第9話

少女の計らいによって秋鳴り荘に降りた俺は、しばらくの間、足が震えて立つことが出来なかった。ああ、地面!地面がある!両足がプラプラしていない!ブルブルはしているが、時間が経てば治るだろう。ああ、怖かった!本当に怖かった!そしてありがとう!地面マジサンキュー!!大地最高!



「だ、大丈夫ですか?」



少女の肩を借りて『303号室』へ向かう。秋鳴り荘はすっかり眠りについているため、誰かに遭遇することはなかった。少女の問いに小刻みに頷き、震える手で我が家の扉を開ける。電気を点けて卓袱台の前に腰をおろす。少女はキョロキョロと周囲を見回したあと、俺の向かいに恐る恐る正座した。



改めて少女を見る。水色の美しい長髪。整った顔立ち。吊り上がった眉に気の強そうな瞳。華奢な身体。なのにデカい胸。麗人や淑女という言葉が似合う少女。その背に翼はなかった。



「ひ、一人暮らしなんですか?」



少女がぎこちなく言う。サファイアのように美しい瞳からは確かな警戒が読み取れた。まあ、見知らぬ男の部屋に連れてこられたんだ。しょうがない。我が家は決して広くはなく、お洒落な家具もない。生活に必要な最低限なものと図書館で借りて来た大量の本があるだけだ。つまらない部屋だと思われても仕方ない。俺は少女を少しでもリラックスさせようと穏やかな声で返答した。



「ああ。……あ、そうだ、俺の名前は海野 美羽という。以後お見知りおきを」


「なんだか、私に所有権がありそうな名前ですね」


「……どういうこと?」


「私の名前、花坂 海って言うんです。ほら、『うみのみう』。なんだかそんな感じがしませんか?」



この時、俺は初めて少女の笑顔を見た。大人びた、上品な笑顔だった。はなさき うみ。どこかで聞いたような名前だが……いかん、全然思い出せない。まあいいや。切り替えていこう。



「さぁ、前置きはこれくらいにしておいて、そろそろ私の正体を教えてください」



俺は頷いた。



「単刀直入に言うが、お前は『曰く付き』かもしれない」


「……いわく、つき……?」



少女の頭上にハテナが浮かぶ。



「それってさっき貴方が言ってた……」


「ああ、そうだ。俺は『曰く付き』だ。そしてお前も『曰く付き』かもしれない」


「でも貴方、翼ないでしょう?」


「ない」


「だったら違うんじゃ……」


「待て、とりあえず最後まで聞いてくれ」


「質問があります」


「最後まで聞けって言った直後に質問すんな!……まあいいや、なんだ?」


「なんで貴方は上から目線なんですか?初対面なんだから、もっと謙虚な感じで接してほしいものです」


「お前、歳は幾つだ?」


「質問に質問ですか……17歳です」


「奇遇だな、俺もそうなんだ。俺は年上にしか敬語は使わないんだ。たとえ相手が初対面でもな」


「年齢確認以前から上から目線でした」


「お前が年上には見えなかったんだ」


「し、失礼なっ!」


「じゃあ前言撤回、年上に見えた」


「それは私が老けて見えるということですか?失礼なっ!」


「…………」



清楚な見た目からは想像出来ない程よく喋る少女であった。ちょっと話しただけなのに心の中に乳酸が溜まって来たぞ。



「とにかく!俺は自分の態度を改めるつもりはない」


「……分かりました」


「よし、それじゃあ話の続きだが……」


「質問があります」



俺は壁を思いっきり殴りたい衝動に駆られたが、そんなことをしたら秋鳴り荘は間違いなく倒壊する。俺は拳を握り締めて堪えた。それといつの間にか足の震えはなくなっていた。代わりに疲労感が凄い。



「な、なんだよ……」


「そもそも『曰く付き』ってなんなんですか?」


「それをいま説明しようとしたんだっ!」



などと声を張り上げてみたものの、『曰く付き』という概念を他人に説明するのは初めてのことだったので、俺は言葉に詰まった。さてさて、一体どう説明したものか……。



「えー、『曰く付き』というのは、人間の内に宿る常識を覆す可能性の集合体、と言えば分かり易いかな」


「いえ、全然分からないです」



少女が首を横に振る。一蹴された俺はムッとしてため息をついた。だが、確かに少女の言うとおりだ。『曰く付き』の俺でも今の説明は分かりにくかった。だから俺は説明は後にして、とりあえず少女が『曰く付き』かどうかをハッキリさせることにした。



「うーん、やっぱり説明は後にしていいか?」


「はぇ?まあ、後でちゃんと分かり易くしてくれるならいいですけど……。でもそれじゃあ何をするんですか?」


「とりあえずお前が曰く付きかどうかをハッキリさせたい。今から幾つか質問するからそれに答えてくれ」


「わ、分かりました……」



少女は何故か顔を赤くして頷いた。



「ス、スリーサイズとか訊かれても絶対に答えたりしませんからねっ!」


「訊かねーよ!!」



俺は頭を掻きむしった。本当に疲れる。普段使わない心の筋肉をビシバシ使わされているような気がして正直しんどい。しかしここで折れてはいけない。頑張れ俺!



「……じゃあいくぞ」



俺が言うと、少女は神妙な顔つきで頷いた。



「翼が出るようになったのはいつからだ?」


「確か……中学2年生の時、でした」


「それから何か変わったことはなかったか?」


「……それ以前は私、病弱だったんですけど、翼が出るようになってから一度も病気にかかったことがないです」


「……『共通能力』による身体防衛、か。運動神経も上がっただろう?」


「あ、はい、そのとおりです!」



少女の表情が驚きを示す。



「な、なんで分かったんですか?」


「曰く付きには『共通能力』というのがあってだな……まぁ、それも後でまとめて話すから、今は質問に集中しろ」


「は、はい……」


「つってもこれが最後の質問だけどな。……お前、翼が出るようになってから一度でも夢を見たか?」


「えっ?夢、ですか?」


「ああ、夜に見るヤツだ」


「……夢……夢……」



少女は目を閉じると、うんうん唸りだしたが、しばらくするとハッと目を開き、声を震わせた。



「……み、見たことないです……え、どうして……」



顔を蒼白にして混乱する少女。そんな少女に対して俺は言った。



「花崎 海。間違いない、お前は確かに『曰く付き』だ」



「……っ……」



俺の宣言に、少女は息を呑んだ。そして小さな間の後、彼女は力のない声で呟いた。



「……私……花崎じゃなくて花坂です……」



…………。



「……申し訳ない」



俺は深く頭を下げて謝罪した。

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