第一話 街
初夏の香りが鼻を抜け、頭の中に瑞々しい緑のイメージを与える五月になった。
久しぶりに降り立った街には、きらびやかな装飾で彩られた家々が並び、歩いている人達の表情も明るい。若い女性のスカートには柄の刺繍が施され、男達の服装もどこか精悍さを与えてくるものばかり。それらを見たアンネは、長い髪を風に任せながら歩き出した。
今日は一年に一度のお祭りの日。国をあげてのお祝いの日だ。
国王の即位記念日から始まり、一週間かけて王族に関わるお祝いを何かしらでっち上げては馬鹿騒ぎする。食事も衣装も豪華になるため、国外から観光客が訪れることもあり、街以外でもこんな調子なのだろう。
いつも利用している青果店の店主は浮かれ、娘の器量を褒めちぎっては、お祝いだからとオマケをくれたが、同い年の私のことなど眼中にないのだろう。さも私が結婚できないとばかりに言ってきては、最後に「まあ、アンネだからねえ」と奥さんが締めるのが定番の会話なのだ。
精肉店に行っても、生魚店に行っても同じ対応をされ、さすがにうんざりしてきたが、こればかりはいつものことだ。いい歳をして相手もいない女性など、行き遅れが確定しているようなものなのだから。
街の大通りに戻ると、さらに活気づいていて騒がしいくらいだが、今年は観光客が少ないようだ。きらびやかな衣装を身に纏う女性達よりも、仕事と警備の両方を担う男達の方が暇そうに見えたので、やっぱりなとため息が漏れた。
今年は国王の嫡子で、一人息子でもある王子の皇太子任命の儀がある。これまでなかなか決まらなかった皇太子の座をかけて、他国の血縁者達までが名乗り出てきていたと風の噂で聞いていたので、念のためにと人の出入りを制限しているのだろう。今の国王が即位する時も大騒ぎがあったそうなので、そうなるのが必然でもあった。
ラインヒル国の立ち位置は、国民が思っているほど良くはない。ここ数年で国境付近のいざこざが一気に増えてきているし、貿易や政治的立場も危ういのか、最近の売り物は国内産のものが大多数を占めてきた。気づいている人もいるようだが、それはごく僅かで、外の世界に出たことがない人など、気づく気もないだろう。
大通り沿いには大きな店が軒を連ね、忙しなく商品を並べている。日常で必要な食材や道具などは早い時間から売られているが、雑貨や書籍など、普通なら必ずしも必要ではないものに関しては時間が遅くなる。
お目当ての本屋に入るにはまだ早いため、あちこち見て回っていると、店が開いたばかりの雑貨屋の出入り口で、通せんぼするように仁王立ちする男達を見つけた。三人で何かを怒鳴っているようだが、遠くてよく聞こえない。人の流れに逆らって近づいてみると、どうやら店の看板娘に用があるようだった。
「おい、娘を出せと言ってんだろうが。あいつは俺と結婚してくれるって言ったから待ってたってのに、なんでいきなり王子様の嫁候補になんかなってんだよ」
「で、ですから、私どもはそのような話を聞いていません。娘も王子の妻になりたいと、幼い頃から言っていましたし、あなたの話を聞いたこともありません。なので、今日は帰っていただけませんか。後日、改めて娘と話をしてみますので」
この店の娘というのは、今年十六になるリサだ。顔立ちのはっきりした美人で、幼い頃から美少女だと言われてきたからか、かなりプライドが高い。何度かアンネも会ったことがあるのだが、そのたびに容姿を比べられては鼻で笑われていた。嫌いではないが、好きにもなれないというのが正直な相手だった。
そんなリサが、何を思ったのか街の男と結婚の約束をし、十六になったら嫁に行くと言っていたという。にわかには信じられない話だが、男の表情を見るに嘘をついているようにも見えない。
人が遠ざかっていく雑貨屋の前で、若い男と中年の男が言い争いに発展すると、アンネの近くで興味深そうに四人を眺めていた若い女性達が、小声で「やっぱりね」と言い出したのを聞き逃さなかった。
「リサってば、いつかやると思ってたけど、まさかあいつらにも言ってたとはね。あの大男って町外れの裁縫屋の息子でしょ。顔はそこそこいいからって遊んでたとか言ってたのにねえ」
「他の二人だって、粉挽き小屋の三男に、売れない靴屋の五男でしょう。いかにも遊びでしたって感じじゃない。あれじゃあ、おじさんも大変でしょうね」
クスクスと、他人事として笑い出す彼女達は、リサと仲の良い娘達だ。帽子屋の一人娘がいるので、いつもの遊び仲間なのだろう。街に下りてくると、私を笑っては優越感に浸る彼女達らしい噂話だが、当のリサはその中にいないため、部屋にでも引きこもっているのだろうか。
三階建ての店を見上げてみると、二階の窓辺で影が動いた。どうやら当たりのようだ。父親に任せて自分は知らんぷりを決めこむつもりらしいが、相手だってただでは帰れないのだろう。店の中に押し入ろうとし始めたので、父親だけでなく、野次馬達も慌て出した。
「帰ってくれ。娘はあんた達を知らないと言っているし、今日から娘は男と会っちゃいけない決まりなんだ。もしあんた達と家で会ったことが衛兵にバレたら、うちの娘は権利を剥奪されちまう」
「んなの知るか!」
粉挽き小屋の三男が父親を押し、そのまま地面に転がしてしまう。一瞬動きを止めたが、今はリサへの怒りでも湧き上がっているのだろう。恐ろしい表情で店の中に入ると、二階から下りてきたであろう母親の悲鳴が聞こえてきた。
さすがにまずいと思ったのか、野次馬達が警備役の町民だけでなく、治安維持のために駆り出されている衛兵達を呼んでくると言い出した。かなり遅い対応のため間に合わないだろうと思ったアンネは店の前に立つと、二階へ上がるための階段前で母親を押しのけようとする男達に言った。
「そこから先は単なる言い争いじゃなくて、犯罪になるわよ」
すると、裁縫屋の息子がアンネに気づいて唇を歪ませる。他二人はアンネのことを知らないのか、不機嫌そうな顔を見せるだけだ。
唯一、アンネを知っているらしい裁縫屋の息子が母親の腕を放すと、決まりが悪そうにうつむいたままこちらへとやって来た。
「……悪かったよ」
「それは私へではなく、店のご主人と奥さんに言いなさい。物は壊していないようだから、転ばしたご主人と腕を掴まれた奥さんが許すなら、今回は何もしないわ」
アンネがそう言うと、裁縫屋の息子は三男と五男の頭をそれぞれ掴み、思いきり押して頭を下げさせる。二人とも突然のことに驚き身じろぐが、力が強くそれ以上動けないため大人しくなった。
「すみませんでした」
裁縫屋の一人息子の言葉に、謝られた夫婦は驚きつつも「気にしなくていい」と言い、頭を上げさせる。その言葉で三人の頭が上がったものの、うつむいたまま静かだった。
アンネに言われた三人は、後日店への謝罪を何かしらすると約束し家へと帰った。残された夫婦は大きな怪我もなく、店の中も綺麗なままだったため、このまま営業を続けるらしい。
アンネが去ってすぐ、到着した衛兵に事情を説明した夫婦は、リサへ今回の件を聞いてから対処すると伝え、大事にはしないことに決めたらしい。遅れて到着した警備役の町人達にもそう伝えると、街は再びいつもの賑わいへと戻っていったのだった。
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