第25話
午前7時。晴天。春鳴り図書館の図書返却箱に借りいた本を全て収めた俺は、後ろ髪を引かれるような思いでこの場を後にした。春鳴り図書館は春鳴り唯一にして最大の図書館であり、個人的に最高の憩いの場である。ここへは週に一度訪れて本の貸し出しと返却を行うのだが、本を断って健康的なゴールデンウィークを過ごすことを決意した俺は、前述の通り断腸の思いで図書館を走り去ったのであった。
で、やってきたのは春鳴り神社。大都会の郊外にあるこの神社に訪れることは皆無なのだが、以前金成さんがしてくれた神様の話を思い出したので、せっかくだからと来てみた。聳え立つ赤い鳥居。一本道の奥にうっすらと見える拝殿。両脇を連ねる木々。同じ春鳴りでもこうも違うかねと苦笑したくなるほど静かで、なんとなく秋鳴りに近いものを感じた。
鳥居を潜り、砂利道を歩く。人は俺以外いなくて、砂利を踏む音だけが響く。鳥の囀りも木々の揺れる葉音すらなくて、いつもだったら気にしない足音がとても大きく聞こえた。
「……なんというか、異質だな」
あまりにも静かなものだから不安になって、1人呟く。こういう時、隣りに花坂がいてくれたら何か言葉を返してくれるのだが、本日彼女は北木 里枝のライブの予行演習のため自宅で何かをしているらしい。伊藤は彼女とイチャイチャするとのことで、自宅で何かをしているらしい。まったく、どいつもこいつも楽しそうで何よりだ。
長い参道を抜けると、遠くにあった拝殿が目の前に現れた。よく分からないが、なんとなく荘厳な感じがする。石畳の床を歩き、賽銭箱に目をやる。腰につけたポーチから財布を取り出し、適当に掴んだ小銭を静かに投げ入れる。この手の礼儀は以前本で読んだのだが忘れた。一礼だか二礼だか、二拍手だか三拍手だか、確かに読んだのだが、忘れてしまったのだからしょうがない。
「ま、礼儀も大事だけれども、こういうのは気持ちが一番!」
そう自分に言い聞かせ、一礼して、一拍する。目を閉じて心の中で『何か良いことがありますように』と漠然とした願いを言い、目を開ける。最後に一礼して踵を返す。
金成さん曰く、神様は人間のことが大好きで、秋鳴りの神様は俺のことが大好きらしい。見たことも聞いたことも感じたこともないが、神様に好かれると聞いて気を悪くする人はいないだろう。俺もその1人だ。むしろ気分がいい。さあ、春鳴りの神様は俺のことをどう思っているのだろうか。もちろん訊いたところで答えなど返ってくる筈もない。というか誰に訊けばいいんだ?いやいや、縦しんば神様が目の前にいたとして、『俺のこと好きですか?』なんて台詞を吐いた日には、恥ずかしさのあまりもんどり打って倒れてしまいそうだ。
昨晩のようにテンションがマックスまであがっていた場合なら勢いに任せて言えるだろうが……つーか、昨日のテンションは自分でもどうかと思うくらいおかしかった。『イエーイッ!!』って……人生で初めて言ったわ。いかん、思い出したら脳の普段活発にならない箇所が変に疼いて不快な気持ちになってきた。
くそう、脳に指を突っ込んで掻いてあげたい気分だが、そんなことは出来っこないし、そもそも脳そのものに痛覚はないらしいので掻いたところで意味がない。だというのに脳はしっかりと不快感を訴えてきている。これは羞恥だ。『イエーイッ!!』なんて不慣れな歓喜をした自身を自身が恥じているのだ。
この嫌な感覚をなんとかするために俺はその場で座り込み、目を閉じて深呼吸を始めた。意識を呼吸に向け、鼻から入ってきた空気を口から出すことだけに集中する。こうすることで『考えない時間』を作り出し、思考や感情を手放すことが出来るらしい。
風が首筋を撫でても、頭や肩に何かが乗っかっても、遠くから誰かの足音が聞こえても、鼻から入ってくる冷気が腹の中で温まり、口から出て行くことだけに集中する。余計な考えや感覚に意識がいきそうになるたびに、呼吸から得られる感覚へ意識を戻す。
瞑想の1つとされているこのやり方は以前本で読んだのだが、これがかなり気持ちが良い。何も考えない時間を作り出すことで脳がスッキリするのだ。
時間を忘れ、思考を手放し、呼吸をしている自分の『今』だけを感じる。
「…………」
閉じていた目が勝手に開いたので瞑想を終える。そうして俯いていた頭を持ち上げると、慌しい羽音と生暖かい微風、そして鳥の鳴き声がした。そして軽くなった後頭部と右肩。
察するに、瞑想に集中していた俺は完全に自然に溶け込み、鳥たちの憩いの場になっていたのだろう。残念ながらどんな鳥が乗っていたかは確認出来なかった。それにしても我ながら物凄い集中力だ。凄すぎてちょっと怖い。
とりあえず立ち上がり、頭が痒かったので摩る。すると、頭に乗っかっていた茶色の羽毛が3枚、静かにゆっくりと地面へ落下していった。右肩にもあったので手で払い落とし、体をほぐすためにストレッチをしていると、近くの木陰からこちらを覗く不審者が視界の端に映った。
不審者は黒のロングコートに黒のロングブーツ。そして黒のハットに黒のマスク、とどめにサングラスという見事なまでに黒ずくめな見た目をしており、今が深夜なら闇と完全に同化していたことだろうが、現在は日中(しかも神社)なため恐ろしいくらいに目立っている。
そんな絵に描いたような不審者を発見してしまったのだから、俺はギョッとした。すると何故か相手は肩を震わせた。いやいや、動揺するのは俺だけでいいだろう。どうして相手も驚く必要がある。まるで俺が不審者みたいじゃないか!
…………まあ、境内しかも拝殿の真ん前で瞑想していたのだから不審者と思われるのも無理はない。でもだからといってオールブラック人にそう思われるのは心外である!どれちょっと弁明させてもらおう。
俺は木陰から顔を覗かせる不審者にズイズイ歩み寄り、彼だか彼女だかが逃げ出す前に話し掛けた。
「そこの人、何か勘違いをされているので言わせて下さい。俺は決して不審者などではなく、時間を持て余したただの暇人なのです。もし俺を不審者と思い助けを呼ぼうと大声を出そうとお思いならば一度思いとどまり、どうか胸に手を当てて自身に問いかけていただきたい。はたから見たら、どちらが不審者なのかと」
人は己の身の潔白を証明する時、変に饒舌になるようだが、なるほどね、確かに舌がよくまわる。
不審者はピクリとも動かずに俺の話を聞いていたが、話が終わると俺の問いに対してこう返答した。
「うん、君の方が100%不審者だね」
その声は不審な見た目に反して綺麗なものだった。そして不思議なことに聞き覚えのある声でもあった。女性の声だ。しかも若い。てっきりしゃがれた声かくぐもった声かが返ってくるものだと勝手に思い込んでいた俺は、耳に何の抵抗もなく入ってくる心地の良い声に、面には出さなかったが面食らった。そして彼女の答えに内心憤慨した。
「その言葉、そっくりそのまま返上しましょう。その見た目で不審者ではないと言い張るのは無理がある」
「いやいや、拝殿を背にして胡座を組んで15分くらい微動だにしなかった君の方が行動的には不審だったよ。なんだか怖くてお参り出来なかったもん」
美しい声の不審者はやたらと感情を込めて俺を非難した。その瞬間、俺は自分がとても悪いことをしていたような気持ちになり、彼女に頭を下げた。
「それは悪いことをした。ごめんなさい」
「ありゃ、意外と素直でビックリ!もっとごねるかと思ったから拍子抜けしちゃった」
「たとえそれが意図していなかったものでも、迷惑をかけたのであればきちんと謝るというのが道理です」
「じゃあ私も謝る。君のことを勝手に性悪君だと決め付けていたことに対してごめんなさい」
とても透き通った声で謝られた。途端に怒りが鎮まり、俺は彼女を許した。そうだ、そもそもどちらが不審者かを決定しようとしたのがおかしいんだ。冷静に考えてきちんと客観視したら、どちらも不審者なのだから。
「許します」
「よかった、ありがとう!……ところで何をしていたの?」
「何って、瞑想をしていたんです」
「ああー、だから全然動かなかったのね。でも凄い集中力だったよ、思わず写真撮っちゃったもん」
そう言うと不審者もとい美声人はロングコートのポケットから携帯電話を取り出し、操作したあと画面を俺に見せた。そこには頭と右肩に猛禽類的な鳥を1羽ずつ乗せて瞑想をしている自分がハッキリと映っていた。
「うわっ!えっ!?こんなデカいのが止まってたのかよっ!」
「気付いてなかったの!?」
「だって呼吸にばかり集中していたから……」
「ええー……」
ドン引きする我々。図らずも鳥たちの憩いの場になっていた俺だが、鳥といっても雀みたいな小鳥だと思っていた。しかし実際は違った。鳥博士ではないので詳しいことは分からないが、猛禽の類であることは分かった。もしかしたらあの2羽は俺を憩いの場としてではなく、捕食対象として見ていたのかもしれない。
「そ、そういう貴方は何をしにここに来たんですか?」
なんだか恐ろしくなったので、とりあえず話題を変える。
「お参りだよ、お参り。ここの神社は仕事運をアップすることで有名なんだよ。ここだけの話、今夜春鳴りで大きな仕事があってね、絶対に成功させたいの。やることはやれるだけやったから、あとは神様に頼むだけだと思ってね」
大きな仕事。なんだろう、危険物の取引とかだろうか?
「詮索は身を滅ぼしそうだから止めておきますが、頑張ってください」
彼女の話を聞いて、これ以上関わると何か大きな事件に巻き込まれる予感がした俺は、この場を後にしようと思い彼女に背を向けた。
「え、ちょ、ちょっと待って!」
「……え、なにか?」
首だけ美声人の方へ向ける。
「君は多分、勘違いをしていると思うの。私が危ない仕事をしているんじゃないかと思っているんじゃない?」
「ご名答」
「違うから!危ない仕事も怪しい仕事も変な仕事もしてないし、今後するつもりもないよ!」
「いやいや、その見た目で言われても説得力がないですよ」
「こ、これには訳があって……」
「大方、人には言えない、バレたら困る仕事なんでしょう」
「そ、それは、そうなんだけど……で、でも、うーん……」
「言い淀むということはそういうことなんでしょう。銃とか薬とかを秘密裏に取引しようっていう腹積りに違いにない!」
「だから違うって!そんな物騒な仕事だったら神社にお参りにしに来ないし、バレた時点で君のこと消してるから!」
「じゃあなんの仕事をしているんですか!?」
「…………誰にも言わない?」
「口の硬さには自信がある」
「ここだけの話、本当にここだけの話だよ?」
美声人は周囲を何度も見回した後、ちょいちょいと手招きをした。ええい、こうなったらスタンガンでも催涙スプレーでもなんでもきやがれと、俺は最大限の警戒をしながらも彼女に再び近寄った。そして美声人は俺の右耳に向かって小声で言ったのだった。
「実は私、超人気声優なの」
「……ふーん、そうなんですか」
勿体ぶった割にはあまりにもどうでも事実だったので、俺の口からは自分でも驚くくらい乾いた声が出た。
「えっ、リアクション薄くない!?」
「自分、そういうの興味ないんで」
「だとしてももっと驚いてもよくない!?自分でいうのもなんだけど、私、超有名人で超人気なんですけどっ!ほら、北木 里枝って聞いたことない!?」
「……あー、ラジオ聴いてますよ」
「あ、それはありがとう!」
「じゃあ、さようなら」
「待った待った!嘘、ラジオ聴いてくれてるのに、パーソナリティが目の前にいるのに『じゃあ、さようなら』ってどういう神経しているの!?サインをねだるとか握手を求めるとかないわけ!?」
「ないです」
「またあ!内心ではドキドキしているんじゃないのっ?クールぶっちゃって可愛いんだからー。ほらほら、素直に『会えて嬉しいです感無量です大ファンですサインください』って言ってごらん?特別大サービスでサインあげちゃうからさっ!」
「いらないです。いや本当にマジで興味ないんで」
「ラジオ聴いてくれてるのに!?」
「読書のお供に流しているだけなんで本腰入れて聴いているわけじゃないんですよ」
「そうなの!?で、でも見た感じ君って学生さんでしょうっ?アニメ見るでしょ!?北木 里枝たくさん出演してますけど!?」
「うちテレビないんで」
「そうなの!?タブレットやスマホでも観れますけど!?」
「観てないんで。ていうか声でかいですよ」
「あっ……こほん、本当に興味ないんだね」
大きくため息を吐いて肩を落とす自称北木 里枝。彼女を落胆する様子に、申し訳なさがフツフツと湧き上がってきたのだが、興味がないのは事実だもんなあ。俺からしてみたらただの一般人なわけだし、なんならさっきの猛禽類の方がよっぽど驚いた。
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