第27話
人との関わりをなるべく避け、人生における自由な時間のほとんどを読書に費やしてきた俺にとって、『四季の音芸術劇場』はまったく縁のない場所だ。当然行ったこともないし、どんな所かイメージ出来ない。
北木 里枝が言うには、春鳴り唯一にして最大の劇場である四季の音芸術劇場には大きく分けて4つの空間があるそうだ。大ホール。小ホール。コンサートホール。リハーサル室。彼女がライブを行うのは大ホールで、総席数はなんと2500!
「それが完売しているってことは、2500人ものファンがあんたを観に来るってことか……。すげえな」
「ライブ配信もやってるから実際はもっとたくさんのファンの方が観てくれるよ!」
他人からの視線を少しでも減らすため、多少遠回りになるが人通りの少ない経路を行く俺と北木 里枝。裏暗く細い路地裏なんかを歩いていると隣りにいる大人気声優が密売人に見えてくるのだから格好って本当に大切なんだなと思う。
「……ていうかいつの間にか私に対する敬語が消えているんですけど?」
「なんか、敬語使うのが面倒になってきたから」
「まっ、別にいいけどね!あ、ところですっごい今更なんだけどさ、君の名前ってなに?」
訊かれて俺はハッとした。確かにまだ名前を名乗っていなかった。いや、でもいくら相手が有名人だからといって軽率に本名を教えてもいいのだろうか?個人情報を他人に公開するのは非常によろしくないことだと学校でも習ったし、なんなら男にもそう教わった。
「名乗るほどの者じゃない。どうせ携帯の写真が消えたらオサラバなんだから『君』で結構」
「まっ、なんて連れない学生なんでしょう!……実は成人してて社会人で多忙な日々に精神がやられて感情が希薄になっているとか?よくないよ!今すぐメンタルクリニックへ行った方がいいって!」
「失礼な!こちとら健全でピチピチな高校2年生だ!」
「おっ、じゃあ私の方が先輩だね。自分、高校3年生なんで!」
「さいですか」
「いやだからもっと興味もってよー。どこ高なんですかとか部活は何やってるんですかとか大人気声優なのに高校通ってて凄いですねとかさー!」
「何度も言ってるけど興味ないんで。あと個人情報は安易に公開しない方がいいぞ」
「マネちゃんみたいなことを言う!あ、マネちゃんってのはマネージャーのことね。まあ、訊かれたところで答えないけどさ!」
「質問したところで結果が見えているんだったら質問する意味なくないか?」
「それはそうだけど、それはそうとして色々訊かれるのはいい気分なわけ!分かる?あ、このヒト私のこと知りたいんだなー、興味持ってくれてるんだなーってな感じでさ」
「分からん。俺はどちらかというと人から興味を持たれたくないタイプの人種なんで」
「えー!うそっ!でも心のどこかにあるんでしょうっ?人と関わりを持ちたいって気持ち!」
「そりゃあ、あるにはあるけど……」
「このシャイボーイめ!」
肘で脇腹あたりをグリグリやってくる北木 里枝。ムカついたのでやり返してやりたいけど、俺がそれをやったらセクハラになってしまうので我慢した。くそう、こっちが『曰く付き』で他人に正体をバラせないのを知らずに呑気に好き放題言いやがって。
「そんな君に人生の大先輩である私からアドバイスを差し上げよう!耳の穴をかっぽじいて心して聞くといいよ!」
「耳の穴なら常時あいてる。かっぽじるまでもない」
北木 里枝は歩みを止め、俺の目をサングラス越しに見据えると、わざとらしい咳払いの後にこう言った。
「君には他人に言えない秘密がある!それが君の人格形成に物凄く大きな影響を与えていることは今までの言動で察したし、それが何なのか問い詰めるつもりは毛頭ないから安心して!でもね、もしその秘密を共有できる人がいたとしたら、今後できたとしたら、その人は本当にかけがえのない友達だから、一生大切にした方がいいよ!」
恐ろしく真剣な声色で物凄く真面目なアドバイスがきたものだから俺は驚いた。そして北木 里枝がこの短時間で俺の秘密に迫りつつあったことにも驚いた。なんという洞察力!これが大人気声優の実力か!…………いや、声優は関係ないか。
「おー、鳩が豆鉄砲を食ったような顔してる!うけるんですけどー!」
「勝手にうけててくれ……」
真剣な声からおちゃらけた声になった北木 里枝の温度差にため息を吐く。なんだか疲れたよ俺は。
「……まあ、頭の片隅にでも置いておくよ」
「うんうん、そうしなさいな!」
北木 里枝は明るく溌剌に言うと今度は俺の背中をバシバシ叩いた。なんて馴れ馴れしい声優なんだろう、もうちょっと遠慮してほしい。
裏路地を抜けて大通りを歩く。ゴールデンウィークの春鳴りは大勢の人たちで大賑わいで、まだ午前8時だというのに活気に満ちていた。人混みが苦手な俺は今すぐにでも秋鳴りに帰りたくなったが、会場に辿り着くためには避けては通れない道なので、仕方なく行く。
「ひえー、すんごい人だねえ」
「帰りたい……」
「ありゃりゃ、もしかして人混み苦手系男子だったりしちゃう感じ?だとしたらごめんねっ」
「別にいいって。それより声を抑えろよ、この人混みの中で万が一誰かに気づかれたらまずいだろ」
「りょーかい」
得体の知れない、理由のわからない人混みだが、幸い歩けない程ではない。人々はゆっくりだが流れているので前後左右に気をつけて、流れに沿って歩道を行く。そうして時間は掛かったものの、トラブルが生じることなく目的地に到着したのであった。
「ここが四季の音芸術劇場かー」
まるで馬鹿でかい鯨が大口を開けたかのような正面口を前に、俺は呟いた。隣りでは北木 里枝が何故か腕を組んで、うんうんと得意げに頷いていた。
「そうですここが四季の音芸術劇場なのです!……なんて得意げに言ってみたけど、来たのは初めてなんだよね」
「今夜ここでライブするってのに!?」
この業界の事情は一切分からないが、こういうのって事前に入念な下調べがあったうえでの本番じゃないのか!?
「会場内の情報は頭の中にあるから、あとは機材の調整だけでいいんだよ。もちろん歌詞も振り付けも完璧なので、現場でやることって意外と少ないんだよね」
そんな大変なことをさらりと言えるあたり流石はプロといったところだ。……なんか声優というよりアーティストな感じがしてきた。
「……ラジオで喋ってライブで歌って踊って、そのうえ声の出演までするとか、声優ってハードすぎるだろ」
「わたくし、写真集も出してます」
「……俺はもう声優という仕事が分からなくなってきた」
「もちろん皆が皆そうってわけじゃないよ!吹き替え専門の人だっているし、顔出しNGの人もいるし、歌わない踊らない声優もたくさんいるんだけど、私の場合は全部出来ちゃったからね、やれることはどんどんやっていこうって感じで今に至りました!」
「天才じゃん」
「えっへん!」
自慢げに胸を張る北木 里枝。
「……でも土地勘はないのな」
「ぐぐっ、痛いとこをつかないでよ。ほら、なんでも完璧にこなせる完璧人間よりも、少しだけ短所というかウィークポイントがある方が愛嬌があるじゃない?そういうことなんですよ、はい」
「まあ、それはそのとおりかもな。天は二物を与えずっていうくらいだし」
「そうそう!」
北木 里枝は何度も何度も頷くと、自身の不得手を誤魔化すように笑った。
それから俺たちは会場に入るために正面口、ではなく何故か裏口へと向かった。巨大な会場の外周をぐるりと回り込んで、『関係者以外立ち入り禁止』と書かれたドアの前に立つ。
「……俺、思いっきり部外者なんだけど。入っちゃっていいのか?その瞬間に屈強な男たちに取り押さえられて現行犯で逮捕とかされないか?」
「大丈夫だよ!この会場の今夜の主役の私が許可したんだから追い出されることはないって!まして逮捕なんてないない!」
不安に怯える俺を励ますようにそう言うと、北木 里枝はコートの内ポケットから1枚のカードを取り出した。それをドアノブにかざすとカチッという小気味良い音がした。察するに解錠の音だろう。
「さあさあどうぞどうぞ!」
「……おじゃましまーす」
北木 里枝がドアノブを捻り、ドアを開ける。すると、通路の両脇にて腕を組んで威圧感を放っている屈強な男2人と目が合った。俺を見て、隣りの北木 里枝を見ると、その不審者極まる格好をしている北木 里枝を取り押さえようと飛び掛かってきた。
恐らく彼らはこの会場の警備員で、自分たちの仕事を全うしようとしている最中なのだろう。しかし、取り押さえようとしている相手はあんたらが一番守らないといけない今夜の主役なわけで、なんだか本末転倒な気がしてならない。とりあえず取り押さえられた際に怪我でもされたら気の毒なので、俺は素早く北木 里枝を抱きかかえると、警備員をかわすように後方へ大きく飛び退いた。
「えっ、えっ?」
あまりに一瞬の出来事で、自分の身に何が起こったのか把握出来ていないであろう北木 里枝の素っ頓狂な声を無視して、すぐさま俺は彼女の右手にあるカードを警備員たちに見せた。
「この黒いのは北木 里枝なんです!紛らわしくてごめんなさい!!ほ、ほらあんたマスク外して顔をお出し!!」
警備員が訝しげな様子でカードを見ているうちに、俺は北木 里枝を急かした。なんだか変な口調になってしまったが、緊急事態なのでやむなし!
「は、はい!」
我に返り慌ててマスクを外す北木 里枝。ついでに被っていたハットも脱いだ。白銀色の長髪がさらりと垂れ俺の腕をくすぐる。そしてこの時、俺は初めて北木 里枝の本当の顔を知ったのであった。
俺はラジオで声しか聞いたことがないので知らないが、北木 里枝の顔は大変可愛いと評判らしい。声も素敵で容姿もバッチグーとかずるい!
大きな瞳。血色の良い美肌。艶やかな唇。初雪のような髪。今の今まで不審者で通ってきた彼女の印象が一瞬で大きく変わった。まるで漆黒の蛹が純白の蝶へと羽化した様を間近で見たような気分だ。
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