第4話

「なぁ伊藤、天使っていると思うか?」



学校に着いたので自席で本を読んでいると、記念すべき友人1号が教室に入ってきたので、俺は早速訊いてみることにした。友人は困ったような顔を浮かべると俺の机に自分の鞄を置いて答えた。



「……朝の挨拶もなしに突拍子もないこと訊いてくねぇ。どうしたの?変なものでも食べた?」


「食べてない。俺は正常だ。あ、それとおはよう」


「うん、おはよう」


「で、どう思うよ?」



友人は俺の前の椅子を勝手に拝借して座ると、机に頬杖をついて唸った。彼の名前は伊藤 茶太郎。よく『ちゃたろう』と呼ばれるがそれは間違えで、正しくは『さたろう』という。高校生になり右も左も分からずに右往左往している俺に声を掛けてくれた心優しい男だ。容姿端麗で彼女持ち、頭脳明晰で運動神経抜群。まさに絵に描いたような秀才くんだが、そのことを鼻にかけるようなことは一切せず、今日もこうして俺と話をしてくれている。とてもありがたい存在だ。



「うーん、そうだねぇ……まぁ、いないんじゃない?」



伊藤はあっけらかんと言った。彼は現実主義者な為、漫画やアニメは見ているものの現実と空想の区別がしっかりついている。そんな彼の目の前には思いっきり非現実的存在がいるわけだが、俺が『曰く付き』であるということは知らない。いくら素敵な友人だろうが、このことだけは言えないのだ。



「このリアリストめ」



俺がそう言って笑うと、向こうも笑った。



「いやー、それにしても海野君の口から『天使』だなんて似合わない言葉が出るなんて、今日は雪でも降るんじゃないの?」


「雨は降るかもだけど、流石に雪はないだろ」


「だろうね。もし降られたら大変だよ。でも、本当にどうしたの?」


「昨日、夢で見たんだよ」



『曰く付き』は夢を見ることが出来ないのでこれは嘘の発言だ。正体を隠すためとはいえ、こういう嘘がさらりと口から出てくる自分が時々少しだけ嫌になる。人間が支配するこの世界で生きていくためには、嘘を吐き続けていかなければならない。そうしないと、きっと迫害されるだろう。人間はそういう生き物だと教わった。だが、伊藤だけは違うんじゃないか。そう思ってしまう自分がいる。一方で、もしかしたら伊藤もそうなんじゃないかと思ってしまう自分もいる。どちらも本当の自分だ。



「へぇー。ねぇねぇっ、その夢の天使ってどんなのだった?男?女?」



伊藤は俺の嘘を疑いもせずに夢の詳細を求めた。その瞳はキラキラと眩しくて、この純粋無垢な眼差しに、伊藤の彼女は心を奪われたに違いないと勝手に思った。



「女だった。いい女だった」


「わおっ!どこらへんがいい女だったのっ?」


「胸だな。それはもうデカい胸だった。あの巨乳に包まれながら現世を去れるというのなら、死ぬのも悪くないなってくらいの乳だった。あとツラもいい。こう、目尻が少しあがっていて、どことなく気が強そうな感じ。あれはよかった。麗人だった」


「いいね!美人で胸が大きい!まさに天使じゃん!いいなー、僕も見たかったなー。今度海野君の夢の中にお邪魔させてよ」


「気持ち悪いこと言うなよ!ていうか彼女持ちがそんなこと言っちゃ駄目だろ……」


「いいのいいの。湯江は男の性欲にちゃんと理解があるからね、言っても問題なし!」


「すげぇ彼女だな」


「自慢の彼女ですっ!」



伊藤の言う『湯江』とは彼の彼女の名前だ。彼氏が彼氏なら彼女も彼女もといった感じで、心身ともにえらく美人な女だ。2人は幼馴染で相思相愛で同学年だが、校内では付き合っていることは秘密にしているそうだ。ちなみに俺と伊藤は2年5組で、伊藤の彼女は2年6組。校舎こそ同じだが、どういうわけだか階が違うので遭遇することはあまりない。もし出会っても挨拶の1つも交わさない。本当に付き合っているのだろうかと最初は疑問に思ったものだ。



しかしこの2人、家ではイチャイチャラブラブしまくっているのだ!以前伊藤の家に遊びに行った時、俺が遊びに来ていることを知らなかった伊藤の彼女が突如として伊藤宅に現れたことで2人の関係は露見した。で、学校でバレると周りが色めきだって面倒ことこの上ないので、このことはどうか秘密にして欲しいと頼まれた。もちろんは俺はオーケーした。何故なら俺も人に言えない秘密を抱えているから。



「……あっ、そういえば海野君!」



静かだった教室はいつの間にか賑わっており、それはもう少しで朝のST(ショートタイムの略)が始まると言うことを意味する。伊藤は椅子から立ち、席の持ち主にお礼を告げると口に手を当て、俺にだけ聞こえる声でこう言った。



「湯江から聞いたんだけど、今日、転校生が来るらしいよ」


「えっ?この時期に?」


「うん、6組にだってさ」


「ふーん」


「後で見に行こうよ」



正直、どんな奴が来るのかよりも、どうしてこの時期に転校なんかしてきたのかということの方が気になる。自分のクラスに来るのであれば人物の方に興味が持てたのだが、別のクラスだもんなあ……。とはいえ、せっかくのお誘いをお断りするのは申し訳ない。俺は首を縦に振った。伊藤はニッコリ笑うと自分の席に戻っていった。



暫くすると担任が入室して生徒が全員席に着いた。そして朝のSTが始まった。今日1日の予定と連絡事項の通達が終わるとSTも終わった。連絡事項の中に転校生の話題はなかった。本当に来るのかと訝しんでいると下の方から歓声が聞こえてきた。6組からだった。担任はボリボリと頭を掻きながら呆れたように生徒たちに言った。



「あー、6組に転校生が来たんだが、あんまり見にいくなよ。うるさいから」



俺の心の中で首を横に振った。それは無理なお願いだ。何故なら伊藤と見に行く約束をしてしまったから。約束を破るのは俺の道理に反する。今まで俺は他者と約束を交わすことがほとんどなかった。だからこそ交わした約束は守りたい。



俺は席を立った。見ると伊藤も立っていた。俺たちはすぐに合流すると、誰よりも早く教室を抜け出して、急ぎ足で6組へと向かったのだった。

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