ。行き先知ってるから、ついて来るか?」


です……」


「悪い悪いさん」


「個人的にその表現好きじゃないけど否定できない……」


「行くぞ。豚さん」


「もはやただの悪口!」


「豚を悪口扱いするとか、豚に失礼だろ。あんな可愛いのに」


「えっ、まさか褒めてたの?」


「いや。貶してる」


「酷い……」


「……けど、別に私もあいつもあんたを敵視してないから安心しろ。一部の百合ヲタは現実の同性愛に関しては否定的だが、あんたはそういうタイプじゃないんだろ?」


「私は違うよ。あんな奴らは百合ヲタの恥だよ。一緒にしないでほしい」


「……よし、ならついて来い。尊いもの見せてやろう」


 スタスタと歩き始める月島さんに慌ててついて行く。


「月島さんも百合好きなの?」


「……嫌いでは無いけど、お前らヲタクみたいに勝手に妄想してキャーキャー騒げるタイプではない」


「う……申し訳ない」


「別に構わんよ。その妄想を現実にしようと『いつ付き合うの?』とかしつこく揶揄ってくるなら別だけど、あんたはそういうタイプじゃないみたいだからな」


「弊ヲタクは余計な手出しをしないがモットーなので」


「弊ヲタクってなんだよ。会社かよ」


 そうこう話しているうちに着いたのは中庭だ。ベンチで並んで笑い合う鈴木さんと小桜さんを見つけた。


「キャー!めっちゃ良い雰囲気!」


「どう思う?」


「付き合ってる」


「付き合ってねぇよ」


「でも鈴木さんは絶対小桜さんのこと好きだよね?」


「……だろうな」


「月島さんは?」


「私は恋はしないんだ」


「しないって……何かトラウマがあるの?」


「いや。……分からないんだ。恋が」


「そのうちわかるんじゃない?」


「……まぁ、普通はそう言うよな」


「……ごめん、無責任だったね」


謝ると、彼女は目を丸くした。そしてふっと笑う。


「いや、それに気づけるだけ偉いよ。……世の中には、恋という感情を持たない人間もいるらしい。私は自分がそうじゃないかと思ってる」


「恋という感情を持たない……?あ、なんか聞いたことある気がする。アセクシャル……?だっけ」


「まぁ、近いな。正確にはちょっと違うけど。説明すんの面倒だから後で自分で調べて」


「……鈴木さんもだけど、サラッとカミングアウトするんだね」


「気遣われるのめんどくさいし……マイノリティな自分を可哀想にしたくないからな」


「……そっか。なるほど」


「だから出来れば普通に接してくれると助かる。あいつにも、私にも」


「分かった」


「ありがとう。で?百合岡さんは?ノンケなの?」


「私は……わかんない。彼氏いたことはないけど、恋をしたことはある。相手はいつも男で、女に恋をしたことはない。けど、恋をしないとは言い切れないかも。なんというか、女同士の恋愛に憧れがあるというか……」


「……女同士の恋愛に憧れ……ねぇ」


「当事者からしたらきっと、一番嫌なタイプだな」と、月島さんは容赦なく棘を突き刺した。


「……けどまぁ、あんたは他の奴らとは違うって、信じてるよ」


「他の奴ら……?」


 月島さんはその問いには何も答えてくれなかった。何かあったことは明白だが、まだそこまでは踏み込ませてはくれないようだ。まだ入学したばかりだから仕方ない。これから仲良くなっていこう。


「月島さん、姐さんって呼んで良い?」


「……好きにしろ」


「あ、良いんだ」


「そう呼ぶやつは少なくない」


「だよね……わかる。私もあだ名で呼んで良いよ」


「じゃあ、ブーちゃん」


「……百合豚だからですか」


「そう」


「……他になんかない?」


「……んー。百合ハム」


「豚から離れて?」


「……じゃあミンチ」


「肉から離れよう」


「なんか肉食いたくなってきたな」


「自由かよ」


「お。動き出した。私らもそろそろ帰るぞ


「調理された!」


「ブヒブヒうるせぇぞ百合豚」


「……姐さん、私のこと嫌い?」


「大丈夫だよ百合岡さん。満ちゃんが容赦ないのは信頼の証だから」


「……そうかしら。割と誰にでも容赦なさそうな気がするけど」


 しれっと合流し、会話に参加してくる王子と小桜さん。今更だが、この三人と一緒に歩くと居たたまれない。右見ても左見ても顔が良い。


「次の授業なんだっけ」


「国語じゃね?」


「あら?数学じゃなかった?」


「てか次何限目?」


「二だよ満ちゃん」


「あと五時間もあるじゃん。あー、体調悪くなってきたー」


「はいはい。行くよー」


「やーだー!体育以外サボリたいー!」


 駄々をこねる姐さんを引きずり、教室に戻った。

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