第四話 回答『明るくて傍若無人なギャル』

 絵に描いたようなギャルを目の前に、わたしは固まっていた。

 客のまばらなファミレスの一角で、問答無用で注文されたドリンクバーのアイスティーに手をつけるでもなく、先刻からこちらに構わずおしゃべりを続けている二人のギャルと目が合わないように俯いたまま、思考停止していた。


 女性が弱い生き物だ、なんて大嘘だ。

 彼女らは、あらゆる手段でこちらの精神力を吸い取り弱らせて、意志を砕いていく。思わせぶりな視線一つで。優しく微笑みかけるだけで。そっと手に触れるだけで。もしくは、今のように目の前でゲラゲラ笑っているだけで。


 特に、ギャルは怖い。

 女性であることと若さの特権を振り翳し、言いたい放題やりたい放題。口でも挟もうものなら、10倍くらいの返り討ちに合いそうな気がする。

 それが何故か、二人。いや、もういっそ二体と呼ぼう。わたしには半分も理解できない謎の言語で盛り上がっている二体のモンスターの前で、まさに絶体絶命である。


「ねえ、おじさん。うちらおかわり取り行くけど、なんかいる?」

「え、まって。全然飲んでないじゃん。飲みなよ、飲みホだよ?」


 お、おじさん? でも四捨五入すればまだ30だし。しかもドリンクバーの概念くらいわかってるし……などと言えるはずもなく、わたしは控えめに「いえ…」とだけ答えた。


「リッカ、わりぃ。あたしのも持ってきて」

「何がいい?」

「あー、まかせる。センスみせろ〜」

「だるっ。センスとかオニだるいわー」


 リッカという子がドリンクバーへ消えたのを見届け、債務者である市川美里がバッグから素早く封筒を取り出した。


「はい、これ。今どき現金払いのみってウケんね」


 銀行の封筒に何故かプリクラが貼ってある………わたしは中身を検め、「たしかに」と頷いて領収書を渡した。


「ねね、リッカも金借りたいって。それで着いてきちゃったの。おじさん、断ってよ」

「それは……」


 美里がテーブルに身を乗り出し、早口で囁く。


「あいつ、男に金盗られてんの。そんなの、やめさせなきゃ。今回はあたしが建て替えたけど、もう無理。貯金無い」

「……もしかして、彼女のために借金したんですか?」

「そうだよ。あん時は持ち合わせ無かったからさ、しょうがなくお金借りて、リッカに渡した。じゃなきゃ、また殴られちゃう」


 どうやら遊ぶ金欲しさに借りたわけではなさそうだ。思っていたよりマズイ状況みたいだが……


「でも、ウチで借りられなければヨソで借りるだけでは?」

「だからさぁ、イカツイ取り立て屋がきて男をぶん殴ってくれればと思ってたのに、来たのがこんなヒョロいんだもん。マジ使えねー」


 そんなこと言われても……と思ったが、やはり口には出せず「すみません」と言うしかなかった。


「一応、相手が未成年でも、法律上は金を貸すことに問題はないんです。だから、ご本人が借りたいと言うのであれば…」

「わかってるよ、そんなの。現にあたしが借りられたんだからさ。でもリッカ、このままじゃ変な店とかに売られちゃう。どうしてくれんのよ。お願い、助けてよ、お兄さん」


 こんな時だけ「お兄さん」呼びかい……と思ったが、やはり口には出せず、わたしはスマホを取り出した。


「ちょっと、電話してきま…」

「待って!」


 美里の手が、わたしの肘を強く掴んだ。


「このままバックレるとか、無いよね…?」


 ……急にそんなしおらしい顔をしたって……不安げな目で下唇を噛まれても………


「ちゃんと戻りますから。飲み物もまだ、残ってますし」


 美里はホッとしたように手を離し、照れくさそうに「へへ」と笑った。



─── ほんとうに、ギャルは怖い。笑顔で「いってら〜」じゃないよ。全く。


 わたしは店を出て、関川さんに電話をかけた。




 △▼



 一時間後、わたしは色とりどりの光がぐるぐる回るカラオケルームの一室でのギャルに囲まれていた。


 いや、正確に言うと、二人のギャルと一人の元・ギャル。

 先ほどの電話で相談したところ、町井さん経由で『伝説の鬼ギャル』という人物に連絡をつけてくれたのだ。


「どうも、申畑さるはたです。先に言っとくけど、あたし今日夜番だから5時には出るよ」


 申畑さんは現在、全国にたくさんのファンを持つというカリスマ・エステティシャンらしい。一見、小綺麗な外見だが、が付くとはいえ伝説の鬼ギャル。目力と発する圧が別次元だ。

 未成年のギャル二人はそのオーラに呑まれたのか、さっきまでの傍若無人さが嘘のように大人しい。


「で…」

 と、申畑さんが電子タバコをテーブルに置いた。


「男に殴られてるってのは、どっち?」


 いきなり部屋の空気が張り詰めた。遠くから聞こえる別室のカラオケの音が場違いみたいに響く。


「あの、アタシ…です」


 リッカがおずおずと手をあげる。


「アンタはどうしたいの?」

「……わかんない。家に居場所ないから、カレシんちしか行くとこないし」


「申畑さん、リッカを助けたげて。この子気は弱いけどいい奴なn」

「あんたは黙ってな」


 申畑さんは美里を一瞥もせず、切り捨てた。リッカを見据えたまま言葉を継ぐ。


「アンタもギャルなら、自分のことは自分で決めな。 親がダメなら男に頼って、今度は友達に縋るの? そんなんだからにされんだよ」

「ひどい! そんな言い方しなくていいじゃん!」

「市川さん、落ち着いて。さ、申畑さん、相手は子供ですから…」


 バン! と申畑さんがテーブルを叩いた。


「どこが子供だよ。こいつらはね、自分に商品価値があるってわかってんの。若い女で、ギャルってジャンルに安易に乗っかって、いざとなれば誰かが助けてくれるってタカ括ってんの。違う?」

「違う! あたし、マックでバイトしてるし! それで約束どおり自力で借金返したんだから!」


「でも結局、この濁沼に泣きついたんだろ? っつーかあんたには聞いてない。あたしはこっちのリッカ? と話してんのよ」


 美里は憤然として冷えたポテトを口に詰め込んだ。顔に「ハイハイ、黙りますよ」と書いてある。


「覚えときな。ギャルってのは、ハッキリ言って金になる。嫌な言い方だけど、需要があんのよ。大人たちが寄ってたかってブームに仕立て上げて、『商品』にしちゃったからね」


 リッカはきょとんとして申畑さんを見つめるばかりで、いまいちピンと来ていないようだ。が、美里は「だから何?」と言いたげに申畑を睨みつけた。


「リッカ、アンタはギャルって『商品』になりたいの? それとも、本物の『ギャル』になりたい?」


「……本物の?」

「本物のギャルって何よ。意味わかんない」


 わたしにもわからなかった。ギャルに本物や偽物なんてあるのか? でも……リッカの目が一瞬ピカっと光った。そして、減らず口を叩いている美里も、なんだかそわそわし始めた。


「『商品』のギャルでいいなら、それらしいカッコしてギャル武器にしてりゃいい。でも、本物のギャルってのはね、なんだよ」


「はぁ?」

「そのために、自分を大事にすんの。自分を好きでなきゃ、自分を貫けないでしょ?」


 リッカが目を見開いて申畑さんに見入っている。美里はポテトに伸ばした手を止めた。そしてわたしも、なんだか胸の真ん中が熱を発し始めたみたいな気がする。


「だから自立した人間ギャルは、他人を見下さない。貶めない。その必要が無いからね。無駄に他人を攻撃する奴って、自分に自信が無いんだよ」

「……じゃあ、うちの親も?」

「そ。アンタのカレシとやらもね」


 リッカの頬に赤みが差し、視線に力がこもる。


「それと、自立した人間ギャルは、仲間を大事にする。自分を大事にするのと同じく、仲間も大事にするのは当たり前じゃん?」


 申畑さんは体の向きを変え、美里をまっすぐに見つめた。


「あんたさ。友達思いなのはわかる。でも、リッカの代わりに借金するのは無鉄砲だよ。たまたまいい会社だから良かったけど、変な会社から借りてたらマジやばかったよ。悪い大人が本気出してきたら逃げられない」


 美里はソファの背もたれに背を預け、不満げに唇を突き出した。


「……でもさぁ、じゃあ、どうしたら良かったの?」

「そんなもん、こうだよ」


 申畑さんは両手で拳を握り、顔の前でビッと中指を立てた。


「ざっけんな、バーカ!」


 「へ?」という空気がカラオケルームに流れるが、構わず申畑さんは続けた。


「金が欲しけりゃてめえで稼ぎな、クソゴミカス!」

「てめえのためにギャルやってんじゃねえわ、勘違い野郎が」

「アタシに貢がせたいなら、100万回生まれ変わって出直しな」


 高らかに叫ぶ申畑さんは、今や立ち上がってテーブルに足をかけ、リッカを見下ろして指を突きつけていた。



「……こんな感じ?」


 一瞬の間のあと、三人は爆発したみたいに笑い始めた。今までの張り詰めた空気をひっくり返すように、腹を抱え手を叩き足を踏み鳴らして爆笑している。まるで昔からの友達同士だ。


「あー、オモロぉ。でもさ、ギャルは他人を貶さないんじゃなかったの?」

「クズはヒトじゃないから。ヒト以下の何かに成り下がったもんだから。むしろ積極的に罵ってけ。何なら切れ」

「クズはヒトじゃないって、たしかにー」


 さらなる爆笑の外に一人取り残された形のわたしは、心の中でそっとつぶやいた。


(やっぱり、ギャルって怖い……)




 リッカは申畑さんが店長を務めるエステでバイトすることになった。そればかりか、社員寮の一室に住まわせてくれるという。


「部屋代はバイト代から天引き。言葉遣いから叩き直す。それと、美里にちゃんと金返すこと。それでいい?」

「……はい。あの、色々と、ありがとうございます」

「町井から頼まれたからね。今回は特別」


 三人で散々写真を撮りあって盛り上がった別れ際、美里が申畑さんに抱きついた。すっかり心酔したらしい。


「ねえ、ギャルってやっぱ、最高だね」


 申畑さんが、フッと笑う。


「だから、あんたらもギャルやってんでしょ?」



 ……これがカリスマか。町井さんが彼女を信頼し、皆が彼女を慕う理由がわかった気がする。さすがは伝説の元・鬼ギャル。


 店に向かう二人を見送り、わたしはあらためて美里に念を押した。


「さて、市川美里さん。わたしが言うのも何ですが、もう安易にお金借りたりしちゃダメですよ」

「うん。わかってる。でもね、安易に借りたわけじゃないよ」


 美里はゴソゴソとバッグの中を探り、一枚の紙切れを取り出した。


「これ、パパの部屋にあった。変な名前の会社だけど、パパがお金借りてるところなら大丈夫かと思ったんだ」


 それは、見覚えのある領収書だった。宛名は───『安藤 真広』


「えっ、安藤さんってあの、昼行燈…いや、建築家の? でも」

「親が離婚してるからね。市川は母親の姓。ってかヒルアンドンって何?」

「いや、その」


「月イチでパパの部屋で一緒にご飯食べるんだけどさ」


 美里はわたしの返事を待つことなく話し始めた。


「ほんとはその時、黙ってパパのお金借りちゃおうと思ってたの。そしたらそんなの見つけちゃって。ってことはパパ、お金持ってなさそうじゃん? だから、自分で借りに行ったんだ。ねえ、うちのパパ……ヤバいの?」


「それは……顧客情報ですから教えられません」


「えー、ケチ。ま、しょうがないかぁ」


 社会人としての常識と、親を心配する娘を気遣う気持ちがせめぎ合った結果、わたしはできる限り小声で囁いた。


「……でも、今のところ、それほどヤバくはない……かも?」


 美里はほっとしたように笑った。


「だよね。あの、関川さんっておじさんも優しかったし、町井さんとかって人もいい人そうだもんね。そっか、良かった」


 あの、わたしは…? と思ったが、やはり口には出せない。


「パパ、前はギャンブルなんてやらなかったんだよ。仕事ばっかで、それでママに振られたの。あたしはパパも好きなんだけどさ」


 リッカとは違い、美里は両親に愛されて育ったのだ。それで美里は、自分がリッカを守らねばと気負ってしまったのかもしれない。なんだ、いい子じゃないか。


「だからあたし、競輪か競艇か競馬の選手になろうかと思うんだよね。そんでいっぱい頑張ったら、パパ、あたしのこと応援してくれるかな。どう思う?」


 さすがはギャル、思考回路がぶっ飛んでいる。

 だがその時、わたしは安藤さんがギャンブルに傾倒した理由に思い至った。安藤さんは女子選手を主に応援しているようだった。娘と同じ年頃の選手を……

 ギャンブルに手を染めたのは、孤独を埋めるためだったのかもしれない。でもその中で、頑張っている若い女子選手に娘の姿を重ねていったのではないだろうか。


 そして、そんな父に応援して欲しくて、選手を目指したいと思う娘……


 今日初めて、彼女を怖いと思う気持ちが消えた。ギャルだって人の子、親を慕う気持ちは変わらないのだ。


「お父さんと、よく話し合ったらいいんじゃないかな」


「え。ニゴリヌマ、すげえ普通のこと言うじゃん。ウケる」



 ……ギャルはやっぱり、ちょっと苦手だ。でも、もうそんなに怖くはない。


 とはいえ、ギャル三人と対峙すると、流石に胃が重い。わたしは久しぶりに胃薬をガリリと噛んだ。


 「じゃね、おっつー☆」と無邪気に手を振り、美里は夕方の賑わいを見せ始める街に消えていった。

 一人になって、ようやく空気の冷たさに身震いする。若さの熱気に当てられ、肌寒さに気づかなかったらしい。


 若い頃の黒歴史をまた思い出し、わたしは左手首をそっと擦った。

 そしてこっそり呟いた。


「……おっつー」


🍻


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