韜晦的アムネジア(2)
シティ周辺には超獣の接近を妨げる特殊な力場が張り巡らされている。これは対超獣結界と称される詳細不明の技術の賜であり、外縁壁15キロメートル圏内は超獣による侵入が発生しない。
その分水嶺からわずか5キロメートル先に、強大極まりない熱源反応が検知されたのがつい360分前だ。推定カテゴリーはⅣ、その数も4体。周囲に眷属と思わしき低カテゴリーの超獣を従えて屯している。
「これは、蟹ですかね?」
「そうですね巨大な沢蟹に見えます。茹でたら食べれるでしょうか」
素っ頓狂な感想を漏らす我らが隊長ユウヒの言は、一旦無視。この人の世界観は少々特殊だ。たまにスケールの狂った発言がある。
再びニコは目標付近に視線を向けた。体高8メートル、横幅20メートル程度だろうか。巨大なカニとおぼしき超獣が4体、口元で泡を作りながらゆっくりと動いている。
同様に仮設陣地からスコープで目標を確認したらしき現場指揮官及び各部隊の隊長の表情は険しい。
見るからに頑強な甲殻は、恐らく正規軍の一般火器を封殺するだろう。更に縮尺の狂ったような巨体に反し、その動きは鈍いわけではない。あの鋏を振り回されたとしたらその末端速度はいかなるものか。
指揮官ことスレイヤーズ北支部長のソフィアは、手元の端末の情報とにらめっこしながら思案を巡らせている。作戦を考えているのだろう。
仮にこのままカテゴリーⅣの超獣らが何もせず去っていくのならいい。だが仮に対超獣結界の影響を無視して接近してくるようであれば、この場での撃滅が必要になる。
そしてその場の意見やオペレータールームの面々との情報交換を経て支部長ソフィアが導き出した結論は、この場での殲滅であった。
ニコに異論などない。超獣は皆殺しだ。それ以外の結論なんて到底受け入れられない。
問題は手段だ。一般論としてカテゴリーⅣの超獣の討伐には大規模な軍事行動に匹敵する火力が求められる。それも4体ともなれば一つの都市が保有する武力で対処するなど絵空事に等しい。
この場に集った面々を見やる。ニコに言わせてみればサラマンダー隊、ブラックエンジェルズ隊はそれなりにやるといったところ。スターゲイザー隊、ライライム隊は最低限動ける程度。到底この状況を打破できる能力はない。
ならばどうするか。
我らレッド隊が単独で討ち滅ぼすしかあるまい。
ユウヒ隊長が口を開く。至極当然のことをあえて口に出したというような、有無を言わせぬ鶴の一声。
「私達が出ますよ。デカブツは叩くので有象無象だけ気を付けてください」
「…頼めますか?」
誰よりもレッド隊───否、ユウヒという個人戦力のイカレ具合を知悉している支部長が、依頼という形で事実上の許可を出した。5年前の惨劇でのユウヒの活躍を知る彼女は、きっとそれが最適解だと理解している。
ユウヒとニコ、あともう一人の狂人で突撃───もとい強行偵察を行いそのままカテゴリーⅣを皆殺し。そこいらをうろつく雑魚を他の連中に任せてゲームセットだ。
とはいえ、それに異を唱えるものもいないわけではない。
「そ、そんなのダメですよ。あまりに危険過ぎます」
「…どちらさまでしたか?」
「俺、いや私はブラックエンジェルズ隊隊長アカサカです。先日ご挨拶に伺ったはずですが」
案の定ユウヒ隊長は彼の名を覚えていなかった様子。しかしどうやら挑発だと勘違いしたらしきアカサカ青年は額に青筋を浮かべている。彼のランクは46位だったか。きっとそれなりにやるのだろう。
「私達の隊もその強行偵察に同行させてください。必ずや成果を手に入れてご覧に入れます」
「いや別にいいですよ。足手まといが増えても仕方ないですし」
「…いいえ、使い潰すつもりで使っていただいて構いません。どうかご再考の程を」
食い下がるアカサカ青年。確か彼らの隊は市井の間で人気を誇っているのだと聞く。ニコはよく知らない話ではあるが、見た目麗しき少年、青年だけで構成される隊なだけあり話題に事欠かないのだとか。
今のそれも人気取りのためだろう。彼はレッド隊の負担を懸念しているような素振りだが、その実活躍の場を奪われることをこそ気にかけている。誇示できる成果を手に入れて、大々的に広告するつもりでいるのだろう。
別にそれ自体は悪くないことだとは思う。人それぞれ考え方は違うし、人に好かれたいって思うのは誰だって同じだろう。
でもここは心を鬼にしてでも止めておく必要があった。
「やめたほうがいいと思いますよ?」
「なに?」
「えっとですね。その、ユウヒ隊長の破壊規模ってかなり滅茶苦茶なので、近づいてしまうとお互い危険なんですよね」
「…でも!」
なおも食い下がられてしまい少し困る。
確かに言っている事自体なかなか受け入れがたい話ではあるだろう。うっかり友軍誤射をしたくないから来ないでくれと言っているようなもの。とても好意的に捉えるのは容易ではない。
だがそれでも妥当な話をしているはずだ。ニコとアカサカの間にはランクで20近い差がある。それを僅差と称する者もいないわけではない。しかしニコに言わせてみればどうしようもない差である。
スレイヤーズ最大戦力である二桁ナンバー達は十の位が一つ違えば、強さの次元が一つ違う。
個人戦力として最強と謳われるユウヒの行動に辛うじて追従できるニコと異なり、アカサカらは間違いなくまともな戦力にはなりえない。
悪い言い方をしてしまえば、単に足手まといだ。
「ソフィアさん、いいですよね。私達だけで」
「そう、ですね。この場はレッド隊に任せます。残る隊でカテゴリーⅡ〜Ⅲの超獣への対処を行うものとします」
流石に支部長の最終的な判断にまで反対する勇気はなかったようだ。忌々しげな表情をどうにかポーカーフェイスの向こう側に隠したアカサカが、隠しきれない苛立ちの目をニコに向けている。
正直どうでよかった。アカサカの隊がカテゴリーⅣとの戦闘に参加しようと、その上で幾人死ぬことになろうとニコはどうでも良かった。ただほんの少し夢見が悪くなるかもしれないなと思って、犠牲を減らせるように提案しただけ。
そういうことにして、ちょっと悲しくなってしまった自分の心を努めて無視。
超獣を殺せるのならそれでいい。それだけでいい。
会議は終わりだ。
あとは出撃の時を待つのみ、
己の弾丸が超獣を弑する未来に思いを馳せ、背筋が震えた。
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