第三話 呪い


 ハンスの上司ヘルムは、王族の血を引く貴族の後継者候補だった。


 彼の実家はそれなりに権力を持つ家柄であったため、彼の祖母である先先代国王の妹が嫁ぐことになるのだが、彼女は母親の実家が資産家で、立場上それなりに権力を持っていたらしく、かなりのわがまま娘として自由に育てられていたらしい。周囲からは嫌われていたが、夫であるヘルムの祖父は、そんな彼女に振り回されながらも彼女を大切にしていて、夫婦仲は良好のまま、さらに家は発展していくかと思われた。そんな順風満帆の生活だったが、ある日、祖父が事故に巻き込まれ若くして亡くなってしまったのだ。


 そんな不幸に続くように、祖母の実家では不幸が続き、昔の面影がないほど没落してしまうのは早かったらしい。


 後ろ盾も失ってしまった祖母と幼いヘルムの父は、祖母の兄である先先代国王に援助してもらいながら生活をしていたが、先先代国王も病で急死。そりが合わなかった先代王妃との仲違いにより、甥である先代国王から縁を切られてしまった二人は、苦しい生活を余儀なくされることになってしまった。


 しかし、そんな状況になったことを、祖母のプライドは許さなかった。得意の裁縫で服飾の仕事を得ると、引退するまで数十年もの間、数人の使用人を抱えられるほどには稼ぎ続けたのだ。そんな彼女を、貴族の夫人にあるまじき姿だと非難する一方で、憧れの的として尊敬する人も多かったらしい。

 

 ヘルムの父は、苦しんだ母の背中を見ていたからか、王族に仕える仕事はせずに貿易会社を立ち上げた。それなりに稼げるようになると、さほど歳の変わらない妻を迎え、今も全力で仕事に取り掛かっているのだという。貴族としての位はそのままらしいので、表向きは貴族だが、パーティーや会議などはほとんど出席していないそうだ。


 ヘルムには兄が二人いて、どちらも優秀な後継者候補だ。しかしヘルムは三男坊で兄達より勉学が劣っていたため、当主に選ばれることはないからと、幼い頃からの憧れであった騎士団に入団した。今では部隊長を任せられるほどの人物になっているのだという。ハンスとは十以上も年が離れているが、それでも瑞々しい荒々しさのあるヘルムは騎士団内でも人気で、特に後輩達から慕われているそうなのだ。


 かつて騎士団は国内にいくつも存在したが、そのほとんどは裕福な個人によって設けられていた。主に戦争や国内の紛争などで駆り出されることが多く、王族以外が所有する私設騎士団の場合、雇われ騎士が半数以上を占めていたのだという。雇われ騎士の中には最低な行為をする者がいたが、施設騎士団ではそれを取り締まったり罰したりする規則がなかったため、ほとんどが罪に問われなかったそうなのだ。


 そのため国では、騎士団の設立を個人で行うことを禁止した。しかし騎士達を解雇したわけではなく、私設騎士団に属していた人の多くは、有事の際に許可が下りた時だけ騎士になることができるので、普段は国内で別の仕事をしているらしい。


 その後は、皇太子を筆頭にした王族全体と、上級貴族全体が対象となる騎士団が二つほど存在するだけで、貴族であろうと王族であろうと、国王以外の者が個人的に騎士団を持つことを許されていない。


 普段は鍛錬や勉学に時間を使う王立騎士団だが、ここ数年は兵士達と共に遠征に出ることが多く、国境に何ヶ月も滞在することが増えていた。しかしハンスは身分の低い貴族出身ではあるが、次期当主であるため遠征は少なく、当主である父親の引退を見据えた仕事が増えていたため、以前より騎士団と関わることが減っていた。そのため、新たに入団した後輩達のことや、同期達の色恋にも疎くなってしまい、飲み会も食事会も誘われる頻度が確実に減っていたのだ。


 あの日は久しぶりの休日で、したくもない見合いをさせられた上に振られたということもあってか、珍しく父親から休みを言い渡されていた。父親なりの気遣いだろうが、連日の激務と女性からの冷たい対応に疲れ果てていたハンスは、騎士団の仲間とよく行っていたレストランへと足を運んだのだ。


 レストランには人が少なく、知らない顔の少年達が騎士団の服を着ているのが見えた。彼らは入ってきたハンスに気づかずに会話を続け、日々の愚痴を言い合っているようだったが、あえて声をかけることはしなかった。今の騎士団の新人隊員など、お互いに顔も知らないだろうし、いずれは退団すると決まっているため、むやみに声をかけて関わりを持つような真似をしたくなかったからだ。


 注文をして料理を待っていると、見知った男達が数人店に入ってきた。彼らもハンスに気づかないまま奥の席に座ると、こちらにも聞こえるほどの大きな声で最近の話をし始めたのだ。


 騎士団は国王直属だ。いくら不満があったとしても、こんな人目の多いところで身内の話をするのはあまりにも不誠実だ。幸いにも、男達が話すのは当たり障りのないことばかりだったので、ハンスも注意するほどのものではないと思ったが、彼らのあまりの変わりように内心動揺していた。


 彼が騎士として毎日働いていた頃は、ヘルムも他の隊長達も、騎士達にはしっかり指導を行っていた。時にはひどく怒られたりしたが、多少の不満はあれど、騎士団の詰め所や駐屯地などでのみ、仲間内で軽く話す程度だったからだ。


 それ以外の場所では庶民もいるし、どこで誰に聞かれるかもわからないので、上司はもちろん隊員達も言葉を選んで話すのが普通だった。それは暗黙の了解として全員が守っていたことだ。ハンスが騎士団より家の仕事を優先するようになった頃でもそうしていたというのに、あれからさほど時間が経っていないにも関わらず、人目も気にしないで大声で話しているのはどういうことなのだろうか。


 悪いとは思いつつ、聞き耳を立てて顔を下に向けると、人の少ない店内で話し声がはっきりと聞こえてくる。どうやら最近の騎士団は、かなり複雑な状況のようだった。


「――ここ数ヶ月の間に、騎士団の隊長や隊員が何人も原因不明の病で倒れているそうなのです。全員がかなり苦しんでいるようで、回復してきている人はいるそうなのですが、あまりの体調不良に復帰は難しいらしく、今回の祭りへの参加はできないと判断されたと彼らは言っていました。本来ならば隊長がやらなければならない役目があるのですが、このままでは祭りにならないため、私の同期達が代わりを務めなければならなくなってしまったとも言っていて、それが不安だとも話していました。普通でしたら、副隊長が代理を務めるのですが、副隊長は別に役目があるため、代役の基準を満たした同期達が選ばれたのだと聞いています。このことについては、国王も気にかけているらしく、可能な限り原因究明に協力すると言葉をかけていただいたそうなのです。代役の件は、後日私にも声がかかりまして、ヘルム隊長の代わりを務めることになりました」


 ハンスはそう言って拳を握りしめた。悔しそうな顔で、冷めたお茶を見つめるが、アンネは何も言わず黙り込む。彼にとって隊長の代役は嬉しいことではないらしく、震えるほど悔しいことのようだった。


 しかしそれは、隊長の代役に選ばれたからというわけではなく、隊長が苦しんでいるのに代役になってしまったという思いからだった。


「ヘルム隊長は、私の教育係でした。入隊当時から出世に欲がないわけではありませんでしたが、彼ならば良いと思えるほど素晴らしい方なんです。今回の祭りでは、国王の即位や皇太子の任命でのみ行われる行進があるため、私が参加できなくても、隊長の雄姿を見られれば良いと思っていたのです。私は準備が整い次第、父の後を継いで当主になることが決まっているので、はじめから行進に参加できないとわかっていました。それなのに、誰よりもふさわしい人が今も苦しんでいて、私のようなものが参加するなど、あってはならないことなのです」


 顔を歪ませ、目にはうっすらと涙が滲み出した。騎士として、女性の前で泣くなどあってはならないことだが、今はそれを考えられないほど悔しくてしかたがない。


 ハンスは涙をこらえ、深呼吸を数回繰り返すと、真っ直ぐアンネを見つめた。


「可能な限り、隊長達を苦しめる原因について調べてみましたが、この病はどうも違うようなのです」


「何がですか?」


「病というわりには、他の人へ移ることはなく、命を脅かすほどの苦しみを与えられながらも死ぬことはない。感染症や未知の病にしては疑問が多いと、城の医師達が首を傾げているそうなのです。私は今も手紙のやり取りをしている同期から聞いただけなので、実際にどのような状態なのかも、医師達がどう思っているのかも想像でしかありませんが、それでも今考えられるのは、これがもし呪いならば辻褄が合うということなのです」


 呪いという言葉に、アンネは片眉を上げた。強い負の感情をにじませるその動きを見逃さなかったのか、ハンスは慌てて訂正する。


「あの、アンネ殿が原因だとか、元凶だとかというわけではなく、呪いというものが本当に使われたとするのならば、魔法が使える人の方が判断しやすいのではないかと思っただけです。けして、アンネ殿が犯人だと思って来たわけではありませんから!」


 あまりの必死さにアンネの表情が少しだけ和らぐが、その瞳は冷たい。


 そもそも、魔法が存在するからと言って、呪いがあるわけではない。アンネの知っている魔法使い達に「呪いってどうやってかけるの?」などと聞けば、盛大に笑われて終わりだろう。それくらいのものなのだ。


 しかしハンスは大真面目なようで、たしかにアンネを疑うような目はしていないが、どこかの誰かが呪いをかけたと本気で信じてはいるようだ。否定はするが、実際にそんなものはないと証明することはできないため、アンネは頭を悩ませた。


「……仮に呪いだとして、その根拠は?」


 少しだけ不機嫌な声でハンスに尋ねると、彼はアンネを見つめながら説明を再開する。


 ハンスに事情を話してくれた同期は、実際に倒れた人を間近で見ていたため、その異常さに震えが止まらなかったらしい。


『突然倒れたかと思ったら、隊長の体がおかしなくらいに震え出したんだよ。いきなり吐くし震えるし、何が何だかわからなかったけど、とりあえず見習いの時に習ったやり方で、舌を噛まないようにはできたんだ。ほんと、なんなんだってくらい隊長の体が動いてたから、うまく出来たかは覚えてない。けど、戦場では、この人なら大丈夫だって思えたのにさ、さすがに今回はダメだって思ったんだ』


 同期は自分の上司が倒れた時のことを思い出し、顔を真っ青にして吐きそうだった。ヘルムもそれから間もなく、この隊長と同じ状態で倒れたそうだが、その時は近くにいた見習いの少年が、習ったばかりの対処法で助けてくれたそうなので、今のところ騎士団から死者は出ていないらしい。


 しかし、いろいろな人から話を聞けば聞くほど謎ばかりが増えていき、城の医師達も手に負えなくなってきているというのだ。


 何ヶ月もろくに顔を出していなかったため、ハンスは同期達の中でも立場が低い。顔見知りの上司や先輩は多いが、いずれは騎士団を去る彼に対して、内情をそう簡単に教えてはくれなかった。


 騎士団が国民と交流できるのは、王族に関わる大きな国事の時のみだ。国王の即位は何十年も前のことであるため、ハンス達は初めての顔見せになる。国王が即位した時の人達も残ってはいるだろうが、引退している人が多いはずなので、見せ場でもある城の周囲を回る行進は、騎士であれば誰もが憧れる一生に一度のことになるのだ。


 今回は、国王の即位と同時期に皇太子が任命されていないため、異例の行進となる。そういったこともあり、誰もがいつも以上に盛り上がっているというわけだ。


 花形である役目を与えられたはずの隊長達。それができない上に、謎の体調不良で騎士としての立場も危うくなるとなれば、確かに只事ではないと思うだろう。アンネは長い間考え込むと、ハンスに「わかりました」と返事をした。


「どこまで協力できるかはわかりませんが、できる限りのことはさせていただきます」


「ありがとうございます。明日には私も家に戻らなければなりませんが、それ以降ですと、しばらく騎士の仕事で手一杯になってしまいますので、こちらへはいつ来られるかわかりません。アンネ殿の都合が良い時に、騎士団の誰かがすぐに迎えに行けるよう調整いたしますので、空いている日にちを教えていただけますか。ただ、ことがことなので、できればすぐにでも来ていただきたいのですが」


「いえ、それでしたら大丈夫です。私もハンス様と共に山を下ります。なるべく早く患者達に会いたいですし、騎士団の方々にもお会いして話をしてみたいのですが、よろしいでしょうか。もちろん、騎士団の了解が得られればですが」


「大丈夫です。アンネ殿への訪問は、すでに団長へ話を通しておりますので、騎士団は問題ありません。ただ、女性が自由に動くのは難しいので、行動は限られてしまいますが、よろしいですか?」


「構いません。いくつかお願いすることはあると思いますが、了承もなしに男性ばかりの場所へ入る気はありませんので、安心してください」


 どうやらハンスは、ちゃんとした騎士のようだ。貴族達が抱えていた私設騎士団の悪評を知っていたので、それほど信用はしていなかったが、彼の話を聞く限り、ハンス自身も彼の上司達も常識はあるらしい。むしろ、どこでも好きなように入ってくださいと言われる方が困ってしまうため、彼の配慮には安心できた。


 しかしこの日の晩は、なんとも不思議なやり取りで幕を下ろすことになった。アンネにしてみればハンスは客人だが、ハンスにしてみればアンネは命の恩人で女性だ。アンネの寝室がハンスのいる客室の隣だと知った彼が、毛布を手に一階の床に寝ようとしたのをアンネが止め、いくつもの話し合いの末に、ハンスが一階で見張りをするということで決着したのだ。


 アンネは客人にそんなことはさせられないと言ったが、オオイノシシを刺激してしまったのは自分だと言われ、しぶしぶ了承することになった。今夜は森が騒がしい気がするし、丸太の下敷きになったオオイノシシ達は、あれくらいの重さならすぐに抜け出せるため、目が覚めて報復に来るかもしれなかったからだ。


 結局、二人とも気を遣いすぎてほとんど寝られず、次の日の出発は仮眠を交互にとってからになってしまったが、アンネの浮遊魔法のおかげで時間は関係ない。慣れない感覚に戸惑うハンスを連れて、アンネは昨日ぶりの街へと降り立った。


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