第17話

午後11時ちょうどになると花坂からメールが届いた。『今からそちらへ行きますね』という簡素な短文を確認した俺は、彼女を出迎えるべくベランダに出た。今夜は珍しく風が少なく、雲の動きも少なかった。巨人が乱暴に千切って適当に放り投げたような雲。その隙間から瞬く朧げな星光を見るなどしてぼんやりすること約10分、視界の隅に流星のようなものがちらついたので左目をそちらに向けると、闇夜を突っ切る花坂が映った。



その翼はいつもよりも眩しく輝いており、まるで彼女のテンションの高さを代弁しているように思えた。黒色のワンピース。なびく水色の長髪。光り輝く両翼。初めて見るわけではないというのに、そのあまりにも現実離れした光景に思わず口が開いてしまう。



カテゴリー的には同じ『曰く付き』だというのに、同類と思うことが出来ないのは、彼女に生えている美しい翼が原因だろう。見れば誰もが目を見張るだろう、とびっきりの美少女が宝石よりも綺麗な翼を広げて飛んでいたら、そりゃあ特別視してしまうってもんだ。



それに比べて俺のは『千里眼』。瞳の色が変わったり紋章が浮かんだりするわけではない、なんとも地味な『固有能力』だもんなー。まあ、その地味さに救われているわけだが。夜になると目の色が変わったり変なマークが瞳を占拠したりする能力なんて目立って仕方ない。悪目立ちを良しとしない俺には、外見的変化を伴わない地味な能力がちょうどいいのだ。



「……花坂の奴は大変だろうな」



飛翔する花坂の柔和な顔を眺めながら呟く。彼女は美少女だ。たとえ翼がなくても存在感がある。それ故にただ居るだけで目立つ。しかし花坂は引っ込み思案だ。だからきっと目立ちたくないと思っているに違いない。目立つ努力は簡単だが、目立たなくなる努力というのは難しい。



そんなことを考えていると花坂がベランダに降り立った。花坂が秋鳴り荘に来た4度目の夜。最初の警戒心丸出しの強張った表情は今や見る影もなく、友達が出来たと喜びからか緩みに緩んでいる。彼女の美しさに愛嬌が混ざって、俺は花坂のことを可愛いと思った。



「こんばんは、美羽さんっ」


「あ、ああ、こんばんは」



午後11時のものとは思えないハイテンション花坂の挨拶とその可憐な美貌に気圧されたが、ちゃんと挨拶を返せた俺を誰か褒めて欲しい。ナイス俺。



「さあ美羽さん語り合いましょう!なにを?決まってます!私と湯江さんの出会いと今日の出来事を!」



そう言うと花坂は俺の手を引いた。右手を包む温もりと柔らかさに心臓が飛び跳ねた。そして彼女の翼が一段と輝いたかと思うと、急激な上昇感に襲われた。



「うおっ!?」



唐突に右腕が引っ張り上げられ、足が地面から離れる。腕の付け根に痺れるような痛みが走るが、そんなのは些細なことで、現在最も重要なことは、俺が浮いていることだ。空を飛びたいと夢想したことは何度もあったが、何の前触れもなく引っ張り上げられると、想像と現実のギャップを否が応でも感じさせられる。俺の身に何が起こったのかは瞬時に把握できたが、どうしてこうなったのかが理解出来ない。なので訊いてみた。



「な、ななな何しやがる!?」


「なにって、美羽さんの手を引いて一緒に空を飛ぼうとしているんです!」


「何故しやがる!?」


「そりゃあ高まりに高まったテンションの私にとって美羽さんの部屋が狭すぎるからです!」



などと笑顔で訳の分からないことを言う花坂。……悪かったな俺の部屋が狭くて、と心の中で悪態をついている間にも高度はどんどん上がっていく。そして見る見るうちに小さくなっていく秋鳴り荘。あれよあれよという間に雲の上へと身を置く俺たち。



毎日空を飛んでいる花坂にとっては当たり前の光景だろうが、地に足をつけて生きてきた俺にとって眼下の光景は恐ろしすぎる。なまじ左目の視力が高過ぎるので、雲の下に広がる地上がはっきり見えてしまって背筋が凍る思いだ。何より怖いのが、文字通り俺の命を握っているのが花坂の右手だけだと言うこと。命綱にしては心許なさ過ぎる……。万が一この手が離れれば俺は為す術もなく高速で落下し、十数秒後には硬い地面に叩き付けられるだろう。そうなったらいくら『曰く付き』でもただでは済まない。そんな考えうる最悪の可能性を想像し、ぶるりと体を震わせると、花坂が馬鹿にするかのようにこう言った。



「あれれ、美羽さんもしかして怖いんですか?」



悔しいがその通りなので俺は頷いた。ここで強がって首を横に振っても良いようにはならない。なんなら俺を怖がらせようとムキになってさらに高度をあげようとするかもしれない。そんなのはごめんだ。ていうかもう既に前回よりも高度が上がっているのは気のせいだろうか。……いや気のせいではなかった。なんか下方に雲が3層あるし、明らかに酸素が薄い。



「そ、そりゃあ、何の前触れもなくこんな所につれて来られたんだ。怖がるなというのが無理な話だ。つーかどんだけ高く飛ぶんだよ……」


「ここなら大きな声で話しても誰にもバレません!幸い風も少ないし、会話するには打ってつけの好環境ですよ!」



現在ここに俺と花坂以外に人はいない。……当然のことだが。それに風の少ない上空はとても静かで会話を阻害する要素がない。確かに会話するにはちょうどいいのかもしれない。



「……とはならないからな!いやいやいや!足場がないだろ!足場が!!お前にゃ翼があるからいいさ!ところが俺はどうだい?お前が気紛れに手を離せば俺は真っ逆さまだ!こんな恐ろしすぎる悪環境の下で会話を楽しめるほど俺の神経は図太くないぞ!あと喋ると冷気が体内に流れ込んできて肺が痛ぇ!!」


「慣れですよ、慣れ。人間には適応能力というものが備わっていますので、時間が経てば慣れますって。私も最初に飛んだ時は空の寒さと風の冷たさに凍えたものです。ところがところが今ではこの軽装でも大丈夫です。もちろん寒いとは思いますよ。ですが体の方は不思議と不調をきたさないのです。これって私が『曰く付き』だからですかね?」


「だ、だろうな。『固有能力』による防衛機能が働いているおかげだ。……ん?ということは俺もそのうち慣れるのか?この肺の軋むような痛みや足のプラプラ感や全身を突き刺すような寒さにも」


「きっと慣れますよ!あっ、でも流石にこの状態で喋るのは大変ですのでちょっと失礼して……」



花坂は無責任な発言で俺を励ました後、右手でひょいっと俺の腕を引き上げ、あいた左手を俺の膝裏に滑りこませた。そうしてぐいっと俺を持ち上げると、あっという間にお姫様抱っこの完成である。やだ、花坂さんってば逞しい……。



「私、初めて人をお姫様抱っこしました!」


「俺も初めてだよ、お姫様抱っこをされたのは……」



身体を抱き抱えられたことで安心感が遥かに向上したが、それを上回る程の羞恥感が腹の中で渦巻く。これは恥ずかしいったらないぞ。あと左半身に当たる花坂の胸が温かくて柔らかくてドキドキ。これは心臓に悪いぞ。だからといってさっきの『右手1本命綱』には戻りたくない。ここは恥を偲んでお姫様抱っこを受け入れよう。観念観念!



「それはさておき、山宮の話をするんだろ?聞かせてくれよ、彼女とのあれこれを」


「あっ、そうでした!」



花坂は思い出したかのようにそう言うと、伊藤の彼女との出会いとその後をマシンガンのように喋り始めた。ここだけの話、花坂の話す内容のほとんどが頭に入ってこなかった。何故なら女子と密着していることへの興奮&羞恥と前人未到の領域にいることへの恐怖でそれどころではなかったからだ。絶え間なく飴と鞭を投与され続けて尚、正気を保っていられたのは俺の精神が強靭だからだろう。幸い、トークと呼ぶには一方的なものだったので、要所要所で適当に相槌を打ってこの時間をやり過ごした。



……………………。



そして花坂の約15分に及ぶ肉声ダイアリーを聴き終えた俺は、我ながら大したもので、この状況にすっかり慣れていた。人間、もとい『曰く付き』は僅か15分でこうも成長出来るのかと感慨に耽っていると、胸の内にあるものを全て出し終えたであろう花坂が、満足げに一息ついた。



「ふう……。いやー、喋りました喋りました!」


「マジでずっと喋ってたな。一言も噛まずによくもまあペラペラペラペラと……」



くどいようだが、どうしてこの饒舌を学校で発揮出来ないのかが不思議でしょうがない。下校中に見た花坂はどことなく猫を被っているように感じたあたり、伊藤の彼女にはまだ披露していないとみた。俺も伊藤に本当の自分を曝け出しているわけではないので他人のことは言えないが、棚にあげるのを承知で言わせてもらおう。



「山宮の前でもそうすればいいのに」


「それは難しい問題ですね。湯江さんはとてもよい人ですが、『人間』で、私とは違う生き物なわけです。だから心の中に壁のようなものを設けてしまうんです。だからペラペラペラペラと喋ることは困難を極めます」


「心の中の壁か……」



なかなか詩的なことを言うじゃないか。確かにそれは俺にもある。俺の場合、それが分厚すぎるんだろうな。心の器の小ささと自分の正体を他人にバラしたくないという気持ちが、知らず知らずのうちに心の中の壁を分厚く、強固なものにしたんだろう。人間の社会で自分の正体を隠して生きていくのは、俺にとって非常に難しいことだ。ありがたいことに対処法を伝授してもらったのでなんとかやっていけているが、時たま窮屈に感じてしまうこともあったりする。だから同じ仲間が目の前にいるのはありがたい。花坂を助けたいとか力になりたいとか言っているが、助けられているのは俺の方だったりする。



「はい。でも美羽さんが相手だと『ありのままの自分』でいられるんです。心の中の壁を取り払って、考えたことを脚色せずに声に出せるんです。こんな経験、初めてかもです。それと、こうやって誰かと一緒に飛んだのも初めてです。いつも独りで飛んでいたんですけど、いいですね」


「そりゃ、良かったな」



穏やかで優しい声色で染み染みと言う花坂。今まで伊藤の彼女のことばかり喋っていて、急に俺のことを言い出すものだから、恥ずかしくなって素っ気ない返答をしてしまった。おお、腹と背中の間がむず痒い……。




「ですから、その、美羽さんがよければなんですけど、また一緒に飛んでくれませんか?」


「ああ」



恥ずかしいのを堪えて花坂の顔を見てしっかり頷く。断られたらどうしようと気持ちからきたであろう彼女の不安げな顔は、許可が出るや否や一瞬で笑顔の花を咲かせた。俺はこの表情を見るために頷いたのだから満足だ。だが……。



「とりあえず、お姫様抱っこと右手1本命綱以外の方法で飛ぼうな」



慣れたとは言え、お姫様抱っこは男子的にされていて気持ちの良いものではないし、後者に至っては論外だ。出来れば俺が花坂を背負う形がいいな。



「はいっ!」



花坂の弾んだ返事が夜空に響き渡った。

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