第二話 お題『やたらドラマチックなお婆さん』
「まぁ、お客様にだっていろいろな事情がありますからね……」
提出した報告書を読み終えると、天使の笑みを浮かべて上役はこう告げた。
「……大事なことは彼らの声に真摯に耳を傾けること」
それから目の奥に悪魔の炎をちらつかせて続けた。
「そして右から左に聞き流してください。同情は心を抉る鋭利な刃物、引きずり込まれると抜け出せなくなりますよ」
上役である関川さんの言葉に、わたしは黙って頷いた。
実際、わたしは顧客の息子である柱井玲央の境遇に同情し、絆される所だった。すんでの所で彼の演技に気づき、回収の機会を逃すことは免れたけれど。
おまけにいまだに心の片隅では、幼い兄弟達の行く末を案じている。彼の父親が立ち直るか、どうにか兄弟達が3人揃って幸せに暮らせる術がないものかとつい考えてしまう。
でも、世の中おとぎ話みたいに上手くは行かない。そもそも、顧客ひとりひとりの人生に寄り添っている暇もかける労力もない。
ノルマを果たせなきゃこちらの首が飛ぶ上に、わたし自身にも返済すべき借金があるのだから。
同情。この商売の大敵は確かにそれだ。
ある時は涙を浮かべ、ある時は袖に縋りつき、自分がいかに大変なのかを訴えてくる。
それは悪魔のささやきも似て、巧みに私の心の中に入り込み、ともすれば涙を誘ってくる。
「いいんです。そういうことなら返済を待ちましょう、ええ、大丈夫ですよ」
なんて言いたくもなってくる。
だがそんな時に限って、見てしまうのだ。
にやりとした狡猾な笑みを。唇からチロリと除く蛇の舌先を。
「こちらが新たな顧客情報。
「引き継ぎ?」
「ええ。先方から担当替えを要求されましてね。かなり怒ってらしたので、フォローお願いしますね」
「八宇さん、今日もまだ来てませんけど何したんですか?」
「まぁ、うちは回収当日中にお金を持って戻りさえすれば、出勤時間は構わないんですが……彼ね、お客さんに変なあだ名を付けたのがバレまして」
「あだ名?」
関川さんは苦笑しながら頷き、わたしの手にある資料を指差した。
「『ドラマチック・ババァ』。略して『ドラバァ』だそうです」
思わず吹き出し、咽せて咳き込んだ。そりゃお客さんも怒るだろう。
「ちなみに私の研修時代は『エセ月影先生』と呼ばれてました」
「えっと、すみません。それわかんないです」
「え、知りませんか? 月影先生。『ガラスの顔面』っていう、演劇の漫画の……そうですか。これがジェネレーションギャップかぁ。昭和は遠くなりにけり、ですねぇ」
遠い目をして呟く関川さんは少し寂しそうで、何だか申し訳なく思ってしまう。
「ま、長いお付き合いのお得意さんですから、頼みますよ」
資料に目を落としてみると……うん、なるほど。
特に今回は気を付けないといけないみたいだ。
今回のお客様はお婆さん。
巧みな話術と迫真の演技で、いつの間にか自分の劇場に引きずりこむモンスター……もといお客様らしい。
手の内が分かっていてもなお、気づくと彼女に同情してしまいそうになる……と。
あのブレない八宇さんがそう言うくらいなのだから、気を引き締めねば。
関川さんはデスク上の大きな広口瓶から一掴み、チーズアーモンドおかきを取り出し、わたしのポケットに突っ込んできた。彼は何故か、毎回何かしらの駄菓子をくれる。天使の笑顔を浮かべているので断りづらい。
ちなみに昨日まであったチュッパチャプスタワーはいつの間にか片付けられていた。
「さぁ、行ってらっしゃい」
そして目の奥に、悪魔の炎をちらつかせて。
「返してもらうまではくれぐれも手ぶらで戻ってこないように」
かくしてわたしは憂鬱と不安をずるずると引きずりながら、今日も顧客のもとに足を運ぶのだった。
~お題ここまで~
🍻 何だよ、ガラスの顔面って。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます