衝動的アサシネイト(終) 

 吹き抜ける潮の香り。生物が生きて死んだ痕跡の匂い。この海はかつてトーキョー湾と呼ばれていたそうだ。


 ようやくフェリーが港に接舷する。ユウヒとその部下にとっては海面を駆けることくらい、児戯に他ならないが手続き上フェリーは必要だった。


 ここは東京シティスレイヤーズ本部。堅牢なセキュリティに阻まれた不屈の砦。トーキョー湾の埋め立て地に建設された、人類最後の軍事施設だ。


◇◆◇


 拠点変更に関する報告は恙無く終わった。テロリストによる襲撃は被害なくやり過ごしたものの、捕らえるには至らなかったことも伝達した。


「なんだか暗いですね」


「そうでしょうか。いつも通りな気がしますが」


 ユウヒのもうひとりの部下――ニコが言う。施設のスタッフは誰もが暗い顔をしている。当然だ。良いニュースなどなく悪いニュースだけで埋め尽くされたコミュニティで、笑顔のままいられる人間などいない。


 今日も誰かが死んだ。壁外の超獣に不審な挙動が見られる。テロリストによって要人が殺された。繁華街で暴動が発生、多数の死傷者が出た。本部職員が1名首を吊った。


 全ては統制のもとに規制される情報群だ。鳥籠と化したこの東京シティにおいて、嘘偽りのない情報など存在しない。


 足早にすれ違っていく職員を見る。恐らく新人だ。自殺した人事課の職員の代わりとして派遣されたのだろう。きっと彼も長くはもたない。


 ニコは顔色の悪い新人をやるせない表情で見送っていた。


 彼は近いうちに心を病むだろう。スレイヤーズの低ランカー達の配属を決める仕事は、まず精神を汚染する。彼らに求められる職務とは、無能たちを無理なく自然な体で死地に向かわせること。


 その口減らしという行為に耐えられる精神構造をした異常者ですなければ、遠からず鬱兆候を示し首を吊る。


「かけられる言葉なんて、私達にありませんよ」


「そう、ですね…」


 私達の武装、食料、待遇はそうした度し難い所業によって成立している。私達は搾取する側。それを手放しで喜べるほどイカれてはいなくて、かといって私達は改革を願うほどの熱量を持っていない。


 言葉をかける資格などない。


 それを気に病むことができるほど真っ当な精神を持つニコは、きっとユウヒなんかよりよほど英雄的だ。


 生まれつき強かったから。何をやっても勝てるから。願われたから。望まれたから。そうやって惰性で英雄をやっているユウヒとは根本から違う。


 彼女は家族を超獣によって失った悲劇の英雄だ。悲哀と絶望を怒りに変え、見事立ち上がった不屈の英雄。きっとこれからも困難を乗り越えていくのだろう。


 ニコ・ドゥクスニア。ランク25位。二つ目の名は《魔弾の射手フライシュッツ


 ユウヒの大切な宝物だ。


 唐突にポケットの端末が震えた。


 ――嫌な予感がする。厄介ごとの気配だ。


 この手の感覚において、ユウヒはまず外れた試しがない。端末を確認してみれば、やっぱりというか案の定というか。


「…ニコさん、武装を用意してください。緊急招集です」


「なにが起きたんですか?」


「北壁から約20キロメートル地点に複数の熱源を捕捉したらしいですね。カテゴリーⅣが少なくとも4体いるとのことです」


 要するにシティ存亡の危機ときた。過去に何度も遭遇した、ありふれた災害と言っていい。


 既にユウヒとニコは駆け出している。廊下は走らないという警告文は無視。非常用の扉から外へ飛び出せば、既に高速フェリーの用意がされていた。


 招集される隊はどれもが実績を残した有力な部隊。その中で異彩を放つ強大極まりない隊が、ユウヒが隊長を務めるレッド隊。ユウヒ達がこの戦いの切り札というわけだ。


 きっとユウヒ以外の全てにとって厳しい戦いになるだろう。


 戦う限りにおいてユウヒに敗北はない。だがユウヒ以外にとってはそうではないのだ。


 戦わなくてはならない。

 手遅れになった世界で、まだ手遅れではない誰か達を救うためには戦うしかない。


 殺させずに殺し尽くすこと。ユウヒが為せる救済はそれに尽きる。


 衝動のままに殺すこと。ユウヒにできることなんて他にはない。


 だけど、それでも救えるものがあると教えてくれた人がいたから、ユウヒは今日も戦える。


 僅かに緩んでいたマフラーを締め直す。


「では行きましょう。仕事の時間です」


 ユウヒの左右で異なる色の目は、確かに前を見据えていた。

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