第五話 騎士団


 王立騎士団の団長は、最も功績を残した騎士がなると決められている。


 今の団長であるアルベルトも、数年前の戦争で大きな武勲を立てたことによって出世し、最年少の騎士団長としてアンネの耳にもその名が届いているくらいだ。


 剣を片手に突き進む姿は勇ましく、次々と敵を倒していく様子は伝説の戦士のようだと言われているだけあって、座る姿にも威厳がある。


 二人が中に入ると扉は閉められ、側近らしい団員が部屋の端に移動すると、団長はハンスとアンネを見比べて言った。


「その娘がオフトの魔女か」


「はい。騎士団内の異変に対して、協力していただけることになりました」


 団長は低い声で「そうか」と言うと、緊張するアンネを見る。怪しまれているわけではなさそうだが、信用もされていないようで、その目は鋭い。アンネはその目に圧倒されるが、どうにか踏ん張り、やっとのことで立っているような状態だ。


 アンネは今にも逃げ出したくなった。が、依頼を受けた手前、そんなことはできないと、なけなしのプライドで踏みとどまっている。ハンスは緊張はしているようだが、恐怖や焦りはないようで、綺麗な立ち姿のままだ。


 こんな恐ろしい人に、いったい何を言われるのかと身構えていると、団長が側近を呼んだ。エメリヒと呼ばれた男は、腕に抱えていたファイルから束を抜き取ると、アンネへと渡して来たのだ。


 受け取った束には、今回の騒動に関する情報が詳細に載せられていて、一人一人の経過まで記録されている。アンネにもわかる言葉で書かれているため、アンネは苦労することなく読むことができたが、読めば読むほど不可解に思えてきた。


 最初に倒れたのは第一部隊の隊長だ。彼はずいぶん前から体が痺れると言っていたが、先週の初めごろになって、動けないほどの吐き気と頭痛に襲われたらしい。痺れや頭痛は治まってきたようだが、吐き気はたまにあり、今も寝込んでいるようだ。


 二人目は第一部隊の隊員で、ひどい吐き気に今も苦しんでいるという。こちらも頭痛と体の痺れが出ていて、今も体調は戻っていないようだ。ベッドから起き上がることはできるらしいが、立ち上がれるほどではないらしい。


 三人目は第三部隊の隊長で、彼は全身の痙攣が強く、今も意識が戻っていないらしい。水分をろくに取れないようなので、一番危険だと記されていた。


 四人目は第二部隊の隊長で、ハンスの上司だ。ヘルムも痙攣が強く出ていて、吐き気もひどいらしいが、水分は取れているらしい。しかし動けるほどではないらしく、こちらも油断できない状態だという。


 五人目は昨日倒れたそうで、第二部隊の隊員だ。今年で二年目らしいが、昨日も倒れる直前まで元気だったという証言があり、なぜこうなったのかわからないという話が出ているというのだ。年齢も若く、持病や疾患もなかったようなので、確かに謎だった。


「全員が倒れた直後に、嘔吐と一時的な全身痙攣を起こしたようで、目撃した者達には、かなり危険な状態だったと言われました。医師達の話によると、症状が重い者には、嘔吐の他に、下痢と発汗もあったそうなのです。現在は軽症者も含めて、回復するかどうかわからないと説明を受けました。城の医師達が手を尽くしてはいるのですが、これ以上のことはできないと言われているため、彼らの家族に説明するか判断を保留にしているところです」


 エメリヒはそう言って、切れ上がった瞳を伏せた。高い身長を見上げるアンネでもわかるほど、強い影ができたその目元に、彼の苦悩を感じ取る。


 騎士団といえど、いつまでも周囲に隠しておけるはずがない。最初の患者が一週間以上も前であるならば、遠征の予定もない今、誤魔化し続けるには限度があるだろう。


 かといって正直に話してしまえば、家族の口からどんな噂が広まるかわからないため、混乱を避けるためにも、騎士団内では情報が制限されているようだ。


 ハンスの場合は異例で、彼が信頼にあたる人物だと判断されたからか、あるいは騎士団との関係が希薄になってきているからか。どちらにしても、彼の口は堅いと判断されたのだろう。


 アンネが記録を読み直していると、団長がハンスに言った。


「お前はしばらく、アンネ殿の護衛と補佐をしろ。必要であれば城の出入りを可能にできるが、どうする」


「アンネ殿は屋敷で預かるつもりです。父にも事情を説明して、家族の許可も得ています」


「いいだろう」


 どうやらアンネは、ハンスの家でお世話になるらしい。その話を聞きながら記録を見ていたが、日が暮れたからと執務室を出された。


 これ以上は未婚の女性を居させられないらしく、アンネはハンスに連れられて一度城へと戻る。すでに暗くなった城の廊下には誰もいないため、不気味なほど静かだ。


 そのまま来た道を戻り、門を出たところで、ハンスの家の人が輿で迎えにきてくれていた。豪華というほどではないが、二人乗りの輿はそれなりに広く、運んでくれる男達も慣れているのか、ほとんど揺れない。初めて乗る輿に興味を持っていると、ハンスが小さく笑った。


「アンネ殿は面白い方ですね」


 そう言われて顔を上げると、ハンスはクスクスと笑い出した。


「城に上がっても、団長を前にしても、顔色ひとつ変えないのに、輿に乗っただけで嬉しそうになさるのですから。本当に面白い方だ」


「それは、その、緊張していたので、顔に出すほどの余裕がなかっただけだと思います。今はその、初めて輿に乗ったので、嬉しいといいますか、楽しいといいますか……」


 言い訳のような話だが、自分で言って間抜けな気がした。何かにはしゃぐほどの年でもないのに、急に恥ずかしくなって黙り込むと、ハンスは「いいと思いますよ」と笑った。


「私はそれでいいと思います。実は私も、初めて一人で輿に乗った時は興奮しました。いつも家族と一緒に乗っていたので、独り占めしているようで嬉しかったんです」


「そうだったんですか。意外ですね」


 ハンスは、見た目こそ真面目で好青年という感じだが、話すと年相応の幼さが残っている。出会った時は大人びて見えたが、こうして話してみると、アンネとさほど歳の変わらない青年として見ることができるのだ。


 ずっと緊張していたからか、アンネはふと、ハンスの横顔を見て口が開く。


「……ハンス様は、どうして私に依頼されたんですか?」


 ハンスの顔がアンネへと向く。その目は驚きと、何か複雑な色を混ぜた薄い青色をしていて、アンネはしまったとうつむいた。


 ずっと気になっていたのだ。王立騎士団のように立場のある人間が、なぜあのような危険を冒してまで訪ねてきたのか。命を賭けなければならない場所がいくつもあったのに、どうしてそこまでして自分の元へ来たのかと。


 しばらく考え込むハンスだったが、申し訳なさそうな顔をすると、姿勢を正した。


「アンネ殿の噂は、城にも届いております。魔女でありながら魔法に頼らず、古の力に頼る人物だと」


 古の力。それは見向きもされなくなった様々な分野の学問のことだ。


 かつてはこの国をはじめ、多くの国々がその力を学び発展させ、人々へ役立ててきた。しかしある時を境に、それらは見向きもされなくなり、生まれ始めた魔法使いの力を頼るようになったのだ。それは二、三百年の間でのことらしいが、それだけあれば、過去の力を忘却させるには充分だったというわけなのだ。


 今では研究という名目で、失われた技術や情報、知識などを復活させようとする人が増えてきているというが、ほとんど記録が残っていない上に、記憶を持つ人も遥か昔に途絶えてしまっている。そのため、現在は手探り状態で進められているというわけなのだ。


 アンネはその分野で名を馳せており、かつては天才として多くの学者達から注目されていた。しかしある時を境に姿を消し、いつの間にかオフトの魔女と呼ばれるようになったというわけなのだ。


 彼女が専門としていたのは薬に関する分野で、その中でも植物を研究の対象にしていた。今はその時に得た知識を生かして作った薬を各地で配ったり、安く売ったりして生計を立てている。そのため、彼女を知るかつての仲間などは、今でもその動向を見つめているようなのだ。


 今回、騎士団員が原因不明の病で倒れたと知った団長は、医師達からアンネの名を聞き、ハンスへと依頼してくるよう命じたらしい。表向きはハンスの独断による依頼ということで、できるだけ自由に動けるようにと、彼は一人で危険を冒すことになってしまったというわけなのだ。


 団長は魔法を使える人を直接見たことがないため、半信半疑だったらしいのだが、ハンス曰く、あの様子だと信用する気はあるとのことだった。


「黙っているつもりはありませんでしたが、貴女は何年も研究から離れていますし、本当のことを言ってしまえば拒絶されると思ったのです。ですから、騙すような形になってしまい、本当に申し訳ありませんでした」


 深々と謝られ、アンネは複雑な気持ちで彼の姿を見ることになってしまった。


 研究に没頭していたのはずいぶん昔のことで、アンネ自身、後悔も未練もない。今は自分がいた頃よりも発展しているであろう医療分野で、過去となった自分ができることなど限られているだろうし、自分の知識はあの頃で止まってしまっている。覚えている範囲内で薬を作っているだけにすぎないため、とても役に立つとは思えないのだ。


 エメリヒから渡された記録を見ても、どこも不思議に思うところはなく、未知の感染症か、あるいは新しい病気かもしれないと考えるのが妥当だろう。医師でもなく研究者でもない自分にできることなど、どこにもないのだ。


 頭を下げるハンスに声をかけることができないまま、二人はハンスの家へと到着した。


 ハンスの家は上級貴族ほど権力はないが、祖父と母親が商売の上手い人で、資産だけは山ほどある。そこを狙われて結婚を強要してくる女性が多いため、ハンスの兄達はたまにしか実家に帰ってこず、個人で所有している家で生活しているそうだ。


 祖父と母親は義理の親子でありながら仲は良好で、祖母が羨ましいと笑うくらい、仕事上での良きパートナーになっているそうだ。父親は当主としてあちこちに出かけていることが多いが、母親との仲は良いので、信頼して好きにさせているのだという。


 祖父と母親は仕事で家を空け、祖母は気に入っている別荘で静かな時間を一人で過ごし、兄達は自分の家で女性との関係を極力絶っている。父親は国中を移動しているため、家には使用人達とハンスだけが残っているというわけなのだ。


 ハンスには自由にしていいと言われたが、あまりの広さに部屋から出られないアンネは、落ち着かない気持ちで、窓と扉を行ったりきたりしている。そのうちにメイドが着替えを持ってきてくれたので受け取ると、手伝いを断って寝室へと入った。


 ハンスに案内された部屋は客室のようで、リビングらしい部屋と寝室、トイレと浴室のみの単純な間取りだが、豪華で広い。一人暮らしでも充分な二階建てに住んでいたアンネにとっては未知の場所で、どうしても落ち着かない。受け取った服を持って、何度か部屋中を歩き回ると、意を決して着替えを始めた。


 渡されたのは室内着らしいワンピースだった。動きやすく着替えやすいもので、それでいてデザインもいい。備え付けの鏡の前で何度か回ってみると、裾がフワフワと浮き上がる様子が楽しかった。


 メイドに呼ばれて廊下に出ると、そのまま食堂へ案内される。食堂はやはり広かったが、ハンスが気を遣ってくれたのか、少し離れた席で食事を取ることができた。


 食事の間も会話はぎこちなく、あまりうまく話せないまま二人は部屋へと戻る。アンネはそのままリビングルームのソファーに腰を下ろすと、行儀が悪いと思いながらも背もたれに体を預けて力を抜いた。


 ハンスも部屋へ戻ったが、団長室を出る際にエメリヒから渡されたファイルを手に、浮かない顔をしていた。分厚い表紙を開くと、今回の記録が詳細に記された紙が何枚も綴じられていて、それらは、アンネが渡されたものと同じ内容のものだ。


 ハンスも補佐として個別に動く以上、状況を把握しておいた方が良いと渡されたが、倒れた人達は彼が知っている人ばかりだ。彼らの現状を見るのが怖くて、ずっと視界に入らないようにしていたが、解決するためにもとファイルを開いた。少しでも理解できるようにと何度も読み返す。


 上司であるヘルム隊長に関するところは熟読し、少しでも多くの情報を頭に入れようと集中していると、月が空の上に上がっていく。テーブルに置かれた夜食に気づいたのは、紅茶が冷めてしばらく経った時だった。


 今日は夕食が遅れたため、さほど小腹は空いていない。冷めた紅茶を一口飲むと、アンネの表情を思い出してため息が漏れた。


 今回の場合、事件かそうでないかで大きく事態が変わってくる。事件になってしまえば、騎士団だけの問題ではなくなるため、安全が確認されるまで皇太子の任命式が延期されてしまうだろうし、もしかすると白紙にもどされるかもしれない。


 そうなってしまえば、次の決定まで皇太子の座が空席になるし、ただでさえ立場の危うい王子の身に危険が及ぶかもしれない。王立騎士団として、皇太子になるはずの王子を任命させられないという原因になってしまえば、団長も騎士団もどうなるかわからないのだ。


 ただでさえここ数年で、騎士団内は身を持ち崩し始めている。あれほど厳しく指導していたはずなのに、少子化で人数合わせにかき集められた者達など、思いがけない幸運に浮き足立って何をしでかすかわからない状況なのだ。


 中には身分だけで入団した者もいるし、王族と縁のある立場の者もいるため、あまり波風を立てたくない。ハンスが心配する第一王子も入団しているため、彼を良く思わない者も一定するいる。王族に縁のある者であるならば、当然の感情だろう。


 そんな時に指導できる立場の者が次々と倒れ、復帰できるかどうかもわからないとなれば、騎士団全体の立場も危うくなる。今のところは団長達が対応してくれていて、代役や代理の人達によって仕事は回っているが、指導できるほどの立場と厳しさを持ち合わせた人が少ないため、後輩や見習いへの指導が追いついていないのだろう。


 疲れた顔をする同期を見るたびに、何も出来ない自分に吐き気がした。


 本当なら自分が残りたい。しかし、自分は次期当主になると決まっているため、それはできない。せめてこの原因不明の病を解明して、一人でも多く復帰させられたらと、縋る気持ちで彼女に会いに行ったのだ。


 失礼なのは重々承知だったし、過去を持ち出すのが礼儀に反することだと知っている。しかし、今回はそうも言っていられない。それくらい追い詰められているのだ。


 今回のことが広まり出しているのか、騎士団の支援をしてくれている貴族達は呪いだと噂し始めているというし、下手に応援を頼むことはできないだろう。王室と関わりのある魔法使いはいるが、彼は引退間近で顔も広い有名人だ。本当に呪いであったのならば、堂々と頼めるだろうが、医師が病だと言い張るため、そうもいかなくなってしまった。それが騎士団にとって、一番の誤算なのだ。


 団員達のほとんどは、立場上動くことができないため、いずれは退団する自分が動くしかない。補佐としては役には立てないだろうが、護衛という立場であれば、多少は役には立てるかもしれない。そう考えて依頼する役目を受け、山奥に住むというオフトの魔女へ接触を試みようとしたのだ。


 まさか、あそこまで大変な道のりだとは思わなかったが。


 それでも、彼女を連れ出せたことは大きな一歩に違いない。王族に仕える研究機関に所属していた経歴があるのだから、彼女自身、多少なりとも融通は利かせられるはずだ。


 彼女のことは規則にのっとって国王へ報告されているが、特に何も言われていないらしい。彼女のことを表立って歓迎しないが、反対もできないのだろう。


 貴族達からあれこれ言われる前に、なるべく迅速に動いてもらい、少しでも結果を残してほしいから、あえて沈黙しているのだとハンスは考えている。


 カップを置いて窓に近づくと、空には満月に近い月が夜空に浮かんでいる。ハンスの瞳を照らすように輝くその光は、言い知れぬ不安を包み込むように優しかった。


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