味覚

 ジョンソン長官は放心した顔でフォークを手にした。その手は心なしか震えているようにもみえる。しかし目の前のステーキを刺し違えるほどではなかった。

 そして、しばらく目の前に掲げた一切れの肉塊をまじまじと見つめると、まるでカメレオンが目にも止まらぬスピードで虫を捕らえるかのような素早さで肉片を口にした。

 一噛み、二噛み。慎重に噛み締めると、ジョンソン長官は叫んだ。

 「はーはは!なんてすばらしいステーキだ!」

 それはこの世の最高の快楽を享受した瞬間といわんばかりの表情だった。

 「なんてったって、こう見えても、わたしは本当にステーキ通なんですよ。そりゃあもう若いときは毎晩のようにニューヨークのステーキハウスをハシゴしてましたよ!もちろん全部五つ星の一流店ばかりです。当然ながら全店制覇しましたよ!」

 興奮冷めやらぬジョンソン長官は思わず舌を噛むほどだったが、それでも黙々とステーキを噛み続けた。

 「そんな私が言うんだから間違いない。うーん、最高だ!さすがウィスラー総統。まさにこれは一級品ですね!」と豪語した。

 「ジョンソン長官。悪いがそんなことはどうでもいい。味がするのかしないのか。YESかNOで答えよ」

 「も、もちろんです!そ、そりゃあYESです!YESに決まってますよね。こんなうまいステーキですから!」

 その回答にウィスラー総統はすぐには反応しなかった。時間が止まったかのような奇妙な沈黙が続いた。

 ジョンソン長官のこめかみに、一すじの汗がぎこちなく流れた。

 しばらくして、ようやくウィスラー総統は重たい口を開いた。

 「そうか。では…、隔離だ」

 「は?」

 ジョンソン長官は耳を疑った。これにはさすがに反論をしないわけにはいかなかった。

 「…な、なぜですか!わたしは『味』がわかりました!だからYESと回答したのです!いったいなぜそれで隔離ということになるのですか!YESということは味がわかるということです。味がわかるということは感染していないということです!」

 「ジョンソン長官…」

 ウィスラー総統は、ため息混じりに、しかしいたって静かに語りかけた。

 「私は、この国を治めるために、いかなるときも誠実でありたいと思っている」

 「はい!総統の志は、このジョンソン、誰よりもわかっているつもりです!」

 「誠実であるということは、何ごとも客観的に、科学的に、論理的に判断するということに他ならない」

 「は、はい。まさに仰せのとおりかと!」

 「その意味するところはつまり、忖度や精神論、根性論はもはや美徳ではないということである」

 「あ、は、はい。ごもっともでございます…」

 「翻って言うならば、組織や出世や保身など、世俗的なまやかしであって…」

 「は、はあ…」

 「その意味するところはつまり、一介の公僕として、誰のために、誰に向き合って、事を成すのかということに尽きるのであり…」

 「ウィ、ウィ、ウィスラー総統!誠に僭越ながら…」

 さすがのジョンソン長官も痺れを切らしてウィスラー総統を遮るしかなかった。

 「ウィスラー総統のお気持ちは重々承知であります!長くお仕えしてきたこのジョンソンでございます。あなたのお心は誰よりも理解しているつもりです。ですが…私が今お聞きしたいのは…、なぜ私が隔離となるのか…、YESと答えたこの私が、であります!もう無意味な説法はやめてその点をお答えいただけませんか?」

 「無意味な説法だと!?」

 「は…、も、申し訳ございません!つ、つい…」

 「やはり、きみにはわからないようだな…」

 「ウィスラー総統、申し訳ございません!前言撤回します!そんな『無意味な説法』などとは心にも…」

 「自分がそう言ったのだぞ?」

 「は!…しかし…そんなことは微塵も思っておりません!誤解を与えたなら申し訳ございません」

 「誤解?私が誤解したと言うのか?誤解した私の方が悪いというのか?」

 「い、いえ、そういうことではございません…あくまでも『言葉のあや』というものでありまして…」

 「私はその『言葉のあや』さえも理解しない愚か者だというのか?」

 「い、いえ、まさかそんなことはございません…それは、つまり…、なんと言いますか…」

 ウィスラー総統は大きなため息でジョンソン長官の訴えに終止符を打った。

 「…もういい。わかった。では教えてやろう」

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