第28話

北木 里枝が自身の容姿を曝け出したことによって警備員たちの誤解は瞬く間に解けた。彼らはしきりに頭を下げて非礼を詫びていたが、正直言って悪いのは誤解を招く格好をしていた北木 里枝であって、彼らは何も悪くない。そのことを北木 里枝本人も自覚していたのか、彼女は謝る警備員たちに頭を下げて謝っていた。



そんな謝罪の応酬を北木 里枝の隣りでぼんやり見ている俺。今一番追い出されるべきは俺な筈なのだが、警備員たちが襲いかかってくることはなかった。おい仕事しろよ。……まあ本当に追い出されたら最悪前科持ちになってしまうので、このまま北木 里枝の関係者ということで通してほしい。



謝り合戦が終わると、俺たちはとある部屋へ案内された。そこは広くてキラキラしてきてガヤガヤしている視覚的にも聴覚的にも騒がしい感じの空間だった。大人の数は決して多くはないが、誰もが忙しそうに動き回っている。椅子。机。書類の束。鏡台。化粧品。お菓子。ロッカー。



楽屋と呼ばれる部屋に入ると、大人たちの中の1人がこちら、正確には北木 里枝を見た。その人はここにいる誰よりも長身で、真っ黒のパリッとしたスーツを纏っていて、真面目が服を着たような感じの女性だった。



その女性は物凄い剣幕で北木 里枝に詰め寄るとギュッと彼女を抱きしめて早口でこう言った。



「もうっ!一体どこへ行ってたのよ!?ホテルにはいないし電話は繋がらないし会場にはいないし!私がどれだけ心配したか分かる!?貴女はただのJKではないの!?北木 里枝という大人気声優なの!!もっとその自覚を持って行動しなさい!気まますぎ!猫か!水溜りや日向へ好き放題のらりくらりする野良猫か!もし今後もこのような気ままが続くのであれば私は貴女の首筋辺りにでもGPSを埋め込まないといけないわ!」


「ご、ごめんねマネちゃん!善処するから体内GPSは勘弁して!」


「善処するというのなら勘弁してあげる。私も鬼ではないから。でもいくらなんでも連絡がつかないというのはどうかと思う」


「スマホの電源が切れちゃったの」


「携帯電話もなしによくここまで辿り着けたわね。まさか方向音痴が治ったとか!?」


「ないないない!それはないって!そこの親切な学生さんが助けてくれたの」



マネちゃんに抱き締められながら人差し指で俺を指差す北木 里枝。マネちゃんは抱擁を解くと俺を睨んだ。高身長から放たれる鋭い眼光のあまりの迫力に、俺はたじろいだ。



マネちゃん、なんか凄く怒ってないか?いや怒っているに違いない。だってどこの馬の骨だか知らない野郎(俺)が大人気声優である北木 里枝と行動を共にしたのだから。相手が俺だから良かったものの、もし北木 里枝が良からぬ連中によって良からぬことをされていたら、そんなことは決してあってはならないし、決して許されることではない。俺のことを全く知らないマネちゃんにとって、目の前の男は北木 里枝の隣りにいるだけで罪な存在となるのだろう。



実に不本意だが、そう思われても仕方ない。なのでたじろぎはしたが、制裁を受ける覚悟は出来ていた。ビンタの一発でも来いやと腹に力を入れていたが、そんな俺の覚悟に反して、マネちゃんとから飛んできたものは平手でも罵倒でもなく、謝罪と感謝の言葉だった。



「この度はうちの北木がご迷惑をお掛けして誠に申し訳ありませんでした!そして北木をわざわざ運び届けいただき誠にありがとうございました!ほらっ、貴女も頭さげる!」



頭を下げるマネちゃんに倣い、北木 里枝も頭を下げる。



「ごめんね!そしてありがとうっ!」


「謝罪はともかく、お礼を言われることをした筋合いはないです。何故ならば、北木 里枝をここに連れてきたのには目的があったからです」


「目的?なんですかそれは?」



訝しむマネちゃんに俺は経緯を説明した。神社で瞑想していたらその姿を撮られ、消してもらおうとしたら携帯電話が切れ、このままでは会場に辿り着けないと泣かれ、会場に行けば携帯電話が充電できるので、電源がついたら速攻で写真を消してもらおうという腹積りを言葉にすると、マネちゃんは再び謝罪した。



「ごめんなさいっ!うちの北木が!もうっ!この子ったらもうっ!もうっ!」


「いや謝罪はもういいので携帯電話を充電してもらってもいいですか?」



長髪を振り乱してペコペコ頭を上げ下げするマネちゃん。このまま謝られっぱなしではいつまで経っても目的が達成されないし、なんだか申し訳ないので、俺は激しく謝るマネちゃんを制し、きっぱりと指示した。



「はい!かしこまりました!ほらっ、里枝ほらっ、スマホ出しなさい!」


「おおー、あのロボットのような鉄壁堅物マネージャーちゃんが過去一人間味を出しながら学生の言いなりになってる!」



これは珍しいものが見れたとでも言いたげな感じで感心しつつ、自身の携帯電話を取り出す北木 里枝。マネちゃんは彼女から携帯電話を奪い取るとすぐに充電用のケーブルを用意し、充電を開始させた。



数秒後、北木 里枝の携帯電話は息を吹き返した。真っ黒だった画面が明るくなり、さらに暫くすると待ち受け画面が表示された。北木 里枝が携帯電話を操作して写真のアプリを開く。物凄い量の写真が所狭しと表示され、その一番下に目的の写真はあった。



「これだ!今すぐにこれを消すんだ!」


「はーい!大変長らくお待たせしましたー」



言いながら俺の写真を消す北木 里枝。確かに写真が消去されたことを確認した俺は安堵のため息を吐いた。……よし、これでやっと北木 里枝から解放される。とっととこんな場違いが所から離脱して春鳴り散歩をしようじゃないの。



「目的は達した。なので俺はこれでおいとまさせてもらおう」


「えー!もう帰っちゃうの!?もっとゆっくりしてけばいいのに」



北木 里枝が何故か残念そうに言うが、俺は首を振った。



「もうここにいる理由がない。それにこれから色々準備があるんだろう?だったらお邪魔虫はとっとと退散した方がいいだろ」


「お邪魔虫だなんてとんでもない!君のおかげでここまで来られたんだから!恩人だよ、恩人!だから何か恩返しさせてよ!」


「そう言われてもなあ……」


「あっそうだ!リハ見てってよリハ!流石に本番のチケットは無理だけど、リハーサルだったら全然見ていってくれていいから!」



北木 里枝が指パッチンをしながらハキハキ言う。え、いいの?いやいやダメだろ!そう思いながらマネちゃんの方を見てみると、彼女は北木 里枝に賛同するかのように何度も頷いていた。



「……ちなみにリハーサルって何をするんだ?」


「ステージに立って、軽く歌ってみて、音響や照明を調整するって感じかな。後は本番での動きの確認とかするの」


「そういうのって無関係の人間にみせてもいいものなのか?」


「無関係の人間だからいいんだよ!ファンやお客さんに練習してる姿を見られらるのは恥ずかしいから好きじゃないけど、君、私のファンじゃないじゃん?今夜のライブのお客さんでもないじゃん?だからいいの!というわけで遠慮なく見ていって!」



ズイッと迫り両手で俺の右手を包む北木 里枝。その手の温もりに不覚にも心臓が飛び跳ねた。まったく!年頃の大人気声優がそういう軽率な行動をとるなんて、いけません!こんなところをファンに見られたら何をされるか分ったもんじゃない。今すぐにでも手を払いたい。だが万が一変に力んで彼女に怪我を負わせてしまったら今日のライブを楽しみしていた花坂に申し訳が立たない。



「わ、分かった!見るからこの手を離してくれ!」


「えっ、本当!?」


「お、男に二言はない!」



俺が何度も頷くと北木 里枝は両手をあげて喜んだ。なんだか喜び方が花坂に似ていて可笑しかった。

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