第15話

本を読んでいる時間が大好きだった。物語に触れている間は、感情を表に出しても誰かを傷つけずに済んだからだ。だから昔から本ばかり読んでいた。でもノンフィクションは嫌いだ。過去にあった出来事や現実から生まれた文書は、憧れの種となって心を巣食うから。それはやがて芽吹いて伸びて心を強く締め付けるから。



だから本の中でしかあり得ないような物語を読んだ。憧れても実現不可能なフィクションばかり読んでいた。箒に跨って空を飛ぶ魔法使いの物語。蔓延る悪霊を退治する陰陽師の物語。世界を救うために悪と戦う超能力者の物語。様々な異世界を旅する冒険者の物語。過去と未来を行き来して恋人を助ける少年の物語。仲良くなった犬と人間に立ち向かう猫の物語。壊れた宇宙を造り直す神々の物語……。



たくさんの本を読んできた。たくさんの非現実に触れてきた。物語に出てくるキャラクターは特別で、現実味を帯びていない。それは俺も同じだったから、彼らに親近感を抱いた。



物語が終わると俺は現実に戻らなくてはならない。現実の世界にはたくさんの人間がいて、彼らは魔法も超能力も時間旅行も出来ない。だから憧れるのだろう。だから物語にするのだろう。想像して、文字や絵にして、表現するのだろう。歳を取らずにはいられない、空を飛ぶことも叶わない、1km先の文字も読めない。でも互いに手を取り、思い出や悩みを共有して、同じ時間を一緒に歩んでいく。それが現実の人間。俺が憧れた存在。



手に入らないと諦めていた。現実から目を背け、物語の世界に逃げ込んで、それでも生きていかないといけない現実の世界で死を望んだあの夏、男と出会ったことで憧れは現実となった。同じ仲間と過ごした一夏。それはとても輝かしくて、あっという間で、現実の世界に希望がもてた。だから男がいなくなってからはノンフィクションも読むようになった。憧れても苦しくなくなった。人間と共存する術を教えてもらったから。同じ仲間がいることを知ったから。独りじゃないと分かったから。



読み終えた本を閉じると時刻は午後11時になろうとしていた。あと1時間で日曜日は月曜日となる。昨日はバタバタしていたがやるべきことは全て終わらせた。だから今日は趣味に没頭することが出来た。起きて朝食を食って読書。昼食を食って読書。晩飯を食って風呂に入って帰宅したら読書。好きなことを好きなだけして過ごす。なんて素晴らしい休日なんだろう。明日から頑張ろう。



そんな想いと充足感を胸に大きく伸びをしていると、ベランダへと続く窓から音がした。コンコンというノック音だ。まさかと思いながら窓を開けると青白い翼を輝かせた花坂が立っていた。



「よう」


「こんばんは」



挨拶が済むと花坂の翼は闇夜に溶けるように消えた。ベランダに立つ彼女の表情はなんだか強張っているように見えた。一体どうしたのだろうか?



「い、今っていいですか?」


「ああ」



とりあえず室内に招き入れる。そして卓袱台の前に座った花坂に温かい麦茶を提供する。花坂はそれを一口飲むと申しわけなさそうにこう言った。



「毎度アポなしですみません」


「別にいいって。どうせ暇だし。それよかどうした?また『曰く付き』の話でも訊きに来たのか?」


「いいえ、今日は別件で来ました」


「別件?」


「美羽さんは日曜日の夕方頃から憂鬱な気分になってきたりはしませんか?」


「え、しないけど」



俺がそう答えると、花坂は分かりやすく悲しい顔になった。



「私はするのです。憩いの2日間が終わりかけた時、明日から長い長い平日が始まると思うと気分が下へ下へといってしまうのです」


「……ああ、ブルーマンデー症候群か。この前ラジオで取り上げていたな」


「そう!そのブルーマンデー症候群に私は今まさに直面しているのです!」



両手で頭を抱えて苦悶する花坂。ブルーマンデーとは『憂鬱な月曜日』のことを言い、仕事や学校が始まる月曜日を憂いた俗称をブルーマンデー症候群と言う。



「明日からまた学校が始まるんですよ!しかも私は転校生!知らない学校に知らないクラスメイト!知らない行事や知らない先生!そしてコミュニケーション能力の低い私!なのに話しかけてくる人!人!人!私と話したところで有益な情報は得られないのですから放っておいてください!昔から人によく話しかけられるんです。でも私には他人には言えない秘密がありますし、それ以前に喋るのが苦手ですから、頭の中でどうやって返答しようかと悩んでいるうちに相手は諦めて去ってしまうのです!私としてはそちらの方が好都合なので全然構わないのですが、妙に腹立たしく感じる時もあるわけです!勝手に話しかけてきて相手にならないと分かるや否や離れていくんですよ!だったら最初から話しかけないでくださいっ!やっと誰からも話しかけられなくなったと思ったのに転校によって振り出しに戻ってしまいました!明日からまたあの学校生活が始まるのだと思うとそりゃあブルーマンデー症候群にもなりますよ!ああ、どうしましょう!?」


「その饒舌を明日から学校でふるえば問題ないのでは?」


「それが出来ないからブルーなんですっ!」



ハの字になっていた眉がいつの間にかつりあがっている花坂。しょげたり苦悶したり怒ったりと忙しい奴である。ここまで感情を表に出せるのに、なぜ他人とのコミュニケーションが苦手なのか全く分からない。というか普通に会話出来てるじゃん、今。



「まあ、花坂が憂鬱なのは分かったよ。で、どうしてうちに来た?」


「そりゃあ、この憂鬱な気持ちを独りで抱えたまま寝るのが嫌だったからに決まってるじゃないですか。美羽さん以前言いましたよね。『俺でよかったら色々と話を聞くぜ』と。だから話を聞いてもらいました」


「いや、確かに言ったけど……なんだろう、それって別に俺じゃなくても良くないか?他の友達とか」


「私に友達はいません」


「うわ、真顔で物凄く悲しいことを言うなぁ……」


「だって私は『曰く付き』ですから。人間じゃないですから。だから本当に分かり合える友達はいないのです。美羽さんだってそうでしょう?」


「いや、いるけど、友達」


「ははは、美羽さん。本は友達にカウントされないんですよ?知っていますか?」


「いやいや、人間の友達だよ!同じクラスの男子だよ!」


「そんなっ!美羽さんは私と同類な筈では!?内向的で人前が大嫌いで人とのコミュニケーションが苦手なひとりぼっち学生な筈では!?」



大きな目を丸くして心の底から驚く花坂に、俺は慌てて言い返した。



「失礼な!人と積極的に関わろうとしないだけで必要最低限の対人能力くらい有してるわ!」


「え、その、お友達さんとは何をしているんですか?」


「喋ったり一緒に帰ったりゲーセン寄ったり買い食いしたり家で遊んだり」


「ここにリアル充実組がいますっ!」


「なんだよリアル充実組って!というか人を指差すんじゃない」


「現実世界で充実した生活を送っている人たちのことです!なにが『俺とお前は似てるんだ』ですか!全然違うじゃないですか!この裏切り者!」


「別に裏切っちゃいないぞ。つーかなんだよ、俺に友達がいるのがそんなに意外か?」


「だって美羽さんは『曰く付き』で、そのお友達さんは一般人なんでしょう?隠し事をしているのに友情が成立するとは思えません」


「お前は友達というものを重たく考えすぎだ。……いいんだよ、もっと気軽なもんで。誰にだって人に言えない、言いたくない秘密ってのはあるんだからさ。俺が友達だと思ってて、あいつが友達だと言ってくれたら、それだけで友情は成立するんだよ」


「そんなシンプルなものなのでしょうか?」


「そんなもんなんだろうよ、多分」



花坂は納得がいかない様子だ。まあ、友達の定義は人によって違うだろうから、無理に納得する必要はない。これはあくまで俺の持論なのだから。



「ま、今までなんとかなってきたんだろ?だったらこれからもなんとかなるって。それに今は俺がいる。仲間がいる。流石に学校じゃ無理だけど、今日みたいにうちに来てくれれば話くらい聞くからさ、いちいち憂鬱になるなよ。せっかくの学校生活なんだから楽しんでこうぜ!」



俺は花坂の気持ちを持ち上げるべく元気な声で励ました。仲間のためとはいえ、我ながらとても前向きな発言に内心で苦笑してしまった。花坂は暫く眉間に皺を寄せてうんうん唸っていたが、やがて深く息をついてボソリと言った。



「……善処します」


「その意気だ」


「またここに来てもいいですか?」


「そう言ってるだろ。あ、でももし来るんだったら連絡くれ」



俺は携帯電話を取り出し、花坂に電話番号を見せた。すると花坂はワンピースのポケットから携帯電話を取り出し、電話番号を打ち込んだ。その顔はとても嬉しそうに見えた。



「私の電話帳に同学年の電話番号が追加されるなんて、しかも男の人!人生なにがあるか分かりませんねっ!」


「そうだな」



本当、人生何があるか分からない。そしてこれから何があるかも分からない。何が正解で何が間違いかも分からない。でも、そんな分からないことだらけの世界で、後で振り返った時に『ああ、良かった』と心の底から思えるような出来事が、少しでも多いと良いなと願う。



花坂の笑顔を見ながらそんなことを思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る