第16話

皆勤賞を逃したことは一度もなかった。学校がある日は毎日通った。サボろうという気持ちは不思議と一切なかった。高校生になるまで友達はいなかったが、本はたくさん読めた。授業を受けて給食を食べて本を読む。そんな情緒のない義務教育を終え、高校生になった。男から教えてもらった『共通能力』の制御方法と伊藤という素晴らしい友人のおかげで、俺の高校生活はとても充実したものになっている。だからきっと、高校でも皆勤賞が取れるだろう。



そんなことを思いながら地面に腰をおろす。今日は月曜日。外は快晴。眩しい日差しと涼しい風を一身に浴びながら、俺は体育の授業を受けていた。内容は体つくり運動。既に体がつくり終わっている俺には全く必要のない授業内容だが、それが理由でサボるという選択肢はない。だから準備体操も真面目にやる。



「月曜日の1時間目から体育だなんて、学校もなかなか嫌なことをしてくるよね」



ペアの伊藤が俺の背中を押しながら気怠げに言う。長座中の俺は両手で両足の爪先を掴みながら答えた。



「まあな。でもこうやって体を動かしていると、月曜日特有の憂鬱な気分ってやつも少しはマシになるもんだ」


「確かに、それはあるかもね」



立ち上がり臀部の砂を手で払う。周りと見ると俺たちと同じようにストレッチをしている生徒たちが右目に映った。今日の体育は男女合同の上に6組との合同授業になっている。だからグランドはいつもより賑やかだ。特に6組の方。ざわめく後方を見やると、案の定、花坂が注目の的となっていた。



巨乳の美少女がストレッチをしている。しかもペアは伊藤の彼女だ。体操着姿のダブル美少女がストレッチをしている!見るなという方が無理である。とはいえ花坂は注目されることが苦手なタイプ。彼女にとって現状はちょっとした地獄なのだろう。頑張れ花坂。恨むなら自分の美貌と乳のデカさを恨むといいさ。



「なあ伊藤。俺は女じゃないから分からないけどさ、ああも乳がデカいと邪魔にならないのか?」


「海野君は時々妙なことを尋ねてくるからおもしろいよ」



隣りに立つ伊藤になんとなく訊いてみる。伊藤は爽やかな笑みとともに答えた。



「花坂さんのことだよね?……うん、凄く大きなおっぱいだ。見てよ海野君、前屈によっておっぱいが潰れているよ。こんな素敵な光景、なかなか見られない」


「ああ、そうだな。で、どうなんだ?」


「さあ?僕も男だからよく分からないよ。でも、もし僕が花坂さんのような巨乳だったら、邪魔だなぁって思うな。海野君もそう思うじゃない?」


「確かに確かに」



俺たちは花坂の潰れたおっぱいを見つめながら、うんうん頷き合った。



「それにしても凄い美人さんだよね、花坂さん。物凄い存在感なのに、どこか儚げで、無条件で守ってあげたくなるような感じ。きっと体や心にいいものだけを摂取して生きてきたんだろうなー。同じ人間とは思えないよ」


「そ、そうだな」



伊藤の言葉にギクッとなった。同じ人間とは思えない。そりゃそうだ。何故なら彼女は本当に人間じゃないから。『曰く付き』だから。そしてそれは俺も同じで、俺たちはこの事実を死ぬまで隠し通さないといけない。伊藤はきっと冗談のつもりで言ったのだろうが、前触れもなくそういった核心をつくような発言をされると心臓に悪いので止めて欲しい。ま、すぐに治るけど。



不意に、体を起こした花坂と目が合った。学校では他人のふりをしろとしっかり釘を刺しておいたので無視してくれると思っていたのだが、彼女は俺と目が合うなり嬉しそうに笑った。まるで旧知の友人との再会を喜ぶような、そんな心から出た笑みに今度はドキッとなった。



「……え、なに?海野君、もしかして花坂さんと知り合いなの?」



明らかに俺に向けられた笑顔に、伊藤が驚く。俺は首を横に振った。



「そんなわけあるかよ」


「でも今こっち見て笑ったよ」


「どうやら炸裂した俺の変顔に反応したらしい」


「えっ、海野君いま変顔してたの!?」


「ああ、実はしていたんだ」



してない。真っ赤な嘘である。というか変顔なんて生まれてから一度もしたことがない。出来ることならこれからもしたくない。だって恥ずかしいもん。



「えーいいなー!僕にも見せてよー!」


「断る!」


「なんでさなんでさ!」


「気の迷いでやってみたら思ったより恥ずかしかったんだ!だからもうやんない!」



やけに変顔をせがむ伊藤に首を横に振っていると、ナイスタイミング!屈強な体育教師から次の指示がとんできた。俺たちは教師の指示に従った。



それ以降はトラブルもなく、体育の授業は終了した。肉体的には全然疲れなかったが、花坂の不意の笑顔のせいで精神的疲労感が半端ない。……なるほど、これがブルーマンデーか。



そんなこんなで体育の授業が終わり、更衣室で制服に着替え、教室に戻る。授業を受けて放課になれば伊藤と喋る。で、また授業を受けて昼休みになれば伊藤と昼食(登校時にコンビニで買ってきた菓子パン)を食らい、午後の授業を受ける。全ての授業が終わり、下校の時間になる。伊藤と歩きながら中庭を歩いていると、前方に見知った2人組を見つけた。花坂と伊藤の彼女だ。



「湯江と花坂さんだ。2人ともすっかり仲良しだね」



伊藤が嬉しそうに言う。彼の言う通り、花坂は伊藤の彼女となにやら喋りながら歩いていた。まだ遠慮がちに、ぎこちなく笑う。そんな花坂の横顔を見ているとこちらまで嬉しくなってきた。



「仲の良いことは良いことだ」



が、関係を悟られるとまずいので、俺はあくまで無関心といった感じで答えた。本当ならば花坂の所に駆け寄ってサムズアップの1つでもしてやりたかったのだが、それは今夜まで我慢しておこう。恐らく今夜も彼女は我が家に来るだろう。その時まで我慢だ我慢。



「ありゃ、思ったよりも反応が薄い。美少女2人が仲良く歩いているんだよ?もっと興奮しないと、ほらほら!」


「表に出さないだけで内心ではちゃんと興奮してます。俺を性欲全面押し出しマンに仕立て上げようたって、そうはいかないぞ」


「あはは、バレたかー」



伊藤と俺が2人でケラケラ笑っていると、俺たちの声に気づいたのだろう、花坂と伊藤の彼女が同時に振り返った。2人と目が合った。伊藤の彼女がすぐに目を逸らして他人のふりをすると、花坂も思い出したように目を逸らした。今朝のことがあった俺はヒヤヒヤしたが、それはすぐに安堵へと変わった。ただ、同時に少しだけ悲しい気持ちになった。我ながら面倒臭い男だ。



「…………」



今日は彼女の家に行くという伊藤と別れ、1人で帰路を歩く。寄り道はしない。ひたすら歩く。なにやら後方約150mからストーキングをされている気配を感じるが、気にせず歩く。そして歩き続けること1時間と30分後、秋鳴りへと続くトンネルの中で俺は声を掛けられた。90分間も俺を尾行してきた気配の主、花坂にだ。



「美羽さん美羽さん!ちょっと美羽さん聞いてくださいよ美羽さん!私ついにお友達が出来ましたよ!しかもお相手はあの山宮 湯江さんですよ!いやー感激です!天にも昇る心地とはまさにこのことをさすのでしょう!というか今の私なら本当に天に昇ってしまいそうです!ま、制服が破れてしまうのでしませんけどっ!」



滅茶苦茶ハイテンションの花坂。初登場時の気の強そうな雰囲気はどこへいったのか問いたくなる程の笑顔だ。まあ、トンネル内に俺たち以外いないのを良いことに思いの丈をぶつけてくるのは大いに結構。結構だが、とりあえず俺は花坂の頭を小突いた。



「いぃったぁーいです!な、何をするんですかっ!?人がせっかく喜びに浸っているというのに冷水をピシャリとしないでくださいよ!暴力反対!」


「うるせー!こちとら90分間もストーキングされた挙げ句、一方的に感情をぶつけられとるんだ!少しは俺の身にもなってみろ!落ち着いて帰路にもつけんわ!大体お前体育の時思いっきりこっち見とっただろ!お陰で変ちくりんな尻拭いをせにゃならんかったわ!!」


「今朝の件については申し訳なかったと猛省しています!なので先程は美羽さんと喋りたい気持ちをグッと堪えて他人のふりをしました!」


「……はあ」



ため息を吐く。花坂のキラキラした瞳からは喜びが溢れていて、それは1年前の俺にとてもよく似ていた。初めて出来た友達。嬉しくて誰かに教えてあげたくなるような高揚感と多幸感。あの時の俺にはそれらを共有できる相手がいなかったが、花坂は違う。今、目の前にいる。よっぽど嬉しかったんだろう。そんな彼女の胸中を思うと、なんだか怒りが収まってきた。



「だったら夜まで堪えてくれよな。ていうかこの後どうするんだよ」


「言いたいことが言えたので、一旦家に帰ります!」


「え、さっきのあの長台詞を言うためだけに1時間と30分もついてきたのか?」


「はい!そうですとも!」


「…………」



いや、そのエネルギーをもっと別の、なにか有益なことに使えよ。そう思ったけど口にはしなかった。そうまでしてでも直接俺に伝えたかったんだろう。俺的には無駄な労力だとしても、彼女にとっては違うのだろう。もし本当にそうだとしたらとても嬉しいことだ。



「まあなんだ、友達が出来て良かったな」


「はい!美羽さんのおかげです!本当にありがとうございました!」


「ははは、よせやい」



面と向かってお礼を言われるのは恥ずかしい。照れる。俺は誤魔化すように笑った。



「あ、美羽さん今晩も伺ってもいいですか?」


「もちろん。時間は?」


「11時頃です」


「オーケー」


「ありがとうございます!それでは帰って色々やってきますね!」


「おう」



短く答えて花坂と別れる。後方からは彼女の弾んだ足音が聞こえたが、段々と遠くなっていき、やがてなくなった。静かになったトンネルを独りで歩く。気が付けば俺の足も弾んでいた。

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