第三話 お題『のんびりしたキレ者おっさん』
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珍しいことに、今日は八宇さんが朝から出社しているらしい。部屋のドアを開ける前から彼の滔滔たる話し声が聞こえてくる。昨日は流石にしょげていたけれど、元気になったみたいだ。
「んでやっぱり初心者にはなんつってもヒョウモントカゲモドキっすよね。レオパとも呼ばれるんですけどね、豹柄に個性があって可愛いし表情豊かでポケモン的な愛くるしさがあるんすよ。餌は人工フードでいけるし設備も最小限、人に懐くし大人しいから初めて爬虫類飼うならオススメっす。あ、ガッキーも飼ってるんすよ、そう、あのガッキー。そういえば彼女もどっちかっつったら爬虫類顔なのかな。あれはそうですね、彼女のダンナ。あれは完全に爬虫類…いや、両生類寄りか? まぁダンナの方はどうでもいいけどガッキーはね、かわいいっすよね、なんだかんだ言っても。体温低そうな感じもまた、あ、濁りっち、ウス。ねえ、ガッキー好き?」
いつものお喋りが復活している。椅子に逆向きに腰掛けた八宇さんは、背中を丸めて背もたれを両手で掴んで首を巡らせ、顔だけこちらに向き直った。そうしていると、枝にとまったカメレオンみたいだ。ちなみに『濁りっち』とは、命名初日から八宇さんだけがそう呼ぶ、わたしのあだ名だ。
「おはようございます、八宇さん。ガッキーはまぁまぁ好きですよ。関川さん、ついにトカゲ飼うんですか?」
「いや、まだ決めてないんだけどね。八宇くんがあんまり言うもんだから、最近気になってきて……というかまぁ、『
「まさかの名前先行…」
「そうなんです。ほら私、キャラの名前考えるのに時間がかかるタイプなので、名前がこう…フッと降りてくると運命を感じてしまうんですよね」
「キャラ、って何ですか?」
「あ、いえ。ははは」
「それいいっすよ、渋いっすよ、トカゲ・イエモリ。俺の源氏名、それがよかったなぁ。イエ、『
「えっと、わたしはどちらでも…」
「八宇くん、源氏名じゃなくて、あくまでもコードネームです」
関川さんが穏やかに訂正する中、町井さんが入ってきた。よかった、これで八宇さんとの会話を切り上げられる。わたしは自分から会話を終わらせるのが苦手なのだ。
「おはようございまーす」
「マッチー、聞いて。関川さんの考えたトカゲの名前がさ」
「八宇ちょっと黙って」
「ハーイ」
「関川さん、今日のリストお願いします………うん、いつものメンツだね」
彼女の標準服であるスカジャンをオンボロ椅子の背にかけ、町井さんは座って足を組んだ。ハイカットのスニーカーをひょこひょこ動かしながら、関川さんに両手を伸ばす。
「今日のおやつくださーい」
「はいはい、今日からはアルファベットチョコです。ただし、おやつじゃなくて緊急用食料ですよ。外回り中、何があるかわかりませんからね」
……そうだったんだ。わたしも外出時にいつも関川さんがくれるお菓子を、おやつだと思っていた。
「俺、チョコで自分の名前揃えたっす」
八宇さんが自慢げに自分のチョコを手のひらに並べ、見せびらかしてくる。
「ガキか。ってか八宇、何ひとりで9個も取ってんのよ」
「育ち盛りなんっす。あ、濁りっちのも選んでやんよ。ホイ」
「こんなにたくさん要らない……っていうか八宇さん、一瞬で選び取りましたね」
「おん。俺、映像記憶能力あるんで」
……袋に入った数あるチョコレートの中から一瞬で該当分のアルファベットを選び出すのに、果たして映像記憶能力が必要なのだろうか。いや、その能力自体はすごいけど。
そんな思いを読み取ったかのように、関川さんがするりとわたしの隣に立った。
「日頃の言動や行動だけで人を判断してはいけません……」
天使の笑みを浮かべて上役はこう告げた。
「……人の心や知性というものは、巧妙に隠れている、隠されていることも多いのです」
それから目の奥に悪魔の炎をちらつかせて続けた。
「ひねくれた知性の持ち主というのは、無能者や道化を演じながら、いつも鋭くあなたを観察し、弱みを探っているのですよ」
確かにうわべだけで人を判断することはできない。
それは分かっているつもりでも、つい忘れてしまうものだ。
明るくふるまう人が実は暗い心を持っている、一見暗い人の中身が実は明るい心にあふれている。
「ちなみに濁沼 蓮くん。あなたにも、自分自身でさえ気づいていない能力が潜んでいるかもしれませんよ?」
励ますようにそう言って、関川さんはわたしを送り出してくれた。
外面に惑わされることなく、その人の本質を見極める。
これもまた回収人にとっては大事な資質なのだろう。
しかし。これから取立にいく顧客もそうなのだろうか?
いつもぼんやりとした雰囲気の、くたびれきって何事にも適当な中年男性なのだ。
とてもなんか隠しているようには見えない能天気な人なのだ。
はたして今回のアドバイスは役に立つんだろうか?
さすがに考えすぎのような気がするのだ、彼に関しては。
いつでも適当にはぐらかされるばかりで、なんだか一生懸命になっている自分がむなしくなるのだ。
多分、今回もそんなことになる気がしてならない。
かくしてわたしは憂鬱をずるずると引きずりながら、今日も顧客のもとに足を運ぶのだった。
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