そのステーキと忠誠心の末路
そしてわずかに沈黙があったかと思うと、ウィスラー総統の椅子はゆっくりと回転し、ジョンソン長官に向き合った。
しかし薄暗い部屋の
「そのステーキはな…」
ウィスラー総統は続けた。
「特注品なのだよ」
「と、特注品?」
「そうだ」
「特注品?ですよねー!ははは!ははは!だから私は言ったじゃないですか!『これは一級品ですね』と!私はね?ニューヨークの五つ星の一流店を毎晩のようにハシゴして…」
「違う!そういう意味での特注品ではない。これはな…、端的に言うと『味がしないステーキ』なのだよ」
「え…?あ、味がしない…?」
「そうだ」
「あ、味がしないとは…、ど、どういうことでしょうか…?」
「味がしない、ということだ」
「つ、つまり、それは…、あ、味がしない…?」
「そうだ。味がしないのだ。何度も言わせるな」
「しかし、そんな、味のしないステーキなんてものが…」
「だから特注品なのだ。X研究所に遺伝子操作させて製造した特注品なのだ」
「X研究所…遺伝子操作…味がしない…」
ジョンソン長官は力なく床に塞ぎこんだ。
「ということは…、つ、つまり…、フレドリックは正しかった…、ということですか?しかし…私は…、この私は…」
「そうだジョンソン長官。きみは…」
「なぜですか!総統!なぜこのような姑息な手を使って私を陥れようとするのですか!なぜこのような踏み絵のような手を使って、私を
ジョンソン長官は興奮しきった様子で、目には涙を浮かべ、何度もしきりに床を叩いた。
「私はあなたのためにすべてを捧げてきた!これまでどんな汚い仕事もすべて私が泥をかぶってきた!国会審議の場で私は何度も何度も虚偽答弁を繰り返し、その度に騒ぎ立てるマスコミの追及をかわし、辟易しきった国民に後ろ指差されながらも、それでもっ!私はすべてを投げうって愚直に任務を遂行してきたのです!すべてはあなたのために!なぜですか…。なぜ…その私が…」
「ジョンソン長官。それはよくわかっている。しかし問題はな、まさにきみのその並外れた忠誠心なのだよ。今や国家はかつてない危機に瀕している。そんなとき、かえってきみのその執拗なまでの…」
そのときだった。
──── パン!パン!!
乾いた破裂音がウィスラー総統の言葉をかき消した。ジョンソン長官は片膝を立て、ウィスラー総統に向けてまっすぐ腕を伸ばしていた。そしてその手に硬く握られていたのは小型のピストルだった。
銃口から煙が立ち昇る以外に動くものはなかった。
しばらくしてジョンソン長官はふと我にかえると、ピストルを床に投げ捨て、うずくまって咽び泣いていた。
しかしやがてゆっくり立ち上がり、目頭を押さえ、鼻をすすりながら、たどたどしくウィスラー総統に近づいていった。
「ウィスラー総統…。あなたの意思は…、必ずやこのジョンソンが引き継いでみせます…」
しかしウィスラー総統を間近に見た瞬間、ジョンソン長官は愕然とした。そしてわなわなと震える手をゆっくりウィスラー総統に伸ばした。手は何の抵抗もなくウィスラー総統をすり抜けた。
「ま、まさか…。ホログラム…」
その途端、後方の入り口が開き、SPと数名の護衛兵が駆け込んできた。
「ジョンソン長官。ご同行願います」
SPがそう告げると、ジョンソン長官は力なく振り向いた。そしてもはや精気を失ったジョンソン長官はSPに腕を引かれるまま部屋を後にしようとした。
しかし部屋を出る間際、ウィスラー総統の方に振り返って力なくつぶやいた。
「ウィスラー総統…。あなたははなからこの現場には留まってはいなかったということですか…」
ウィスラー総統の幻影はまっすぐジョンソン長官を見て答えた。
「ジョンソン長官。悪いが、この緊急事態に私の身の安全確保は最優先事項だ。それが国家というものだ」
ジョンソン長官は無気力に朧げなホログラムのゆらめきを見つめていた。
ウィスラー総統はよろよろと立ち去るジョンソン長官を見届けながら最後にこう付け加えた。
「ジョンソン長官!もちろんきみのこれまでの働きには大いに感謝している!だからどうだろう、はれてこのパンデミックが終息したあかつきには、盛大にステーキのオリンピックでも開催しようではないか!どうだ、妙案だろ!人類がウイルスに打ち勝った証としてな!」
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