第3話 久々に覚えた恋心

 翌日。


 仕事を終え、会社から出た雫はスマホを確認した。

 するとLIMEの通知が一件。


『わりい、仕事バタついてるから今日は辞めとくわ。また明日な』


 拓也からだ。


(そうかぁ。仕方ない、今日は一人で行くか)


 雫は仕事終わりにクラブへ行くことが習慣になっていた。あの爆音を聞かないと落ち着かない身体になってしまったのだ。

 ゆえに何か用事がない限り、平日はほとんどクラブに足を運んでいる。ソロで行くことも珍しくはない。


『わかった、仕事頑張ってな。じゃまた明日』


 そうチャットを送ってから、雫は電車に乗って繁華街へと移動した。


 そうしていつものコンビニに向かう道中、雫は隣にある居酒屋の前で足を止めた。


(そういえばあの娘、居るかな……)


 昨日、家に帰った後もタヌキ顔の女性店員のことが頭から離れなかった。

 なぜかはわからないが、無性に気になる。


 その思いが居酒屋を見た瞬間、さらに大きく膨れ上がった。


 一人の時、食事は普段コンビニのおにぎりやサンドイッチで済ませる。

 だが、今日は居酒屋で食べることにした。


「いらっしゃいませ! お一人様でよろしいですか?」

「あ、はい。一人です」


 出迎えてくれたのは、昨日とはまた違う男性の店員だった。

 答えつつ、店内を見渡してみるも、あの女性店員は見当たらない。


「では、こちらへどうぞ!」


 案内されたカウンター席に腰を下ろし、雫は注文を伝えた。


「はぁ……」


 大きな溜め息がこぼれる。


 こんなにも、ガッカリとした気持ちを味わったのはいつ以来だろうか。ナンパした女性とヤれそうでヤれなかった時ですら、ここまで落胆らくたんしたことはないというのに。


「お待たせしました! 先に生ビールとお通しをお持ちしました」

「ありがとうございます……」


 雫は溜め息をもう一つ吐いてから、ビールを喉へと流し込む。

 心なしか、いつもよりも飲みっぷりがいい。


(まあいいや。さっさと飯食ってクラブ行こ)


 後から運ばれてきた、天ぷらとだし巻き卵を腹に入れた雫は席を立つ。

 それから会計を済ませるため、入口のレジに向かって歩いていると、


「――きゃっ!」


 横から強い衝撃と水で濡れたような感覚を覚えた。


 瞬間、先ほどまで自身が飲んでいた液体と同じ香りが漂う。ビールをぶっかけられてしまったことは一瞬でわかった。


(……最悪だ)


「あっ……ああっ! も、申し訳ございませんっ! あ、あの……」


 今にも泣き出しそうな女性の声が耳に届く。


 当たり前ではあるが、わざとではなさそうだ。誰にでも失敗はある。

 

 その考えから雫に責める気はなかった。

 見た目だけではなく心もイケメン、それが有村零という男である。


「ああ、別に大丈夫で――」


 言いながら女性のほうを向いた雫は、途中で言葉を失う。

 ぶつかってきたのは、昨日見たタヌキ顔の女性店員だった。


「す、すぐにタオルをお持てぃ、お持ちします!」


 その女性は慌てて厨房の中に入っていく。その様を雫は呆然としながら目で追っていた。


 ひと呼吸おき、厨房から出てきた彼女を見て、胸がドキッと跳ねる。

 走って近づいてくる度、胸の鼓動が激しくなる。


「す、すみません! 申し訳ございません! 本当にごめんなさい……」


 女性は動揺した様子でそう言いながら、持ってきたタオルで雫の衣服を一生懸命に拭いた。

 それを見ていた雫の心臓はもはや爆発しそうなほど、強く脈打っていた。


「お、お客様っ! 本当に、本当に申し訳ございませんっ!」


 不意に聞こえてきた男性の声に反応し、雫は視線を上げる。

 そこに居たのは中年の男性。こちらに向かって何度も頭を下げてきていた。


 それを見て、雫はハッと我に返る。


「……あ、あの。だ、大丈夫です。気にしてないです、から」


 無理やりひねり出すようにして、雫は言葉を紡いだ。


「本当に申し訳ございません! 本日のご飲食代はもちろん頂きません。クリーニング代もお渡ししますので、どうかっ!」

「も、申し訳ございませんっ!」


 しかし、焦りからか、雫の言葉は二人の耳に届いていない様子。


 雫は一度大きく深呼吸し、気持ちを落ち着かせてから、ゆっくりと口を動かした。


「あの、本当に大丈夫なので気にしないでください。服も安物ですし」

「し、しかし……」


 本人が大丈夫だと言っているのに、中年の男性は引こうとしない。


(このままだとかえって気を遣わせそうだな……)


「じゃあ、今日の代金だけ甘えさせてください。クリーニング代は結構なので!」

「は、はい! もちろんですっ! いくらでも飲んで食べていってください!!」

「いや、もうお腹いっぱいなので帰ります……。それじゃあ、また来ますね!」

「「本当に申し訳ございませんでしたっ!」」


 雫は二人からの謝罪の言葉を浴びながら、店から出た。

 そこで緊張の糸がほぐれたように、ふーっと大きく息を吐く。


 その頃には、自身の気持ちを言葉で表せるようになっていた。


(人を好きになるのは久しぶりだな。しかも一目惚れで、か)


 本気で人を好きになったのは高校生の時が最後だったか。

 女性とのまぐわり方を覚えてからというもの、雫は恋心なんてものはすっかり忘れていた。


「どうすりゃいいんだろ……」


 ポツリと言葉が漏れた。

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