第24話

「……あれ!?美羽さんの部屋がいつもより広いですし、なんだか整然としています!これはいったいどういうことでしょう?」



午後11時11分。我が家に足を踏み入れた花坂が訊ねてくる。その綺麗な碧眼は驚きから大きく見開かれていた。俺は花坂に温かいお茶を差し出しながら返答した。



「明日からゴールデンウィークだから、ちょっと本を断とうと思ったんだ」


「本好きの美羽さんが本断ち!?え、そんなことして大丈夫なんですかっ?禁断症状とか出て来そうで心配なんですけど」


「そこまで本に依存してねーよ。……まあ、せっかくのゴールデンウィークだし、いつもと違うことをしてみようと思ったんだよ」


「随分と思い切りましたねえ。それで明日から何をするんですか?」


「何もしないをすることにした」


「何もしないをする!?」


「そう、何もしないをするんだ」


「だらしないですねえ……。生産性皆無じゃないですか」


「そ、そういう花坂は何をするんだよ?俺の予定をけなしたんだ、お前のはさぞ崇高なものなんだろうな」


「ふっふーん!よくぞ訊いてくれました!私のゴールデンウィーク!それはアニメを観まくることですっ!」


「去年の俺と大して変わらねーじゃねーか!!よく胸張って宣言出来たな!!」


「それだけではありません。なんと明日はあの北木 里枝さんのライブを観るんですよ!」


「キタギ リエ!?……どこかで聞いたことのある名前だな」


「今大人気の声優さんですよ!今期覇権間違いなしの『黄泉ノ一粒』のメインヒロインの声を担当する、今をときめく高校生声優、北木 里枝さんのライブです!原作の生みの親が両親だったのでアニメは観ていませんが、以前から里枝さんのファンである私にとってこれほど嬉しいことは滅多にありませんよ!」


「はあ、よく分からんけど、嬉しいことはいいことだな。…………あっ、思い出した!北木 里枝って木曜の夜にラジオやってる奴だ」



我が家にはテレビがないので情報の収集はラジオで行なっている。他にも暇潰しや読書のお供にラジオを聴くのだが、道理で聞いたことがある名前だったわけだ。



「へえー、お前ライブとか行くんだな」


「いえ、ライブ会場に行くわけではないんですよ。今はお金さえ払えば家でライブを観られるんです!同じ会場にいなくても、里枝さんと同じ時間を過ごすことが出来るんです!これって凄いことじゃないですか!?」



瞳をキラキラさせながら詰め寄ってくる花坂。



「凄いかどうかはよく分からんけど、人が多い所が苦手なお前の性には合ってるだろうな」


「はいっ!そういうわけで明日の18時30分から21時まで私は素敵タイムを過ごすので、間違っても連絡してこないでくださいね」


「ん、分かったよ」


「それでは『散歩』に行きましょう!」


「はーい」



花坂は空になったコップを卓袱台に置くと、軽い足取りでベランダへ向かった。明日のライブを心から楽しみにしている。そんな花坂が羨ましくて、思わず口からため息が溢れそうになったが、我慢して、彼女の後を追った。



花坂をおぶって空を飛ぶ。今日は特に星が澄んで見える。人間がいくら大金を積んでも決して拝むことが出来ない絶景なのだが、この星の大海にすっかれ慣れてしまった自分がいて、恐怖も感動も少なくなっていた。『曰く付き』の適応能力の異常な高さには恐れ入る。それでも、背中に感じる花坂の温もりと柔らかな感触、首筋のくすぐったさには時折ドキドキさせられる。



「……美羽さん、さっきゴールデンウィークは何もしないって言ってましたけど、その『何もしない』の中には私との『散歩』も含まれているんですか?」



足下を流れる雲を見ていると、不意に花坂がそんなことを訊いてきた。その声には僅かに不安の色が含まれていた。



「そんなわけないだろ。お前が望むなら全然付き合うし、お前が望まないなら寝るまでさ」


「じゃあ、明日も美羽さんの家に行ってもいいんですね!?」


「おう、温かいお茶と菓子を用意して待ってるぜ」


「ありがとうございます!」


「てっきり明日はライブだから来ないもんだと思ってた」


「家で独りで余韻に浸るのもありなんですけど、どうせなら美羽さんと里枝さんの魅力とライブの感想について語り合いたいです」


「語り合うって……俺にそんな材料はないぞ」


「では一方的に語りますね!」


「はいはい。まあ、せっかくのライブなんだ、楽しんでこいよ」


「はい!そうさせてもらいますねっ!」



いくら千里眼でも真後ろを見ることは不可能だが、花坂が満面の笑顔になっているのは、彼女の弾んだ声から手に取るように分かった。



「とりあえず、俺は図書の返却だな」


「美羽さん、本当に本を断つつもりなんですね」


「あたぼうよ。本を断って、何もしないをして、休息をとりまくるんだ」


「……思ったんですけど、美羽さんに休む必要ってあります?」


「…………ん?と、いうと?」


「いや、美羽さんって休みが必要なほど疲れている様に見えないんですけど……」


「まあ、実際ピンピンしてるぜ」


「だったら『何もしないをしまくる』っていうのは、却ってストレスになると思うんですけど……」



…………。



「…………確かにそうかもしれない。試しにさっき、花坂が来る前に横になってみたんだけどさ、全然寝れなかったし、すげえイライラした」


「休息というのは、体や心がそれを求める時にするのがベストだと思うんです。美羽さんの場合は無理に休もうとしていて……」


「なるほど。しかしそれじゃあいよいよゴールデンウィークに何をすれば良いのか分からない!!」


「お、落ち着いてください。わっ、すごい体温の上昇!そんな全身から蒸気を発するほど思い詰めないでくださいよ!もうっ、ぶきっちょなんですから……」


「うるせーやい!どうせ俺はゴールデンウィークすらまともに過ごせないぶきっちょマンですよーだ!!」


「自暴自棄になってはいけませんっ!いいですか、美羽さんっ!簡単なことです!何もしないをするのではなく、反対に何かをしまくるんです!ほら、明日は本を返却しに行くんでしょう?その帰りに春鳴りを散策しまくるんです!気の向くままに歩く!食べる!歩く!で、疲れたら家や銭湯で休むんです!これぞ健康的な休日の過ごし方です!」


「おおーっ!確かに健康的だ!」


「体を動かしてお腹が空いたらご飯を食べて疲れたらお風呂に入って横になる!」


「おおーっ!なんだかとても魅力的な響きに聞こえる!」


「そして夜になったら私と空を飛びましょう!」


「おおーっ!なんて浪漫的なんだ!」


「さあさあ美羽さん!もう30分もすれば日付が変わっていよいよゴールデンウィークが始まりますよっ!盛り上がっていきましょーうっ!」


「イエーイッ!!」

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