第26話
人間の中には他人を引きつける力を持った者がいる。容姿だったり、歌声だったり、話術だったり、人柄だったり、身体能力だったり、学力だったり、まあ様々だ。人々はこれらのことを魅力と呼ぶ。
世の中には自分がもつ魅力を武器にして生きている人々がいる。歌手やスポーツ選手や芸能人、それこそ声優もそうだろう。しかし、目立つ事を良しとしない俺にとって魅力なんてのはない方がいい。なんてったって人を引きつけてしまうのだから。それはつまり自分の正体が露見してしまう確率をあげることに等しい。
さて、俺の目の前で肩を落としてションボリしている黒尽くめの美声人は、名を北木 里枝という。職業は声優。ご存知の通り俺は彼女に興味がないのでよく分からないのだが、本人曰く『大人気声優』なんだって。すげえな、自分でそういうこと言えるかね普通。あ、でも花坂も同じようなことを言っていたから間違えではないのか。
その花坂は今夜、北木 里枝のライブを自宅で楽しむ予定なのだが、眼前の彼女を見たらどんな顔をするんだろう。多分感極まって握手とかサインを求めるんだろうなー。しかしここに花坂はいない。いるのは声優に全く興味のない俺だけで、当然サインも握手も必要ない。
「というかいいんですか?今夜ライブあるんでしょう?こんなところでしょぼくれてる暇なんてないんじゃ……」
「おやおやっ?興味がない的な発言していたのにどうして今夜ライブがあることを知っているのかな?やっぱり興味あるじゃないのー!このこのー!」
人の神経を逆撫でするような声でおちょくってくる北木 里枝。流石は声優、マスクをしていてもいちいち良い声してやがる。それが余計にムカつくのだが、初対面の人間に対して態度に出すのは礼儀的によろしくないので努めて冷静に言葉を返した。
「友達に貴女のファンがいて、そいつから聞いたんです」
「君は素晴らしい友達をもってるねっ!これを機に君もファンにならないかい!?友達と北木 里枝トーク出来るよ!」
「結構です」
「どーしてそこで首を縦に振らないかなあ?大人気声優本人が勧誘しているんだからさ、本心じゃなくても受諾しないとダメだよ!そんなんじゃ君、社会でやっていけないよっ!」
「余計なお世話です」
「んもうっ!堅物なんだから」
「俺のことは良いからとっととお参りして来てくださいよ」
「……はーい」
ここに来た本来の目的を思い出させないと無限に勧誘してきそうで怖い。つーかどうしてそこまで俺にこだわるのかね?大人気声優だったらファンくらい超たくさんいるんだから、1人くらい取りこぼしても気に留めないと思うんだけどなー。
こちらを恨めしそうにチラチラ見ながら拝殿へ向かう北木 里枝。そんな彼女を手でシッシとやっていると携帯電話が震えた。花坂から電話が来たので携帯電話を耳に当てる。
『おはようございます美羽さん!』
「おう、おはようございます花坂。なによう?」
『特に用はないんですけど、里枝さんのライブのことを思うとソワソワしちゃって落ち着かなくて、それでなんとなく美羽さんに電話をした次第です。何か用事の最中でしたか?』
俺は拝殿で手を合わせて頭を下げている北木 里枝を眺めながら首を横に振った。
「全然。……あ、そうだそうだ質問。今夜のライブ、あれって本当に今日やるんだよな?」
『え?あ、はい、そうですけど……。なんですか急に』
「まあ、ちょっと気になっただけだよ。ちなみに会場は?」
『四季の音芸術劇場です。……あれ?もしかして美羽さん、私がたくさん里枝さんのことを話すものだから気になってライブへ行きたくなったクチですか?配信ならともかく、会場はとうの昔にソールドアウトなので無理ですよ』
「……あー、だからか」
『はい?何がですか?』
「いや、こっちの話。なんでもないなんでもない」
ここから四季の音芸術劇場はそう遠くはない。夜からのライブなら歩いても余裕で間に合うだろう。なるほどなるほど、合点がいった。
『独りで納得しないでくださいよ。変な美羽さん』
「変で結構。元より俺はまともじゃないのさ。春鳴り神社で瞑想してたら不審者に絡まれるくらいだからな」
『話が全く見えてこないです!え、不審者に絡まれた!?だ、大丈夫ですか美羽さん!』
「大丈夫大丈夫。話してみたら存外大したことなかったから」
『そういう時は逃げないとダメですよ!『いかのおすし』って習いませんでしたか!?』
「不審者に遭遇した時の対処法だろ?習ったけど忘れてた」
『それでその不審者さんはどうなったんですか!?』
「神社でお参りしてる」
『余計に話が見えなくなりました!!』
「なんでも今夜大仕事があって、その成功を祈りに来たんだと」
『……絶対に碌な仕事じゃないですよ、それ』
「俺もそう思ってたけど違った。ま、心配には及ばんよ。不審なのは見た目だけで、中身は押しが強いただの高校生だから」
『ならいいですけど、いやよくないですけどいいです』
「どっちだよ」
苦笑する。ちなみに不審者が北木 里枝だったという情報は花坂を大いに驚かせることになるだろうから伏せてある。ま、言ったところでどうせ信じてくれないだろうし。まさか北木 里枝がお忍びで春鳴り神社にお参りに来ているとは夢にも思うまい。
「ま、俺のことは心配いらないからお前は存分にライブを楽しんでこいって」
『……美羽さんがそう言うならいいですけど、くれぐれも危ないことに首を突っ込まないでくださいねっ!お散歩の相手がいなくなってしまったら私、とっても悲しいですから』
「おう」
『美羽さんの声を聴いたらソワソワが落ち着きました。ありがとうございます!』
「ん、いいってことよ。じゃあもう少し神社を散策するから切るぞ」
『はい!お互い楽しいゴールデンウィークを過ごしましょうね!』
「もちろん」
『それと、今夜も散歩しましょうね!』
「当然」
『それではまた!』
「ほーい」
通話を終え、携帯電話をポケットにしまう。なんだよ花坂の奴、ライブが楽しみすぎて落ち着かないから俺に電話するとか、可愛いじゃんかよ。なるほど、これが御利益か。心の中にジーンと染み渡るぜ。
「なあなあ、誰と電話してたん?」
「うわっ!ビックリした!人がジーンとしてるところに急に話し掛けないでいただきたい!」
「まあまあそんなこと言わないでよ!」
いつの間にか参拝を終え何故かこちらに戻ってきた北木 里枝はそう言うとケラケラ笑った。
「女の人の声がしましたけど?」
「貴女のファンです」
「えっ?そうだったの!?教えてくれたらファンサしたのにー!」
「ファンサ?」
「ファンサービスのこと」
「それが具体的に何を指すのか分かりませんが、そんなことされたらあいつ、泡吹いて卒倒するかもなので結構です。なにしろライブが楽しみすぎてソワソワしちゃうくらい貴女のファンなんで」
「君は本当に素晴らしい友達を持っているねっ!これを機に君もファンにならないかい!?その素晴らしい友達と北木 里枝トーク出来るよ!」
「結構です。ていうかさっきやったじゃないですか、このくだり」
「これを業界では『天丼』と言います」
「あっそう」
「君は本当につれないなあ!どうしたよ!?学生なんでしょ?だったらもっとはっちゃけないと!」
北木 里枝はそう言うが、それは無理な話である。何故なら俺は『曰く付き』で、感情を全面に出そうものなら『共通能力』によって常軌を逸した身体能力を発揮してしまう。相手が同じ『曰く付き』である花坂だったら問題ないのだが、やわな一般人が相手だと『万が一』が怖い。
「放っておいてください。……ああそうだ、貴女さっき無断で俺の写真撮ったでしょう?あれ消して下さいよ」
手に持っていた携帯電話でそのことを思い出した俺は北木 里枝にそう要求した。すると北木 里枝は素直にコートから携帯電話を取り出すと、どうわけだか眉を顰めた。
「……あれ?あれれっ?」
「どうしたんですか?まさか電源がつかないとかいうつまらない冗談はよして下さいよ。他人の携帯の中に自分の写真があるのは良い気がしないので」
「あっ、いや、それはごもっともなんだけど…………えーと、その、あのー、冗談じゃ、なかったりして……」
「おい嘘だろマジかよっ!?」
「おっ、今日一感情出てる!」
「いやいやいや、急に電源がつかなくなるとかおかしいだろ携帯電話として!」
「実は私のスマホ、バッテリーが弱まっててすぐ落ちちゃうんだよねえ」
「しっかりしろよ大人気声優!!」
「てへっ」
「うわ、可愛いけどムカつく!……あーどうするんだよ、電源がつかないと写真が消せないじゃん!」
「うん、それに会場まで行けないね。私、スマホの地図がないと目的地まで辿り着けない声優なの」
「この現代っ子めっ!ほら、あれはないのか?携帯を充電するやつ」
「モバイルバッテリーのこと?うん、持ってない!ホテルに置いてきちゃったの。それに余計な荷物って持ちたくないんだよね。常に身軽でいたいのです」
「それについては同意見だが、身軽すぎるってのも問題だ。現に今ピンチなわけだし」
「ど、どうしよう?」
「とりあえず俺の携帯使っていいから誰か知り合いに連絡しろ。人気声優なんだろ?だったらマネージャーとかいるだろ」
「そりゃいるけど、連絡先全部スマホの中だから電話番号覚えてないんだよね」
「この現代っ子め!!」
「あっ、分かった!君、会場まで私を連れてってよ。そしたらスマホ充電できるし、お礼だってしてあげちゃう!」
「…………分かった、連れて行く。でも勘違いするなよ、俺が貴女を連れて行くのは携帯電話の中の写真を消してもらうためだけなんだからな」
「わーおツンデレはつげーん!」
こうして海野 美羽の会場入りが決定した。くそう、どうして相手が有名な小説家じゃなくて興味のない北木 里枝なんだ。神様、本当に俺のことが好きなのか?
「…………」
ジロリと拝殿を睨んでみても、何も返ってこなかった。
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