第七話 第一王子


 東の塔に行くと、祭りの準備で大忙しだった。

 祭りの開催が十日ほど延びたらしく、その間に隊長達の代役にやるべきことを叩き込むらしい。


 必然的にハンスも捕まり、アンネの補佐ではあるが、騎士としての役目を果たせと連れて行かれることになってしまった。

 そのためアンネは、一人取り残されてしまったというわけなのだ。


 聞き込みは一人でもできるのだけれど、思ったより進まない。それもそのはずで、騎士は未婚の女性と目を合わせたり話したりできないのだ。

 ハンスは仕事なので、アンネとだけは話したり目を合わせたりはできていたが、触れてくることはなかった。そのことを思い出し、そこでようやくことの重大さに気づいたのだ。


 このままでは、聞き込みどころではないということに。


 ハンスがいれば、彼を介して話を聞いたり会話ができたりしただろうが、未婚の若い女性が一人で歩いていると、妙なよそよそしさが感じられる。

 これ以上ここにいるのは団員達に悪いと思い、いったん城へ戻ると、人気のない庭で大きく深呼吸をした。


 ハンスも騎士団も、アンネを悪く見ているようではない。しかし彼らには彼らなりの理念があるため、こちらから強く出てしまっては向こうも困ってしまうだろう。

 しかし、アンネも団長が了承し了解してくれた上で自由に動き回れているため、何の成果もなければ意味がないのだ。


 どうしようかと悩んでいると、庭の奥で誰かの声が聞こえた。


 そちらへ顔を向けた瞬間、すごい勢いで飛び出してきた女性。その顔は怒りに満ちているが、上品さは抜けていないため、おそらく貴族の娘だろう。城の庭に出入りできるのであれば、かなり高い身分なのかもしれない。


 逃げてはまずいと頭を下げて道を譲ると、彼女は何も言わず通り過ぎてくれた。八つ当たりでもされそうだと身構えていたため、そうならなくてよかったと胸を撫で下ろす。


「誰だ」


 しかし新たな人物の登場で、胸の音が大きくなる。あの女性が怒っていたということは、怒るだけの何かがあったのだ。必然的に貴族の男性だと思い身構えるが、相手は庭の奥にある茂みから姿を現した。姿を見る前に頭を下げて「何も見ていません」と言おうとしたが、刺激するのはまずいと思い口をつぐむ。


「お前、何をしている」


 低い声でそう言われ、反射的に肩が跳ね上がったが、声だけは堪えて頭を下げ続けた。男には背中を向けている状況なので、このままでは無礼にあたる。


 それに気づいて、 動揺しながらも振り返ると、青い瞳の男性がこちらへ歩いてくるのが見えた。


 その顔には見覚えがある。この国の第一王子だ。


 彼もアンネに気がついたらしく、不機嫌そうな顔を普段通りに戻すと、彼はアンネの数歩先で止まった。


「アンネか?」


 どうやら彼は覚えていたらしい。


 数年前に突然姿を消した研究者だったが、アンネも彼のことを忘れてはいなかった。


「……はい。お久しぶりです、殿下」


 貴族らしい挨拶はできないため、両手をお腹の前で組んで礼をする。庶民というよりも、使用人の挨拶ではあるが、国に仕える立場であることに変わりはない。


 ハラルドもその礼を受け、静かに「顔を上げろ」と言った。


 二人の視線が絡み合い、その心は過去へと戻っていく。


 アンネとハラルドは、歳が近かったため、幼い頃から一緒に遊ぶ仲だった。彼女の父親が今の国王に仕える兵士だったため、遊び相手として連れてこられていたからだ。


 いずれは簡単に会えなくなると知りながらも、二人は可能な限り一緒にいたのだが、その時間は予定より早く終わりを告げたのだ。


 アンネが過去の学問に興味を持ち、勉強を始めたことで、彼女を可愛がっていた国王が直属の研究室を紹介した。特に医療分野に興味を示した彼女は、それからすぐに頭角を現し、幼いながらも研究者となったのだが、そこでハラルドとは疎遠になってしまった。


 十歳になると、男女は一緒に行動することができなくなるため、先に十歳を迎えたアンネに合わせ、二人はそのまま、二度と会うことはできなくなってしまったからだ。


 アンネは研究者として研究を続け、ハラルドは皇太子になるべく勉強を続ける。そうやって二人はそれぞれの道を歩んでいたが、それでも近くにお互いがいることを心の糧に、二人は功績を残し続けたのだ。


 しかし数年前のアンネ失踪事件により、その関係にも終止符が打たれてしまう。


 そうして再会した二人だが、お互いの顔を見て、その年月を理解することになってしまった。


「……元気だったか」


「はい」


「今は何をしている」


「東の森に住んでいます。今は事情があって入城を許されていますが、ことが終わればまた森に帰るつもりです」


 聡明なハラルドならば気がついただろう。彼女はオフトの魔女で、今は騎士団の件で来ているのだということに。


 一瞬だけ表情が変わったが、彼はすぐに王子の顔になった。


「そうか」


 風が二人の間を吹き抜ける。


 彼は間もなく皇太子になり、彼女は奇病が解明されれば森へと戻っていく。


 しばらく見つめあっていたが、先に視線を逸らしたのはアンネだった。


「……時間ですので、先に失礼いたします」


「……ああ」


 その言葉でお別れだと顔をあげたアンネだったが、胸の前で組まれた彼の手を見て驚いた。


「王子! その傷はどうされたんですか!」


 腕に隠れて見えにくくなっていたが、右手の親指の下が赤くなっている。血はそれほど出ていないが、熱を持っているので、どうやら腫れているらしい。


 アンネは慌てて自分の服の袖で血を拭うと、二つの点のような傷口が見えた。そこから腫れが広がっているらしく、指で患部を押すと、彼は少しだけ顔をしかめた。


「この傷、蛇に噛まれたんですね。どうして……」


 城の中は徹底的に安全を確認されているし、動物や虫などもその都度対処されている。国王がペットを好まないため、この城に人間以外の生物はいないと、失踪する前からアンネは知っていた。

 だからこそ、なぜこのような傷ができたのかと不思議なのだ。


 彼を見上げて答えを待っていると、観念したように話してくれた。


「さっき、皇太子妃目当ての女から求婚されたんだが、その時は木の下にいてな。掴まれた腕を振り払ったら、木の枝か幹にいた蛇に噛まれたんだよ。蛇を見た女が驚いて変な悲鳴をあげたので、思わず笑ったら急に怒り出したんだ。そのままどこかに行ってしまったので、私も部屋に戻ろうとしたんだ」


(ーーああ、それがあの時聞こえた声だったのか)


 悲鳴にしては変だなと思っていたが、そんな経緯があったのならば納得だ。プライドの高い女性であれば、恥ずかしさで居た堪れなくなることだろう。

 ハラルドは、そういったところを気にする人ではないため、本当に何とも思っていないのだろうが、王子に笑われたという事実にプライドが傷ついたのかもしれない。


 去っていった女性に少しだけ同情しそうになったが、怪我の原因を作っておいて、何もせずにさっさと立ち去ってしまったことを考えると、同情する気が失せた。


 蛇に噛まれた場所は、見る限り危険はないようだ。念のために医師に診てもらうよう告げたところで、ふとあることを思い出した。


 そういえば、これと同じ傷をどこかで見たことがある気がする。


 どこだったか思い出そうとしていると、廊下の向こうからハンスの声が聞こえてきた。どうやら一通りのことは終わったらしく、若干疲れているように見えたが、彼を見てようやく思い出せた。


「王子、小さな傷だからとそのままにはしないでくださいね。それと、ありがとうございます。おかげで、原因がわかったかもしれません」


 軽く礼をして彼の前から離れると、王子に気づいて慌てるハンスを連れて医療塔へと向かった。ハンスは、アンネと王子がどうして一緒にいたのか気になっているようだったが、アンネは気にしなかった。


 そのまま医療塔でゲルトに会うと、アンネはゲルトに原因であろう話をする。彼は、はじめこそ信じられない顔をしていたが、彼女が気がついた傷を見ていたこともあり、半信半疑ながらも受け入れてくれた。

 しかしハンスは、アンネの話を聞いて驚いた顔を見せ、信じられないと言った顔で二人を見た。


「そ、そんなことで、これほど大変なことになるんですか?」


「まだ推測でしかありませんが、私が見つけた傷がその通りならば、まず間違いありません。どうか治療をお願いします」


 ゲルトに頭を下げたアンネは、同時にもう一つのお願いをした。さすがのゲルトも「それは分野が違うからなあ。難しいと思うよ」と言っていたが、自分の名前を出してもいいから調べて欲しいと言われ、しぶしぶ了承してくれた。


 外はすでに暗くなり始めていたが、塔内はこれから動き出すようだ。


 この奇病を治すために、ゲルトのため息とハンスの祈りが重なった。 




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