第3話 ユキと幸介
世界はいつも強者に優しい。幸介がそう気付いた日から、彼はまるで飢えた獣のように暴れまわり、力をつけていった。
幸介がいじめっ子達を病院送りにしたという事実がいじめがあったことを公表したくない学校側と警察官僚である幸介の父親の力によってあっさりと揉み消されたことで、幸介は自分が何をしても許される立場にあることに気が付いたのだ。
女子の制服に身を包んだ幸介に仲間がやられたことが信じられずに校内で喧嘩をふっかけてくる者、仲間の仕返しにと陰湿な虐めを仕掛けようとしてくる者。それら全ての生徒たちを、幸介はゆっくり、しかし確実に潰していった。
喧嘩の際は必ず相手の攻撃を一発受けてから。それが幸介のやり方だった。まともな喧嘩をしたことが無い子供たちは、いつも取り巻きを連れて幸介に絡んでくる。そんな相手の攻撃を一発受けたあと、一番気の弱そうな奴だけを残し気が済むまでやり返す。そうすれば後は簡単。腰を抜かして震えるそいつの胸ぐらを掴んで優しく微笑み、これが「正当防衛」であるという証人になってもらう。そんなやり方を続けていくうちに中学一年の夏には同級生の男たちの中で幸介に逆らおうとするものは姿を消した。
「……お前だろ? この間二年けしかけてきたの」
「あら、一体何の根拠があってそんな、」
「女だからって俺が手出さないとでも思ってんの?」
厄介なのは女子生徒だ。直接暴力を振るってくることが無く、遠回しに嫌がらせをしたり上級生に泣きついてみたりする彼女たちは、男たちより遥かにしたたかでずる賢い。しかしそんな彼女らも、喧嘩を重ねるごとに少しずつ逞しくなっていく幸介に直接見下ろされると流石に危機感を覚えたらしい。
「な、殴るなら殴りなさいよ! 今までは揉み消せたかもしれないけど、」
「はあ? 殴るよりもっといいことあんだろ?」
「なっ……!」
「代議士のパパに『嫁入り前なのにキズモノにされちゃった』って泣きついてみる?」
ニッコリ笑ってそう言いながら相手を壁際に追いやれば、みんな揃って顔を青くする。そうやって一人ずつ脅しをかけると自然と嫌がらせは無くなり、一年が終わる頃には幸介はすっかり平穏を手に入れていた。
「自分よりブスな女相手に勃つわけねえじゃん……」
以前より少し平らになった拳には不釣り合いなほど綺麗に整えられた爪を眺めながら独り言ちる。体力をつけるために毎晩走り始めたこともありどんどん筋肉質になっていく幸介の身体を採寸するたびに、母はいつも悲しそうな顔をするようになった。いや、あれは身長が少しずつ伸び始めた頃からだろうか。本当は彼女だってもう気が付いているのだ。幸介は自分を嬲ったあの背広姿の人間たちや夫と同じ男で、女の子にはなれないと。しかし今でも幸介は母親の前では幸であろうとしたし、彼女の言うことには逐一従うようにしていた。
それが幸介なりの贖罪だった。泣き叫ぶ彼女を守ることが出来なかったことに対する、せめてもの罪滅ぼし。
学校で女子生徒相手に手を出さないのも、本当のところ同じような理由があった。父親と同じように力で全てを支配しようとする自分から逃げるためにセーラー服に袖を通し、幸として笑う。母親に愛されるため化粧をし、裁縫を習い、料理を作って女になる。結局のところ自分よりも「弱い」存在である女という性に助けられ、守られていることに気付いていながら、そんな「女」である彼女たちをどうこうしようだなんて気には全くならなかったのだ。
そんな幸介が一人の女子生徒と出会ったのは、二年の春のことだった。彼女の名前は桜木優希といった。幸と同じ、ユキ。パッチリとした二重がよく似合う小柄な彼女はこの学校では珍しく一般家庭の子供で、奨学金をもらって中等部からの編入生として学校へと通っていた。努力家で思慮深い、普通の女の子。しかし大人しい性格とそんな物珍しい境遇が原因となり、かつて幸介に向けられていた虐めの手は少しずつ彼女へと向けられるようになっていた。勿論幸介はそんなことを知る由も無かったのだけれど。
その頃の幸介は、強くなることだけを考えて頻繁に学校を休むようになっていた。毎晩のランニングに加えて筋肉トレーニングをするようになり、どこかで喧嘩があると耳にすればその技を盗むためこっそり見に行ったりもした。
ある晩いつものように走り込みを行っていた幸介は、路地裏で複数の男たちが揉めているのを見つけて足を止めた。正確には、その中に見覚えのある姿を見つけて思わず立ち止まってしまったのだ。優しそうな笑顔を浮かべるスーツ姿の細身の男。忘れもしない。忘れられるわけがない。かつて幸介の家に入り浸り、母を犯したあの男だった。
「~~~! ~~~?」
あの日のように薄い笑みを浮かべる男に向かってガタイのいい男が何かを叫んでいる。男は一人で、相手はいかにもゴロツキという風体の男が三人。素人目にも男が不利であることは確かだ、と思っていた。男の胸倉を掴んだゴロツキ風の男が、一瞬で地面に沈められるのを目にするまでは。
胸倉を掴んだ男の肘に軽く触れたと思ったら、相手はいつの間にか男の足元に突っ伏していて。それを見て飛びかかっていった仲間の顔に男がスッと手を触れると、そいつは叫び声を上げながら顔を覆い地面に膝をつく。そんな相手の脇腹に膝蹴りを入れながら残る一人の首元に肘鉄を叩きこんだ男は、足元に倒れ込む男たちを一瞥するとパンパンとジャケットについた埃を掃うと何事も無かったかのように歩き始めた。
幸介には、まるで男が魔法を使ったかのように思えた。それぐらい鮮やかに、男は次々と相手を倒していったのだ。
「……キミは……幸介くん、だったかな?」
あまりの衝撃に身を隠すことを忘れていた幸介は、目の前でそう言って首を傾げる男に気付いてようやくハッと我に返った。
「……こんばんは」
「こんばんは。感心しないね、こんな時間に一人歩きするのは」
「いえ、トレーニングの途中で……その、あなたを見つけて……」
久しぶりに対峙する圧倒的な強さを持った存在に、幸介の声は自然と小さくなっていく。強くなったと思っていたのに。ただ立っているだけの相手から発せられる威圧感に、幸介はすっかり気圧されてしまっていた。
「トレーニング?」
「はい。その、訳あって普段女装して学校に通ってるんですけど、そうするとどうも絡まれやすくて」
母を、自分を苦しめた相手を目の前にして、幸介は相変わらず無力だった。それどころか、あまつさえ彼は目の前の男の強さに憧れのような気持ちを抱いていた。
「へえ……強くなりたいの?」
「……はい」
「お父さんに教えてもらったら?」
「……父、はあまり家に帰って来ないので」
振り絞るような声でそう言うと、男は目を細めてしばらく何かを考えるようなそぶりを見せた後、ニッコリ微笑んだ。
「俺が教えてあげよっか?」
「……え?」
「喧嘩。お父さんには聞けないんでしょ。嫌いだから」
「……っ、別に嫌いじゃ、」
「ああごめん。殺したいぐらい憎い、の間違いだった?」
「すみません、僕、帰ります」
その場で踵を返そうとした幸介の目の前の壁にスッと伸びる男の腕。驚いて男を見上げれば、全てを見透かしたような男の瞳に映り込む自分と目が合う。
「俺さ、幸介くんのお父さんより強いよ?」
先程までとは違う、男の低く深い声。幸介の柔らかい黒髪を弄びながら、男はすっかり固まってしまった幸介の耳に口を寄せて愉しそうに囁いた。
「そして幸介くんなら俺より強くなれる……かも」
その言葉を聞いて、男の瞳に映る幸介が目を輝かせる。強くなりたい。湧き上がるそんな思いを止めることができずに、幸介は黙って男の手を取った。
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