第六話 医療塔


 次の日、アンネとハンスは輿に乗っていた。


 ハンスは馬で行く予定だったが、今回はアンネの補佐という立場なので、なるべく身軽にした方がいいと考え直した。そのため、逃げ道がなくなった。


 アンネとは、昨日の今日で気軽に話せるほど話し合えたわけではない。しかし、このまま何も話さずに城に到着しては、ますます話せるきっかけがなくなると考え、ハンスは笑顔を作って彼女に話題を振ることにした。


「今日は朝から暑いですね。私はもう汗ばんできましたよ」


「……そういえばそうですね。昨日は一日中、城へ行くことを考えていましたので、気がつきませんでした」


 春が終わり夏に近づく季節になると、どこもかしこも気温が上がってくる。城があるこの地域は四方を高い山に囲まれているので、高低差により暑さにムラが出てくるのだ。


 城より下にある町は風が少ないため一気に暑くなるが、城がある高さになると、風は吹くものの日光の餌食になってしまう。そのため、なおさら暑いのだ。今日のように気温が上がる日は、どの家も輿に乗ることが多く、外出する人が少なくなるのが特徴だ。


「馬で移動する人もいますが、輿であれば日光に当たることがほとんどないので、男性でもよく利用するんです。その代わり、輿を担ぐ者達が大変なので、もっと暑くなってくると、彼ら専用の休憩所があちこちに用意されますし、城の中にも設けられるんですよ」


「そうなんですか? それでは申し訳ありません。私、ここで降ります」


 そう言って腰を浮かせた彼女に、ハンスは慌てて「待ってください」と静止の声をかける。この道は、大通りや正門通りほど重要視はされないが、入城するために通るならば、輿か馬に乗らなければならない道の一つだ。裏門と呼ばれる小さな門へつながる道もあるが、そちらは普段使用できないため、ハンスの家から一番近いこの道が、入城するために利用できる唯一の道と言えるのだ。


 彼女は騎士団から正式に依頼された人なので、そんな人を暑い中歩かせたとなれば、自分だけでなく騎士団の名折れになってしまうだろう。


 どうにかこうにか彼女を落ち着かせるが、彼女は輿を担ぐ四人を気にしている。


 それでもここは堪えてほしいと思っていると、何を思ったのか、彼女が懐から杖を取り出したのだ。


 何をする気だと思う間もなく、彼女は杖を軽く振る。しかし何も起きず、不思議に周囲を見ていると、彼女がにっこりと笑ったのだ。


「あのー、ハンス様。輿が急に軽くなりましたが、降りてはいませんよね?」


 担ぐ一人がそう言った。


「いや、降りてはいないが、軽くなったとはどういうことだ?」


「そのままの意味です。担いでた輿が急に軽くなったんで驚いてますよ」


 他の三人も、そうだそうだと言い出す。もしやとアンネを見ると、彼女は満足そうに笑っている。どうやら魔法で輿自体を浮かせたようで、昨日体験した独特の浮遊感が僅かにある。


 担ぐ人達はなんだなんだと不思議そうに声を掛け合うが、こんな町中で、しかも城の近くで魔法を使ったと知られれば、彼女は捕まってしまうかもしれない。城の近くで魔法が使えるのは、国王に認められた魔法使いだけなのだ。


 そのまま城の前に着くと、魔法が解かれた輿が専用の台に下ろされる。ハンスが先に降りてアンネの手を取ると、彼女は慣れない様子ながらも、しっかりと地面へ降り立った。


 ハンスはいつもより汗をかいていない四人にあとを任せ、城の中へと入る。アンネも続いて門をくぐるが、門兵達は黙って外を警戒しているだけだった。


 まずは団長に挨拶をして、それから倒れた人達がいる医療塔へ向かう。医療塔は城の南側にあるため、いったん城に戻ると、騎士団の詰め所側を歩いて行く。医療塔へはそんなに遠くないと、ハンスが説明すると、アンネは庭を見ながら少しだけ楽しそうだった。若い女性が、あんな危険なところで生活しているのだから、こんな平和な場所に咲く花一つでも嬉しいのだろう。


 ハンスはアンネを連れて城の南側に行くと、白い服を着た門兵に身分証を見せ、中へと入れてもらうことができた。


 塔の中は想像以上に静かだ。今回出入りが許された場所は、騎士団と兵士が利用する場所のため、女性はおらず男性のみで対応している。時々すれ違う塔の看護士が驚いた顔でアンネを見るため、ハンスがさりげなく彼女を背中に庇う。それを見て我に返った看護士達が一礼して去っていくのだ。


 ここは騎士団と同じくらい女性との関わりが少ないため、配属された人達はさぞ切ないことだろう。騎士達は承知して女性と関わらないが、医療兵になった彼らは上司の命令でここにいるだけなのだ。同情はできないが、彼らも国に仕える立場なので物分かりは良い。大げさにしないところがさすがだと、ハンスは密かに尊敬していた。


「これはこれはアンネ嬢。遠いところをありがとうございます。私はゲルト。この塔の最高責任者になっています」


「初めましてゲルト様。私はアンネと申します。どうぞよろしくお願いします」


 それぞれに触れ合わない礼をし合い、二人は例の奇病にかかったと思われる人達のもとへと向かった。ハンスも後に続くが、二人は昔からの知り合いではないらしく、会話らしい会話はない。ゲルトは見た目が四十代後半で、いかつい顔をしているが、元々は前線で衛生兵をしていたそうだ。数年前からここに配属になったらしい。


 どうやらアンネと入れ違いで入城したらしく、お世話になった人は同じということで、その話で盛り上がっているようだ。ハンスにとっては全く知らない人の話題なので、会話の邪魔にならないようにと距離を取り、周囲へ目を向ける。


 ヘルム達がいる場所は、隔離施設と呼ばれる塔の一角らしい。詳しくは教えてもらえなかったが、だいたいは騎士団のいる東の塔と内部構造が似ているため、だいたいの位置は把握できそうだ。かといって何かをするつもりはないので、そこまで考えて自嘲してしまった。


 自分にできることなど、今はほとんどない。解明できるかどうかもわからない病を若い女性に任せ、自分はただついて行くだけなのだ。騎士というものに憧れて入団したものの、ろくに成果も上げられないまま退団する。前例がないわけではないが、当主になるのであれば、騎士になどならない方がよかったのかもしれない。


 少ない窓から時折見える城の外は、この時期特有の暑さで色が変わりそうだ。いっそ自分もあの中に飛び込んで、ただの貴族になれたらと思っていると、ゲルトが「着きました」と言った。


 鍵がわりのかんぬきがされた扉には、関係者以外立ち入り禁止の文字が刻まれている。ここは普段誰も近寄らないが、今は特別に人の出入りが許されているそうだ。


 警備役の医療兵が扉を開け、中に入ると、そこには苦しむ人々のうめき声がこだましていた。


「……念のために、水と食事を可能な限りとってもらっています。ただ、そのほとんどが戻されるため、このままではいつどうなってもおかしくありません」


 一人一人、一つの大部屋でベッドに並べられているが、全員がみる影もなくやつれている。ヘルムと第三部隊の隊長は意識がないらしく、時折体が動くだけだ。


「最初の患者と、二人目の患者は回復に向かっていますが、まだまだ油断はできません。五人目の患者も昨日は危険でしたが、今は回復に向かっています。ただ、三人目と四人目の患者が意識を取り戻さず、かなり危険な状態なのです」


 彼の話に、ハンスがハッと顔を上げた。視線はベッドのある方に向かっていて、その目には予想を裏切る人数の患者がベッドでうなり声を上げていた。


「……増えていますね」


 アンネも驚きを隠せない様子で、患者達を見回す。ハンスの話では、倒れたのは五人で、いずれも騎士団の人間のみだとエメリヒの資料にも書かれていたのだが、ベッドには十人を超える男達が苦しんでいる。


 一人一人をゲルトが紹介していくと、騎士団の五人目が倒れた前後に、兵士達から十数人の患者が出ていたことがわかった。


「急だったので、騎士団にも報告できなかったのですが、現在は二十人近い患者がいます。騎士団は五人のみですが、他は城にいた兵士達です」


 十人以上の兵士が運ばれてきたのは、一昨日の夜。騎士団の五人目が運ばれてきたのと、ほぼ同時刻だったらしい。兵士達の状態はかなり悪かったが、意識を失った者は誰もおらず、一緒に来た隊長の命令で、彼らの入塔はしばらく秘密にされることになったのだという。


 同じ兵士ではあるが、医療塔の兵士は戦う役目を持った兵士達にかなわない。それが高い地位を持つゲルトであっても同じで、しぶしぶ彼らの入塔を上に報告していなかったそうなのだ。


 本来ならばありえないことだが、上の人も何も言ってこないらしく、こうしてアンネとハンスが来なければ、彼らは休暇を取っていると誤魔化されたままだっただろう。国と王族に仕える騎士として、ハンスは許せない気持ちが湧いた。


(いくら立場があるといっても、同じ立場の騎士団が報告をしているのに、兵団の奴らは黙っていたということか。そんなこと、許されるはずがないだろう)


 今すぐにでも騎士団長に報告したかったが、ハンスは今、アンネの補佐として動いている。ここで勝手な行動をとっては、騎士団だけでなく、アンネ自身にも迷惑をかけてしまうかもしれない。そう思い堪えると、苦しむ兵士達を見て、彼はハッとした。


 ここにいる兵士達は、いわば隠された存在なのだ。兵団にしてみれば、昔から気に食わない騎士団の人間をあざ笑うつもりだったのだろうが、兵団でも患者が出たと知り、保身に走ったのだろう。


 今は治療を施され、どうにかなっているだろうが、もし表沙汰になるような状況に陥れば、彼らは真っ先にきられるかもしれない立場なのだ。


 ここで苦しんでいる兵士達は、自分の置かれた状況を理解できていないのだろう。はやく助けろと文句を言っては、うなり声を上げて苦しんでいる。ほとんど動かない騎士団に比べれば軽症のようで、アンネも彼らより先に騎士団の団員の元へ向かった。 


 アンネが患者を直に診て症状を確認していく。ゲルトの説明通り、騎士団の三人は回復傾向にあるが、残り二人は一進一退を繰り返している状況だ。一人目の患者は衰弱していて話すことは難しかったが、二人目と五人目の患者には話を聞くことができた。


 二人とも、倒れる直前まで何事もなく、いつも通り動けていたらしい。それなのに、急に頭痛がしてうずくまろうとしたら嘔吐していて、それからは意識が戻るまで覚えていないそうだ。


 かなりひどい症状だといういうことがわかると、アンネはさらに不思議がった。


 これが本当に何かしらの病であったならば、ここまで強い症状が出ているのに、こんな短期間で回復することなどありえないからだ。


 もちろん全てが全てそうではないだろうし、まだまだ知られていない病気があると思うので、彼女にも断定はできない。しかしゲルトほど患者を診てきた医師が、ここまで頭を抱えるほどの病であるならば、もっと別の症状が出てきてもおかしくはないと思うのだ。


 ゲルトとアンネが話し合う中で、ハンスはヘルムに近づく。感染する可能性もあるため、これ以上は近づけないというところまで近づくが、彼はなんの反応も返さなかった。


 ヘルムは敵を見つけるのが上手く、演習でも実戦でも負けなしだった。演習などで彼は、団員にも兵士にも「俺の後ろには立つなよ」と警告していたくらいだ。


 そんなヘルムが、今は死の淵をさまよっている。


 これほどやるせない怒りと悲しみを抱いたことはなかった。


「お前、ハンスか?」


 振り返ると、知った顔が笑っていた。彼は警備を担当する兵士で、今は城の中で働いているはずだ。ここにいるということは、彼も謎の病で運び込まれたのだろう。最後に見た時よりもずっとやつれたその顔は、青ざめて苦しそうだ。


「久しぶりだな。当主の仕事はどうだ?」


「……順調だよ。お前も、倒れたんだな」


「いいや、俺は腹が緩くなっちまったから、ここに来たんだよ。そしたらすぐに入塔しろって言われて、気がついたらこうなってた。他の奴らも似た感じでだ」


「そうか。腹は大丈夫か」


「腹はな。今は吐き気とだるさで参ってるよ」


 軽く笑う彼の顔は、本当に病人のようだ。いつも明るい彼からは想像できない姿に、ハンスはかける言葉が浮かばない。視線をそらして別のベッドを見ると、顔だけは知っている警備担当の兵士が二人寝ていて、彼らもやつれていた。


 ほんの一日で増えた患者達の姿に泣きそうになるのを堪えていると、アンネに声をかけられた。どうやら一度、騎士団に戻って聞き込みをしたいらしく、ハンスは笑顔で了承した。


 意識のある知り合い達に「また来ます」とだけ伝えると、ハンスはアンネと共に隔離部屋を出る。その目にうっすらと涙が浮かんでいたことは、本人も知らない。


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