衝動的アサシネイト(5)

 すべての過ちは過去から未来に横たわっている。

 マオにとって世界は、常に後悔と諦観に支配されていた。


 ◇◆◇


 その実験体らのコンセプトは骨格の置換であった。


 おおよそ骨には四つの役割がある。身体の支持、臓器の保護、造血、電解質の貯蔵だ。複数の仕事をこなすこの器官をより強靭なものに置き換えられれば、強大な自律兵器としての運用が見込める。


 それを現実にするための実験。骨を超獣由来の生体組織に置き換え、制御下に置く。


 実験のために集められた適応能力に優れたニューたちの中にいたのがアルミナという少女で、実験の事実上の責任者がマオだった。


 マオはもともとこの実験に大いに反対していた。非人道的な実験を承諾することはできないと拒否の姿勢を保ってきた。


 そしてこの実験を成功させるには、超獣の解剖学において天才的な素質を誇るマオの協力が不可欠であった。


 マオが計画に賛同しない以上、実験は取り止めになる。集められた子どもたちは解放されるはず。スレイヤーズ本部において多くの敵を作ることになることは、想像に難くないがそれでもよかった。


 一つ誤算があったとすれば、スレイヤーズ本部の人間たちが想定以上にイカれていたこと。


 脳を摘出し技術と情報を吸いだす計画を秘密裏に知ったとき、マオは選択を迫られていた。


 このままスレイヤーズ本部にとって都合の悪い主張を続ければ、恐らくマオの脳は奪われる。その際どの程度情報が劣化するのかは定かではないが、そうなった場合あらゆる非人道的な実験に歯止めがかからなくなる。


 マオの頭の中には様々な想定があった。超獣の臓器を人と入れ替えた場合、超獣の遺伝子を選択的に組み替える方法、人間を超獣のように作り変える手段。


 本部に要求され考えついては「見当もつきません」と白々しく答えてきた計画たち。恐らくそれらの全てが実行に移される。


 選択が必要だった。


 このまま計画に反対し続けるか、それとも賛同するか。


 前者は運任せだ。脳を摘出する技術の精度いかんでは、犠牲になるのはマオ一人で済む。そうでなければ最悪世界が終わる。


 後者はどうだろう。さも実験を完璧に遂行したように見せつつ、失敗するのだ。そうすれば「マオほどの天才の手によっても失敗する計画だった」と誤認させることができる。


 犠牲にするのは己の良心と、集められた子どもたちだけで済む。


 苦悩し、煩悶し、最終的にマオが選んだのが後者。実験に賛同し、その上で失敗を繰り返すこと。


 未来永劫マオが後悔し続ける最悪の選択だった。




 斯くして実験のため集められた子どもたちは、全員が無意に殺された。


 骨を一つ一つ取り出され、異物に取って変えられる子どもたちの絶叫は、今も夢に見る。全ては失敗だった。


 一晩と保たず子どもたちは全員が死に、焼却処分の果に廃棄された。


 その中にアルミナという少女が含まれていたこと。燃え尽きた灰の中から彼女が息を吹き返していたと誰も気づかなかったことだけが、今重要な事実。


 その実験の後にマオが駆り出されたことも、マオが同じ過ちを繰り返し続けたことも語る意味がない。


 すべての過ちは過去から未来に横たわっている。


 世界がとっくの昔からそうであったように。


 マオの後悔もまた、全てが手遅れだった。


 ◇◆◇


「…薄々、気付いてはいたんです。私と妹は同じなんだって」


 あの実験について、マオは単純な事実だけを羅列した。戸籍上、アルミナは孤児で姉妹はいなかった。


「でもあの時の記憶を自分のこととして感じることができないんです」


 コーヒーカップから手を離し、彼女は俯いていた。


「私にとってこの復讐心は共感です。妹が感じた理不尽への怒りに私が共感している。私は怒りの代行者であり復讐者です」


「それでいいのかもしれないよ。こんなことを加害者の私が言うのも変だけど」


 彼女の世界観は独特だ。人格の統合がうまく行かなかった人間の、奇妙に捻くれた世界を見ている。


 彼女にとって、過去の自分とは死んでしまった別の人間だ。それに『妹』『別人格』『もう一人のアルミナ』とラベルを貼る意味はない。


 重要なのは事実ではない。彼女がどう思い、どう振る舞うかだけだ。


「…話していて分かりましたけど、貴方にも事情があったのでしょう。ですが」


 ああなんてバカバカしい。この復讐者は哀れんでいるのだ。他でもない加害者のマオを。是正しなくてはならない。


 彼女の怒りは正当だ。


 マオには不幸を願われる義務がある。


「そうだとしても、私がクズであることに変わりはないよ。現に私は君を利用しようとしてこの場に呼んだんだ」


「…そうですか」


「事情を鑑みるな。衝動のままに殺意を維持してくれ。君にはその権利があるんだ」


 なにか言いたげなアルミナを無視する。


「加害者の分際で厚かましいんだけどさ、君に依頼があるんだ」


「なんですか?」


「思いのままに復讐を続けてくれ。私の同類のクズについてはこれからも情報を提供する」


「…見返りは?」


「私の命。この場で殺してくれて構わない。白衣の右のポケットにメモリがあるから、それを復讐に役立ててくれ」


 結局その日、カフェでの流血はなかった。



 ◇◆◇



「それ、私に聞かせて意味あるんですか?」


「ほら言っていたでしょ。妹なんていないって話にそれはどういう意味ですかー?って」


「…たしかに言いましたね」


 武器のメンテナンスを口実として引っ張り出したユウヒ隊長に、事の顛末をぼかしつつ伝える。面倒事に巻き込まれたくなさそうな表情に苦笑が漏れる。


 そんな顔するくらいなら聞こえなかったふりをすればいい。それか耳でも塞げばいいのに。そういうところで妙に律儀なのが、我らが英雄の長所であり短所だ。


「姉妹、ではなかったんですね」


「なにか思うところでもあったのかい?」


「いえ特には…」


 以前、ユウヒ隊長に聞いたことがある。超獣と戦う理由についてだ。


 なんでも彼女曰く、世界はとっくの昔に手遅れらしい。マオも同じように考えている。


 でも。


 それでも少しだけマシな明日を掴むために戦っているのだという。


 希望未満のささやかな願い。


 未来が袋小路なのだとしても、そこにつくまでの歩き方は変えられる。


 少しだけマシな明日。


 マオには想像ができない。マオは積み重ねた罪を償って償って、いつか償い切れずにどこか遠いところまで逃げ出すのだろう。


 マオの未来とはそれだ。


 過去の重みに押しつぶされ、倒れ込むように現在を駆け抜けている。


「死にたがりを殺してあげるほど私は暇じゃありません、か」


「なにか言いましたか?」


 そういうどうでもいいところだけは聞いてないふりができる。


 不器用な英雄サマに再び苦笑する。


 彼女のような英雄がいるのなら未来は、もしかしたら。


「なんでもないよ」


 もしかしたら、と思わせてくれる。それだけで十分だった。

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