第一話 回答『幼少にして大黒柱の男の子』
🍻
部屋番号のプレートの下、マジックで書かれた表札の文字はほとんど掠れている。
無駄とはわかっているけれど、もう一度チャイムを押す。ピンポ〜ンという軽快な音が虚しく響いた。
「柱井さ〜ん、こんにちは〜! デビエンでーす」
応答がないので、ドンドンと安普請の玄関扉を叩く。
叩く拳以上に胃が痛い。キリキリと引き絞られるようだ。
ここは一度退いて、少し時間をおいてまた来てみようか。
メモを残そうと内ポケットから名刺を取り出す。
株式会社 デビル&エンジェル商事
「何度見ても胡散臭い名刺だな…」
思わず独り言を漏らしてしまう。うちの社長のセンスはどうかと思うんだ。金貸業の社名が「デビル&エンジェル」て。それを言えば、借りる方の気もしれないけど。
……なんて、自虐を交えながら胸ポケットのボールペンに手を伸ばすと、棒付きキャンディがポロリと落ちた。なんてこった、ポケットからポップな飴の束を覗かせたまま電車に乗ってしまった。急いで拾って鞄にしまう。
「あの、どちらさまです?」
背後からの声に顔を上げると、いかにもキャリアウーマン然とした女性が訝しげな表情を浮かべている。
「いえ、あの……」
正直に名乗ってしまってよいものだろうか。こんな怪しげな会社と付き合いがあるとご近所にでも知れたら、顧客の立場が悪くなるんじゃ……
手にしていた名刺をどう隠そうかと迷っていると、通りの向こうに停めてあった車から子供がランドセルを揺らしながら駆け寄ってきた。
「鷺岡さん、その人、大丈夫です。父さんがよくお金借りてる会社の人だから」
「にいちゃ、まお、おなかすいた」
「なおもおなかすいた」
「うん。お弁当もらってきたからご飯にしようね。二人ともおてて洗っておいで」
「「あい」」
トテトテと、双子のおチビちゃん達が揃って洗面所へ向かう。少年は背伸びして食器棚から皿を取り出し、狭い居間の小さな座卓に淡々と並べはじめる。
安テーブルの正面には、険しい視線でわたしの名刺を睨んでいる女性。グレーのパンツスーツに赤い縁の眼鏡が凛々しいその人は、鷺岡と名乗った。芸能プロダクションのマネージャーだそうだ。
「
「うん」
「まったく……で、今どこに?」
「さぁ、パチンコじゃないかな? 最近またボーッとしてることが多くなったし」
テレビ局で貰ってきたという弁当を皿に取り分けながら、玲央がわたしにペコリと頭を下げた。長めの前髪がさらりと揺れ、利発そうな瞳に影を落とす。
「いつもすみません、レンさん。今日お金おろしてきたので、ちょっと待ってください。あ、鷺岡さん。さっきの封筒を」
「あれ、借金返済のためだったのね……」
深いため息をつきながら、鷺岡さんは苦々しい表情で床に置いたランドセルに手を伸ばした。銀行の封筒を取り出しかけ、躊躇したように手を止める。
そんなに睨まないでほしい。わたしだって好きで取り立てに来てるわけじゃないし、ましてや子供から金をむしり取るような真似はしたくない。けど……
わたしは鞄から領収証を出し、差し出した。
「すみません。こちらも仕事なので」
ああ、胃が痛い………
金を確認し、「たしかに」と告げて封筒を鞄にしまう。続けて、いくつかのパンフレットを取り出しテーブルに置いた。
「実はこちら、お父様の 柱井 健 さんにお渡ししようと思って持参したんです」
「……児童養護施設?」
甲斐甲斐しく弟妹の食事のお世話をしていた、玲央の動きが止まった。
「ええ。正直、少額とはいえ借金を繰り返す人というのはもう、癖になっているようなもので……しかもパチンコ等のギャンブルに嵌っているのなら、抜け出せる望みも薄いと思います。
うちなんかはまだ優しい方ですけど、もっとヤバいところに金を借りるようになったら……そうなる前に、子供達を引き離した方がいいんじゃないかと」
「でも、
「その保護者が、今日みたいに幼い
「だめ!!」
深刻なトーンの会話を遮ったのは、恐怖を帯びた玲央の叫びだった。
「真央と奈央はぼくが守る! どこにも連れていかないで!」
双子の間から素早く立ち上がって鷺岡さんの隣に座り込み、腕に取り縋った。目に涙を浮かべて訴える。
「お願い、ぼく、どんな仕事でもやるから! セリフだって完璧に覚えるし、どんな役もぜったい上手にやるから! 真央も奈央も、ちゃんとお留守番できてたでしょ。玄関は絶対に開けちゃダメって言い聞かせてあるんだ。だから、お願い」
「玲央……」
「レンさん、お願いします。ぼく、ちゃんとお金返します。今日だって、ちょっといい役がついたんです。これからもっと頑張りますから」
ああ、いたたまれない。胃が痛む。なんでこんなに小さな子供が……父親は何をやってるんだよ……
「父さんだって、前はこんなじゃなかったんだ」
まるでこちらの心を読んだようなタイミングだった。目に涙を溜め、小さな肩を丸めて俯く姿には、思わずもらい泣きしてしまいそうだ。
だが同時に、何かぞくりとさせられるものがあった。
「お母さんが死んじゃうまでは、一生懸命働いていつもニコニコしてて優しかったんだ。いつかきっと、元の父さんに戻るから。ぼくが頑張ってれば、もうすぐ」
鷺岡さんが玲央の背中にそっと手を回した。
「……柱井さんは元々、駅近くのオフィス街で定食屋を営んでおられたそうなんです。でも昨年の暮れ、奥様が雪道で転倒してそのまま……それ以来、柱井さんは気力を失ってしまって、お店も人に譲ったのだとか」
俯く玲央の大きな瞳から、涙がコロリとこぼれ落ちた。次々に大粒の涙が転がり落ちて、小さな膝を濡らす。
「お母さん……」
「にいちゃ、泣かないで」
「にいちゃ、いい子して」
小さな双子達が、玲央に抱きつく。それぞれに頭を撫でたり手を握ったりして懸命に兄を慰め、玲央は涙を拭って精一杯弟妹に微笑んでみせる。そんな健気な彼らの姿に、鷺岡さんも目頭を押さえ洟を啜っていた。
鷺岡さんは部屋で双子達の遊び相手をしている。今後について話をするため、今日は父親が戻ってくるまで家に居るらしい。
玄関で靴を履いていると、玲央がパンフレットを抱えて忍び寄ってきた。
「今日はありがとうございました。これ、持って帰ってください」
先ほどの涙はどこへやら、わたしを見据える目つきは冷徹とも呼べるほどで、およそ子供とは思えぬ固い決意が宿っている。
「ぼくはまだ子供だから、大人の都合であの子たちと簡単に引き離されてしまう。だから施設には行きません」
パンフレットの束をわたしに突きつけ、いや、むしろ敵愾心剥き出しでグイグイと押し付けてくる。父親がパンフレットを目にしたら施設に預けられるかもしれない、その可能性を恐れているのだろう。
「レンさんがぼくたちのためを思ってくれてるのはわかります。施設もきっと良いところなんだと思う。でも」
「わかったよ」
わたしはおとなしくパンフレットを受け取り、鞄にしまう。そして小さな頭にそっと手を乗せ、ポンポンと撫でた。
「大した役者だ。涙を流すタイミングなんて、鳥肌ものだったぜ」
驚いたように目を見開く玲央に、わたしは腰を屈めてニヤッと笑いかけた。
「商売がら、嘘は見慣れてるんでね。君ならきっとやっていける。道を誤るなよ」
一瞬呆然としたものの、「バレたか」とばかりにニヤッと笑い返す玲央は、なかなかに逞しい。
「レンさん、集金に子役が必要になったら、連絡してよ。衣装揃えてくれれば女の子の役だってできるよ。ただし、ギャラは高いけどね」
背筋を伸ばし、小生意気にも得意げな顔でクイッと顎を上げる。
わたしが笑って拳を突き出すと、玲央も小さな拳をコツンと合わせてきた。
こんな仕事をしていると、親から子供を引き離さざるを得ないケースがいくらでもある。用意したパンフレットはどこも信頼できる施設のものだし、本来ならばすぐにでも各所に相談するべき案件だろう。だが……返済のオマケに、天才子役とのコネを繋いでおくのも悪くない。
なんせ、今日の今日までこのわたしも、彼のことをただ「家族思いのしっかりしたいい子」だと思い込んでいたのだ。もちろん家族への想いに嘘はないのだろうが、その裏にこんなに強かな一面を隠していたとは。いや、強かにならざるを得なかったと言うべきか。
いずれにしろ、その強かさは芸能界を渡るのに必要な資質だろう。
ふと思い出して、鞄から棒付きキャンディを4つ取り出し、玲央に手渡す。
「小さな大黒柱に敬意を表し、とりあえず通報は見合わせることにするよ。父ちゃんにくれぐれもよろしく言っといてくれ」
帰りしな、通りの向こうに停めてある車のワイパーにもう一枚名刺を挟んだ。家に置いてきた名刺は、玲央が処分してしまうかもしれないから。
あの女マネージャー、わたしの身許が判明するまで玲央を車に留めていた。玲央の演技にあっさり騙されてはいたが、彼を大切に扱っていることはわかるし、事務所もマトモみたいだ。もし施設の情報が必要になれば、わたしに連絡を寄越すだろう。
「回収完了。社に戻ります」
関川さんに短く報告し、夕焼けを背負って帰路につく。
棒付きキャンディを舐めながら未来のオスカー俳優に想いを馳せて歩くうち、胃の痛みはいつしか消え去っていた。
🍻『幼少にして大黒柱の男の子』 おわり
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