第5話

俺が通う『四季ノ音高等学校』は総生徒数約2000人のマンモス校だ。東棟、西棟、北棟、南棟の他に、管理棟、新北棟。購買、図書館、多目的ホール、アリーナ、カフェテリア、天体ドーム。屋外の物凄い広いグランド。超広いプール。校外の生徒専用のテニスコート。電子工房、被服実習室、調理実習室、美術室、音楽室、書道室等々、恐ろしく広い敷地の中にとにかくたくさんの学び場がある。俺はここで1年間学んできたので、どの教室がどこにあるか大体は把握しているが、今日来たばかりの転校生は職員室に行くのも大変だった筈だ。



ま、せいぜい頑張って覚えるといいさ。などと他人事のように考えていると6組に到着した。俺と伊藤は偶々通りかかった生徒を装い、窓ガラス越しに室内の様子を確認した。教室の中は熱気と歓喜に満ちていた。人だかりのせいで転校生の顔は確認できなかったが、聞こえてきた会話と黒板に書かれている『花坂 海』という名前から、転校生が女子であると察することが出来た。



他クラスの教室の中に入ることは原則禁止とされていることと、噂を聞きつけたのか、ちらほらと野次馬が集まってきたので、俺たちはそそくさとその場を後にした。



「ちえっ、顔みれなかったね」



教室に戻るなり伊藤が悔しがる。俺は別に悔しくもなんともなかったが、彼に話を合わせるべく悔しい振りをした。



「ああ、残念だ」


「女の子っぽかったね」


「そうだな」


「学校が終わったら湯江に聞いてみようかな」


「それがいい」



伊藤は転校生のことをやたらと気にしている様子だが、俺としては昨晩の翼の生えた少女の方が気になってしょうがない。昨日はたまたま発見することが出来たが、果たして今日はどうだろうか?もしかしたらもう二度と見かけることはないのかしれない。あの時間に、秋鳴りの空を飛んでいた理由が分からない以上、その可能性の方が高い。だからもし今晩、もう一度あの少女を見ることが出来たら、その時はあらゆる手を使って彼女との接触を試みよう。



今日は午後から職員会議があるため授業は午前中で終わる。そのためいつもより早く帰宅出来る。しかも明日は土曜日で学校は休みだ。家に帰ったらとっとと宿題を済ませ、仮眠を取り、夜になったら秋鳴り山の山頂で張り込みといこうじゃないか。で、もし例の少女が飛んできて秋鳴り山を通過しようものなら、その瞬間思いっきり跳んでやる。俺は『曰く付き』だ。常識では計り知れない身体能力を有しているので、上空を飛翔する少女目掛けて『跳びつく』くらい訳ないのだ。



問題は、今日も、あの時間に、あの場所を少女が飛ぶのかということだが、こればっかりは考えても仕方がない。運に委ねるとしよう。人事を尽くして天命を待つのだ。そのためにまずはしっかり授業を受けなければならない。学生の本業は学ぶことだ。そういうわけで俺は今日も真面目に授業を受け、トラブルを起こすこともなく、トラブルに巻き込まれることもなく、無事に学校を後にした。



「せっかく早く終わったんだから、ゲーセン寄ってこうよ」



伊藤からそう誘われたが、早く家に帰りたかったので断った。帰って宿題をやって寝たかった。思えば昨晩は一睡もしていない。別に1日くらい寝なかったところで『曰く付き』的には全然問題ないのだが、万が一の少女との接触に備えて、コンディションは最高にしておきたかった俺は、伊藤に詫びたあと1人で家路についたのだった。



四季ノ音高校(通称『四季高』)は『春鳴り』の中央にある。春鳴りは秋鳴りの対極に位置するような大都会であり、そこらじゅうに自動販売機が設置されており、首が痛くなるようなビルが大量に屹立しており、店も、人も、車も常に得体の知れない活気を放っていた。眠らない街と呼ばれている春鳴りは、金さえあれば買えないものはないと言われている。とにかく年がら年中賑やかで、あまりにも騒がしいものだから俺はあんまり好きじゃない。秋鳴りの美味しい清んだ空気の味を知っている俺にとって、人工物に満ちた人口密度の高い春鳴りのそれは濁っているに等しい。毎日通う所だから我慢はしているものの、出来ることなら長居したくない。



そういう理由もあったし、早く家に帰りたかったし、雨が降ってきたので、俺はいつもより少しだけ早足で歩いていた。予想通り、雨が振ってきた。いつ止むのかは分からないが、出来たら夜までにはあがってほしい。雨が降っていると少女が空を飛ばないかもしれない。それでは困るのだ。



90分も南にひたすら真っ直ぐ歩き続けると建物は激減し、その代わりに緑が激増する。数少ない建築物のほとんどが木造で、だだっ広い田んぼは海のように広がっている。どこまでも続く田畑の先にそびえ立つ秋鳴り山にポッカリと空いたトンネルをさらに30分歩けば、我が家までもう少しだ。



そして長いトンネルを抜けると視界の遠くに巨大な煙突が映る。秋鳴り唯一娯楽施設である銭湯だ。経営者である金成さんとはよく話す。真夏の太陽のように明るく、とても気前のよい女性だ。彼女は俺が住む秋鳴り荘の大家も勤めている。銭湯と秋鳴り荘は隣接しており、秋鳴り荘の住民はこの銭湯で体を清めている。ちなみに入泉料はタダである。気前よすぎ。



トンネルの出入り口から約1km歩くとようやく我が家に到着する。秋鳴り荘は古ぼけたアパートだ。家賃はなんとタダ。気前よすぎ!台風にぶち当たろうものなら一瞬で倒壊してもおかしくない、年季の入った木造おんぼろ施設だが、どういうわけだか、大雨に晒されようが、大地震に揺られようが、大雪にのしかかれようが、決して壊れない謎のタフさを常時発揮している。



ギシギシと軋む階段を上り、『303』と書かれた札が掛かった扉を開け、靴を脱ぎ、傘を笠立てに入れ、畳の上に足を置く。そうして玄関からギスギスした六畳間を見渡すと、正体を隠さないといけないという緊張感から解き放たれ、ようやく俺は一息つけるのだった。



「ただいま」



俺は中央のちゃぶ台の横に鞄を置き、濡れた制服を脱ぎ捨てた。下着姿で部屋をウロウロ出来るのは独り暮らしの特権ではないだろうか。バスタオルと着替えを箪笥から出し、体を拭き、ジャージに着替える。スッキリした俺は窓を開け、ベランダに出た。雨は飽きもせずに降り続け、少女が飛んでいた秋鳴り山の姿を隠していた。



それから、携帯電話の天気予報で今夜の天気を確認し、晴れであることを確認した俺はいつもより少し多い宿題に手をつけ、それが終わると仮眠をとったのだった。

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