第三話 回答『のんびりしたキレ者おっさん』

🍻


 駅へ向かっていると、会社から電話が入った。

 なんと、今まさに回収に出向こうとしている顧客、安藤真広あんどう まひろが自らやってきて、そのまま応接スペースのソファで眠り込んでいるというのだ。わたしはとんぼ返りで社に戻る羽目になった。



「いやぁ、悪かったねぇ。仕事行く前の景気付けにちょろっとレースに寄ったらさ? たまたまドーンと勝っちゃって。そのまま居たら仕事すっ飛ばして絶対突っ込んじまうと思ったんでね、身をもぎ離すような思いで本場ほんじょうあとにしてここまでどうにか辿り着いたわけさぁ」


「……はぁ」


「ちょうど次の現場の近くだったもんでさぁ? ひと休みさせてもらってたんよ」と、寝起きの目をしょぼしょぼさせながら、大あくびを一つ。


 ……わたしに向けられる関川さんの笑顔が怖い。


「まぁ、うちはきちんと返済してくれるなら少々のことは構いませんけどね。というわけで蓮くん、あとよろしく」


 えっ。さっさと支払ってすぐにでもお引き取りいただいていいんですが……




「それってのは、あれかぃ? 寅間華夜とらま かよとかって元女優の? 彼女、亡くなったのかぁ。あそこん家は業界でも有名だよ。今頃にしちゃ貴重で面白い作りだってさ」


「へえ、そうなの?」


 安藤さんは腰を浮かせる様子すら見せず、いつの間にか町井さんたちの雑談に自然に加わっている。アルファベットチョコをパクつきながら。


 寅間さんから譲り受けた屋敷にワインが数本残っていたから、それで彼女のお別れ式を行おう。彼女自身は葬儀等は一切しないと言い残していたので、あくまでも有志で ───

 …という話をしていたら、応接スペースのソファであくびをしていた安藤さんがそれを聞いてやっと目を覚ましたというわけだ。


「そうよぉ。当時のどっしりした、堅実で重厚な作りでさ? 建材も今みたくヘナヘナじゃなくて、しっかりしてるって評判よぉ。しかも間取りがまた面白いらしくてさぁ。そっかぁ、あそこ取り壊しかぁ。もったいねえなぁ」


 心から残念そうに、安藤さんは呟いた。仕事している姿を見たことはないけれど、本業は建築士らしいから、その噂も本当なのだろう。実際、わたしが見た一階部分だけでも、素人目にも面白い間取りだったと思う。


「一回ちょこっとだけ中見せてもらえないかなぁ。売るなら不動産屋紹介するからさぁ」


「いえ、それはちょっと…」


「そう堅いこと言うなって、兄ちゃん。もしリフォームするならさぁ? 利息代わりに安くするから、ボクにやらせてよ。ほぼボクひとりで上物建てられるぐらいの資格は持ってるからサ?」


「あ、安藤さん、すごいじゃないですか!」


 何やらすごそうなのに、当の安藤さんは「ま、資格だけはね」と困ったようにごま塩頭を擦って苦笑いしている。


「そんな優秀なのに、なんで借金なんか…」

「なんでってそら、ギャンブルですわぁ。こう見えてね、馬と舟とチャリを少々。えへへ」


「笑い事じゃないですよ…」


「いーや、兄ちゃん。ひとくちにギャンブルって言ってもね? あの界隈には弛まぬ努力にシビレる駆け引き、熱いドラマがあるわけさぁ。ボクはね、そういうのにのめり込んじゃうわけ。最近は女の子のレーサーも増えてるしね。ふひひ」


 町井さんも八宇さんも、気付けば姿を消していた。町井さんは別室で返済金を握りしめた債務者ファンたちのお相手、八宇さんは外回りだろう。


「だからさぁ? パチやスロには手を出さないのがボクなりのこだわり。あれにはドラマがないからねぇ」


 機嫌よく喋っていた安藤さんもそれに気づいてか、壁の時計を見上げた。


「あっ、ボクそろそろ仕事行かなきゃ」

「安藤さん、その前に返済を」

「あちゃ、忘れてなかったか。ま、あんまりはぐらかして、怖い人出てきても困るしね。えへへ」



🍻



 翌日、我々は寅間邸に集合していた。上役の関川さん、カリスマ回収人町井さん、おしゃべり爬虫類八宇さん、そしてもちろん、ワクワク顔の安藤真広さん。


「うわぁ、やっぱりいい施工だねぇ。ちゃんとしてるわぁ」


 安藤さんは先ほどからしきりにドンドンと壁を叩きながら、感心したようにあちこち眺めまわしている。気のせいか、普段よりも幾分キリッとして見える。


「耐震の改装もしっかりしてますねぇ。はぁ、こりゃ見事だ。金かけて必要以上にがっちり丁寧に作られてますよ。寅間さん、愛されてたねぇ」


 八宇さんは庭で雑草掃除、町井さんが床をざっと掃いている間に、関川さんは各部屋を検分している。


「しかしアレだね。この家は庶民が住みやすい家じゃないね。金持ちの道楽と酔狂の産物だよ。一階はホールと広間と台所だけ。それにほら、広間と台所とが離れてるでしょ。これは居住者と料理人が別々ってこと。わかる? 料理人だか給仕係が、テーブルに次々と出来立ての料理を運んでくれるって間取りなわけさ」


「そういえば冷蔵庫も大型ですしね」


「業務用だぁな。ステンレスの作業台はドイツ製、オーブンと水栓はアメリカ製。どっちも年代物だが質実剛健、古き良き時代のもんだ」


「パッと見ただけでよくわかりますね」


「そりゃ、プロだからねぇ。テレビなんかで一瞬見ただけでもメーカーぐらいはわかるよ。最近のモノはデザインこそ洒落てるけど、質がね……昔は人目に触れない台所なんかもこんな風にしっかり作り込んだもんだけど、今はどこもかしこもペカーっと明るいばっかで、見栄え重視さぁ」


「確かにドラマやCMなんか見てると、オープンな対面キッチンが主流ですもんね」


「そうそう。ま、それが悪いってわけじゃないんだけどさ……んで、言わずもがなの二階よ。壁一面のどデカい鏡の部屋に、バスルーム付き主寝室。共用シャワー付き・収納無しのゲストルームが2室。ね? どう考えてもこりゃぁ、ファミリー向けじゃない。寅間華夜だけのためにあつらえられた家だよ」


「それは…‥豪勢ですね」

「だな。だけど、極端な家だ。賑わいと孤独、両極端。面白いけど、一般的な幸せを感じる家じゃねえなぁ」


 意外な洞察力を見せる安藤さんの言葉に、以前、この家は彼女の劇場なのだと感じたことを思い出す。


「家を見れば、住む人がわかるもんだよ。ま、本人が幸せだったなら、外野がとやかく言う筋合いじゃない。ボクに言えるとしたら、ここを更地にしちまうのは勿体無いってだけサぁね」


 安藤さんは家を隈なく見て満足したようで、宴には参加せず帰って行った。

 これから競艇のナイトレースがあるらしい。「最近は若いお姉ちゃんも結構観に来ててね。ウヒヒ」と嬉しそうに笑っていた。懲りない人だ。



 二階のレッスン室で行われた寅間さんを偲ぶ会で、不思議なことが起きた。

 彼女のために注いだワインが、誰も触れていないのに、いつの間にか少しだけ減っていたのだ。


 八宇さんが「ドラバァのやつ、飲んでいきやがった。カーテンコールかよ」と笑いながら、少しだけ泣いた。

 それを見た町井さんは「普段なら『気のせいっすよ』で終わらせそうなのに」と驚いていた。


 いつも通りの元気なお喋りの下に、八宇さんは悲しみを隠していたのだ。

 ふと、隣で静かにグラスを傾けている関川さんの、昨日の言葉を思い出す。


「……人の心や知性というものは、巧妙に隠れている、隠されていることも多いのです」



 昼行燈ひるあんどんと言われながら実は優秀だった安藤さんの心にも、何かが隠れているのだろうか。悲しい過去や辛い出来事、あるいは追憶のようなものが。

 それは安藤さんに限らず、きっと誰の心にもあるのだろう。

 おそらく亡き彼女を偲び、しんみりとした様子で窓の外を眺めている関川さんにも。なんと言っても彼は研修時代に、「エセ月影先生」と呼ばれていた頃の寅間華夜に会っているのだから。


「関川さん、大丈夫ですか?」

「ん? ええ、ちょっとね……」


 関川さんはわずかに目を伏せ、静かに微笑んだ。


「この家、残金と利息どころじゃない利益出そうだな…って考えてたんですよ」



 ……わたしの気遣いを返してほしい。


 車座から離れて窓辺に立ち、鋭く輝く三日月に照らされる少しだけ綺麗になった庭を眺めながら、わたしは安物の白ワインを舐めた。



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