エピローグ 『ようこそ』

 彼らを見送り、キクさんと破れ堂の掃除をした。その間も涙を見せることなく、耐え切った。

 掃除を終えて家に帰っても、食事する気にもなれず風呂にも入らず、何も考えずに眠った。


 こちらの都合などお構いなしに、容赦なく朝はやってくる。朝の光の中で見渡す部屋は明るく爽やかで、うつろだ。

 なんだか不思議な気持ちだった。

 前にテンと離れた時のような迷いや孤独も感じない。

 志乃ちゃんは助かったし、他の依代に宿った神々も、全員とはいかなかったが概ね復活できた。アッシー(キクさん命名)も倒したのだから、満足感や達成感を覚えても良いはずだが、それもなかった。


 本当に、頭の中がすっからかん。心の中も空っぽ。まさに放心状態。

 そういうわけでわたしは、朝からぼーっと天井を眺めて過ごしていた。


 いきなり玄関の安普請のドアを連打されたのは、昼近く。

 テンが来たのでは、とは一瞬たりとも思わなかった。だってテンは、こんなふうに乱暴にドアを叩いたりしない。こんなことをするのは、どうせ ───


「フタヒロ、開けな! 電話にも出ないで、何やってんだい!」


 やっぱり、キクさんだ。電話なんて、気づきもしなかった。ノロノロとベッドから出て、玄関へ向かう。その間も、玄関のドアはドンドンと音を立てている。うるさいな……


 ガチャっと鍵だけを開けた。いつもならここで、「よう」とキクさんがドアを開ける。


「どうぞ……」


 ドアは開かない。その代わり、外から声が聞こえた。


「フタヒロ、自分でドア開けな。そんで、自分の目で見てみな」


 言われるままドアを開け、キクさんの視線を追う。

 玄関の前には、素朴な野の花束が置かれていた。



 テンの声が蘇る。


『あの、これ……おみあげ、です』


 初めてテンと出会った日の翌朝、お茶漬けのお礼にとテンが摘んできてくれた、素朴な花束。花をグラスに活けて、一緒にカレーを食べたっけ。あの頃はまだ、テンは遠慮がちで、二人ともぎこちなくて……



 いきなり、涙が溢れた。やせ我慢も限界だった。玄関先に膝をつき、花束を握りしめて泣き崩れた。自分でも呆れるくらい涙が流れて、止まらない。けれど、空っぽだった心の中が、温かく誇らしいような気持ちに満たされていく。



 こんにちは。

 さようなら。

 ただいま。

 おかえり。

 いただきます。

 ごちそうさま。


 テンと二人で繰り返した、いろんな言葉の詰まった花束。


 そして新たに加わった、『いってきます』。


 だからわたしは、ちゃんと言おう。顔を上げて、晴れやかな笑顔で。


『いってらっしゃい』



 いつか笑顔で、『おかえり』と迎えるために。

 楽しい食卓を囲んで、美味しい料理を一緒に食べるために。




 🦊



「テンは立派に旅立った。お礼の花束まで用意してさ。しっかりしな、セッキー。呆けてる暇は無いよ。この後どうするか、決まってんだろ?」


 いつの間にか部屋に入っていたキクさんに、タオルを差し出された。泣き崩れているわたしの横をすり抜けて勝手に入ったのだろう。相変わらず、自由な人だ。でも、そういう人だから、こちらも気が楽なのだ。

 わたしはタオルを受け取って顔を拭き、頷いた。空きっ腹がひくひくしているのに気づく。


「はい。除霊業に復帰しようと思います」

「そうくると思ってたよ。今までみたいにモグリの仕事じゃなくて、ちゃんと組織に所属するんだね?」


 公にはされていないが、キクさんやケイさんが所属する除霊業の母体は、実は神社庁である。うんと大雑把に言ってしまえば国の組織で、きちんと依頼を受けて仕事をし報酬を得る。


「はい。でも、料理人としても再出発するつもりです。やはりわたしは…」

「それもわかってるさ。顔に書いてある」


 美味しいものを食べさせてやりたいという熾火のような想いは、より一層、明るさと熱を放っている。もっとも昔のような燃え盛る炎ではない。もはや消えることのない、静かで絶対的な熱量を持った炎だった。


「今のあんたなら、成功するよ。あたしも応援する」


 師匠の太鼓判に胸が熱くなる。きっと、大丈夫。そう思える自信が持てた。



「除霊業のコードネームを考えておいたよ。表の家業は料理人ってことで、『闇の調理衣ダークネス・エプロン』ってのはどうだい?」

「嫌です。お断りします」

「えええ、せっかく考えたのに……」

「自分で考えますから…っていうか、ほんとにコードネームなんて要るんですか?」

「あ、当たり前だろっ! かっこいいじゃないか」


 わたしの疑いの眼差しに焦ったのか、師匠は次なる名前を捻り出してきた。


「じゃあ、アレだ! 斬った悪霊は地獄行き! 地獄の料理屋ヘルズ・キッチンってのは?」

「どっちもどっちですけど……」

「よし、決まりだね! Hell's Kitchen 関川、強そうでいい」


 人のコードネームなのに、こうやって勝手に決めてしまう。相変わらず、自由な人だ。

 でも、そういう人だから、こちらも気が楽なのだ。




 🍻




 一年が経った。


 乱れていた境界が無事修復され、各世界線の秩序は元に戻った。

 男の言っていた「神を喰らう力をくれる存在」が本当に実在するのか、まだ判断がつかない。ただ、新たなは起きていない。もしかしたら、男のハッタリだったのかもしれない。


 コードネーム「Hell's Kitchen 関川」としての活動は、まずまずと言ったところ。

 霊を説得して成仏に向かわせるという手法は相変わらず。刃物を愛するわたしだからこそ、なるべく刀は使わないことにしているのだ。

 なんといっても、刃物というものは、身を守るためか美味しいものを作るためにこそあるのだから。


 ただ、タチの悪い悪霊にはやはり刀を向けるしかない。これまでに何人か、地獄に落とした。あの男と同様、「地獄よりも酷い場所」へ送った者もいる。

 ただしそれは実のところ、相手に暗示をかけただけ。己に悪の自覚があるから、恐怖によって暗示にかかり、自分自身を永遠の暗闇に縛り付けるのだ。自業自得、ってやつ。



 表の稼業も順風満帆。

 レンタル・キッチンカーでの営業から始まって、わたしは遂に店を構えた。お客さんの顔が見える、カウンター席だけの小さな店。だけど、念願の自分の店だ。

 その店のささやかなオープニングパーティーが今、無事に終わった。客はみな笑顔で帰って行った。滑り出しは上々。

 パーティーの招待客は、もちろんキクさん。それにケイさんとそのご家族。キクさんはいつもの格好だったけど、戦闘服じゃないケイさんはシックな黒のワンピース、髪もメイクも普通でなかなかにエレガントだった。他にも、キッチンカー時代のお客さんや昔の同僚、行きつけのスーパーの店員さんや除霊業のメンバー、コマさんも集まってくれた。


 そうそう、コマさんといえば、志乃ちゃんが神になった経緯を教えてくれた。

 生前体が弱かった志乃ちゃんは、部屋の窓から遠くに見える祠に向かって毎日お祈りしていたそうだ。

 実はその祠は、その家のずっと前の住人が庭先に建てたもので、家族の形見を祀った個人的なものだった。その後家主が何度か代わっても取り壊されずに残っていたものの、特に顧みられることもなく祀られていた神様は力を失っていたのだが……元々霊力を持っていた志乃ちゃんがあまりに熱心に拝むので、祠自体が神聖を帯びるに至った。

 志乃ちゃんが若くして亡くなると、彼女の魂は大切な赤い櫛に宿り、その祠へすっぽりと収まったのだという。

 つまり志乃ちゃんは、自分で作り上げた神様の座に、自分が収まってしまった。いわば、DIY神様なのだ。

 異例中の異例だが、全国の神様にきちんとご挨拶をし、修行を経ることで、正式に神様として存在することを許されるそうだ。テンが天狐になれた暁には、その遣いとなるだろう。


 修行の旅も順調らしい。神社間の移動には狐と少年の姿を上手く使い分け、時折各地の神職の力も借りながら旅をしているそうだ。

 つい先日も、ひらがなばかりのハガキが届いたところだ。

「せっきー、げんきですか。てんとしのちゃんはげんきです。あいぼうより」。ハガキの片隅に、可愛らしいテンの足型🐾が押してあった。


 彼らが修行を終えたら、この店で盛大にお祝いしよう。新たなテン・スペシャルを考えておかなきゃな。



 🍻



「やっと……見つけた」


 店の看板をしまおうとしていたところに、背後から涼やかな声が聞こえた。振り返ったわたしは、彼女の姿に釘付けとなった。


 わたしをまっすぐに見つめる、理知的な瞳。ピンと伸びた背筋。

 ひと目見て、まるで『刃物の化身』のような女性だと思った。凛と研ぎ澄まされていて妥協を許さない。揺るぎなくまっすぐに美しい。僕の理想の女性だ、この出会いは運命だ……


 そんな心のうちはおくびにも出さず、わたしはにこやかに話しかけた。


「こんばんは。この辺りはビジネス街だから、日曜にはどこも早く閉まっちゃいますよね。開いてる店を探すのは大変だったでしょう。中へどうぞ。と言っても、もう閉めちゃったから大したものは作れないけど、それでもよければ」


 その女性はおずおずと中へ入り、店内を見回した。何故か張り詰めたような雰囲気を漂わせる彼女は、それでもやはり美しかった。

 遠慮しているであろう彼女を少しでも和ませようと、軽い口調で話しかける。


「ついさっき、オープニングパーティーを終えたばかりだったんです。だからあなたが、記念すべき最初のお客さま。なので特別メニューをお作りします。何が好き? 何が苦手? 何を食べたい? ご要望にお応えしますよ、ただし、今ある食材でできる範囲で、ね」


「……では、お言葉に甘えさせてもらいます」

 彼女は遠慮がちにそう言ってカウンター席に座り、一礼した。そんな所作までも好もしい。


「お腹は空いているけれど、こんな時間ですし、お手間を取らせるのも申し訳ありません。何か手早くできて、お腹に優しいもの……お茶漬けみたいなもの、いただけますか?」

「もちろん」


 出会いのメニューは、やっぱりお茶漬け。不思議な気もするけど、運命ってのはそういうものなんだろう。


 わたしは水の入った真新しいグラスをカウンターに置き、微笑んだ。


「ようこそ、Heaven's Kitchenへ」



 🍻🍻



 〜 おわり 〜




 最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 参加されたみなさま、お疲れ様でした。

 そして、企画主として毎回素敵なお題を出してくださった関川さまに、心からの感謝と拍手を送らせて頂きます。今回もすごく楽しかったし、大変勉強になりました! ありがとうございました。

 

 本作は、ハーフ&ハーフ企画第一弾、問⑨『苦い思い出の話』へと繋がるお話でした。もしお時間がありましたら、そちらも読んでいただけたら嬉しいです。

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