衝動的アサシネイト(3)

「これ必要ですか?」


 開口一番にユウヒが告げたのがそれだった。

 指差す先にはトラック。荷台に積み込まれているのは半分ほどが生活用品や実務上必要なもの。もう半分はどう見てもゲームのパッケージだ。


「もちろん必要。ソフトだけ持ち運ぶのは味気ないからね」


 眠たげな顔で答えるのは技術顧問のマオ。屋外に出ているところは初めて見る。日光にあたるのが心底億劫そうだ。いつか健康に悪いのではないかと進言したが「びたみんでぃーはサプリメントで摂取しているから大丈夫」などとよくわからないことを言っていた。


 そんな彼女が顔をしかめながら積み込まれた荷物を見ている。


 拠点を北支部に移すに当たって引っ越しの準備をしたのだが、彼女だけやたら荷物が多かった。


 多様なゲーム用のハードはまあ百歩譲って理解できる。しかしソフトのパッケージくらい捨てられないのだろうか。それのせいで、かさが増してしまっている。本当ならもう一つ小さいサイズのトラックでいはずなのだが。


「それに、これは失われた人類文化の名残だからね。そういうのは大切にしたい」


「はあ」


 ゲームは全て十年以上前の代物だ。世界がこんなめちゃくちゃになってしまってから、娯楽のたぐいは大いに衰退している。今でも流行している娯楽など酒、歌、演劇、セックスくらいだろう。


「それならソフトだけ電子化して保管すればいいのでは。劣化も防げるでしょうし」


「そういうのじゃないんだよ、これは。大事なことは失いたくないという気持ちであって、決して失われないことそのものじゃないんだ」


「感傷ですか?」


「そうだね。ティア風に言うならロマンってやつかもしれない」


「そういうものですか」


「そういうものだよ」


 大量の荷物を抱えたトラックがエンジンをふかし出発する。


 ユウヒとマオはそれに乗り合わせない。別の移動手段を用いるからだ。


 そしてそのさなかにテロリストに襲撃される。その予定だ。


◇◆◇


 物々しい装甲車が市街を抜けていく。北支部を目標到着地点に自動運転されているそれは、いかにも中に重要なものが乗っているかのようだ。


 もちろんこれは囮。


 ユウヒとマオは秘匿された地下路を徒歩で移動していた。


「はあっ、はあっ、あ、あとどれぐらいかな?」


「まだ2キロも歩いてませんよ。進捗は3割未満です」


「よしわかった。休憩、休憩をしよう」


 顔を真っ赤にして息を荒らげているマオ。流石に体力がなさすぎる。普段から部屋に引きこもってばかりいるからそうなるのだ。技術顧問の深刻な運動不足に頭を抱えたくなる。


 ユウヒの心労など気にした様子もなく、マオはどこからか取り出したビニールシートに腰を掛け、魔法瓶の紅茶に口をつけた。


「暑い、暑すぎる。やっぱり車で行くべきだったかな」


「私が担いで行きましょうか?」


「うーんとても魅力的な選択肢だけど今は遠慮しておくよ。のちのちヤバくなったら抱えてくれ」


 もとより急ぐつもりもない。安全に北支部にたどり着くことが目的ではないのだ。のんびりと襲撃を待ちながら進めばいいだろう。


 地下通路は換気が行き届いている様子で、比較的清涼な空気が流れている。もともと物資の運搬のために掘削されたそうだが、今は利用されていない。


 これほど広々とした空間が使われていないのはもったいない気がしないでもないのだが。


「5年くらい前かな。この通路にも正体不明の超獣らしきものが観測されるようになったからね」


「討伐してしまえばいいのでは」


「それがうまく行かなかったらしい。倒しても倒してもいつの間にか出現するんだ。キリがなくって討伐は断念」


「それは、危険なのでは?」


 シティの地下に超獣らしきものが住み着いているなんて初耳だ。仮に事実だとすれば危険極まりない事態だろう。


「ああその点は大丈夫。どうにもその超獣らしきものは危害を加えてこないみたいでね。ただ念の為地下路は封鎖して、物資の輸送は地上で行うようにしただけだ」


 一応焼却処分もしたのだが、それでも超獣らしきものの再出現が観測されたからこの件は手打ち。手出し不要とのこと。


「どんな超獣だったんですか?」


「なんでも白色の触手っぽいものだったり、饅頭みたいなものだったらしいよ。攻撃しても逃げるだけで反撃してこないんだとか。コードネームはたしかDendriticだったかな」


「そんなものがいたんですか」


「今でもいると思うけどね」


 正直、気味が悪い話だ。それなら誰もこの地下路を利用しようとしないだろう。のっぴきならない事情でもなければだが。


 とはいえこの地下路はスレイヤーズの管轄のもと封鎖されている。侵入は並大抵の努力でできるものではない。


 侵入したところで得るものなど普通はないので、誰もそんなことはしないだろう。


 まあそれも「普通は」の話であり、のっぴきならない事情とやらがあれば敢行する人間も皆無ではないだろう。


 例えば内通者がスレイヤーズ内に存在し、要人暗殺という事情でもあれば、地下路への侵入者だっているかもしれない。


 にわかに白い霧が立ち込めた。


「…技術顧問」


「これは、霧かな? 計器に異常はない。なるほど水蒸気の類ではなく感覚質に働きかけるモッドないしイディオとみた。霧を観測したという証言と監視カメラの映像の差異は観測者の性質によって定ま――」


 立て板に水を流すように何事かまくし立てるマオ。ユウヒにはそんな情報聞かされてもなんの得にもなりはしない。


 重要なのは唐突に発生した霧が視界を奪ったこと。おそらくこれはテロリストによる襲撃の予兆であるということ。


 そして。


「――少し、後ろに下がってください」


 ユウヒの両腕が閃く。

 右には正中線を狙い投擲された食用ナイフが4本掴み取られている。


 左手は、喉を捌こうと振り抜かれたナイフを無造作に受け止めていた。


 襲撃だ。狙われたのは護衛から。

 常人であれば反応の余地すらなく即死していたであろう奇襲だった。


 その下手人はたったの一人だ。


「――そのオッドアイ、黒いマフラー、ふざけた膂力。第九位ですか?」


「私をご存知ですか。そういうあなたはどちらさまでしょう」


「答えてあげる義理はありません」


 恐るべき速度で飛び退き、霧の中に消えていくテロリスト。とっさに捕まえようとした手が空を切る。


「――あ、ユウヒさん。殺さないでくださいよ」


「本当に無茶を言いますね」


 護衛するだけなら簡単だ。向かってきたところを殺すだけでいい。事実、ユウヒには最初の交錯でそれを為すだけの実力があった。


 襲撃者もその事実を痛感していたのだろう。先の強気な口調とは裏腹に、顔には驚愕と恐怖の色がかすかに見えていた。


 それでも襲撃を諦めるつもりが見られないあたり、なにか事情があるのだろう。


 知ったことではないが。


 霧を突き破り再びの突貫を見た。目標はマオではなくユウヒ。ほぼゼロ距離に接近されるまでまるで気付かなかった。大腿の内側を裂くつもりだろう極端な前傾姿勢で迫っている。


「なっ!?」


ったと思いましたか?」


 前触れなく閃いたユウヒの徒手が、突き出された食用ナイフをつまんで止めている。間に合うはずのない防御を、見てから間に合わせる理不尽に襲撃者が今度こそ驚愕した。


 寸時の硬直。襲撃者はセーラー服の上からジャンパーを着込んだ少女だった。彼女も赤と青のオッドアイだ。Hydeというコードネームが割り当てられた、本作戦の確保対象その人で相違ない。


 殺さないように加減した蹴りを打ち込む。膝を破壊しようと狙った攻撃は、強引に割り込ませた腕のガードに直撃した。


 被弾の勢いに逆らわずに、襲撃者は自分から吹き飛んでいった。通路の壁に激しく衝突し落下する音。右腕を砕いた感触がある。


「どうだいユウヒさん? 私には何が起きたのかよくわからないのだけど」


「…あわよくば一撃で昏倒させたかったのですが、思いの外やるようです」


「君にとっての『思いの外やる』は一般的な『信じられないほど強い』だからね。やっぱりユウヒさんに頼んで正解だった」


 お手本のような受け身を取られていた。けたたましい衝突音はその実、衝突のエネルギーが破壊ではなく音に奪われたことを意味する。本当に砕きたかった脚の方は健在だろう。


 霧の中で金属の擦過音と火花。とても一方向から投げられたとは思えない多角から迫る食用ナイフが見えた。その数6本。


 内心舌を巻く。投擲はおそらく二度。広範に投げたナイフに後から投げたナイフを打ち合わせて角度を変えたのだ。


 恐るべき曲芸。腕を砕かれた痛みを物ともしない隻腕の技術。たしかに自分以外が護衛に回っていたらあえなく死んでいたのだろうなとユウヒは思う。それだけの絶技だった。しかし。


 無論、無駄だ。


 ユウヒには戦闘における敗北がない。間に合うはずのない防御が成立する。物理限界を超えて閃く手が、すべてのナイフを手中に収める。


「…あな、たは。何者ですか」


「君が言っていたじゃないですか。第九位のユウヒですよ」


 霧の中から震える声。方向はつかめない。


「ありえません。確かに命中する未来を見ました。こんなこと、あり得るはずが…」


「やめたほうがいいよ。このヒトに常識は通用しない。必ず勝つっていう一つの法則みたいなものだと考えるべきだ」


「…護衛対象が前に出ないでください。死にたいのなら別にいいですが」


 ビニールシートに腰掛けていたマオが立ち上がっていた。疲れた表情と裏腹に口だけがよく回っている。


「いくつか君に確認したいことがあるんだ。答えてくれ。コードネームHyde、いやアルミナと呼んだほうがいいかな?」


「…答える意味を感じません」


 返答はあった。相手は聞く耳を持たないテロリストではなく、何らかの事情を抱えた厄介なヒトらしい。

 それよりもこの技術顧問はテロリストに関する重要な情報を握っていたようだ。


 もちろん知ったことではない。ユウヒはただ言われたことをこなすだけ。厄介事に首を突っ込むつもりはさらさらない。


「私じゃなくて、真っ先に護衛を殺そうとしたのはアレだね。私を心置きなく拷問するためだろう。やはり私は君に恨まれている。そうだね?」


「当たり前でしょう。マオ、あなたも必ず殺します」


 粘ついた憎悪。ユウヒは感知しない。関心を向けない。


「一応理由を聞いておいていいか? 認識に齟齬がないか確認したい」


「白々しい。白々しいです。貴方達が殺したからに決まっているでしょう」


「うん、それはどういうことだい? 誰のことを言っている」


 返ってきたのは明確な激昂だった。怒気というものに質量があったとしたら、それだけで人が圧死していたであろう。


「妹ですよ。あの実験の果てに貴方達が嬲り殺した妹のための復讐。亡き妹に代わり、私は貴方達を殺し尽くします」


「ん、いや、なんだそれは。ちょっと待ってくれ、情報を整理する」

 

 マオが明確な混乱を見せていた。重大な思い違いでもあったのかもしれない。


 そしてユウヒは襲撃者の憎悪に関心を向けない。そのはずだ。そのはずなのだが、妹という単語に、いささかの興味を覚えてしまった。我ながら度し難いなとさえ感じる。


「あの、大事だったんですか?」


「なにがでしょう?」


「その妹さん。大事な方だったんですか」


 霧の向こうに何かを思案する気配。濃密な怒りの中からかすかに感じる優しげな気配。


「大切でした。そうじゃなきゃこんなことしてませんよ第九位。貴方も家族がいるならわかるでしょう」


「そうですか、そういうものですかね」


 おぼろげに襲撃者の事情を察してしまった。

 彼女の妹はなんらかの実験動物として、スレイヤーズ本部で消費されたのだろう。そういう話が都市伝説のたぐいではないということをユウヒは知っている。


 そしてマオやこれまでに殺されてきた多くの要人がそれに関わっていた。


「第九位、そこをどいてくれませんか」


「できないですよ。これも仕事ですから」


 だからどうということもない。ただ少し可哀想だなという憐憫だけがあった。


「ではやるしかありませんね。貴方を殺して、そいつも殺します」


「それは許容できないですね」


「ちょ、ちょっと待ったふたりとも。特にユウヒさん、作戦は中止だ。捕まえるのも殺すのもナシで!」


 剣呑な空気に割って入ったのはマオ。なにやら思案が終わった様子だった。


「…なんのつもりですか?」


「私は君に対して重要な情報が提供できる」


「どんな?」


「君の妹についてだ」


 疲れた表情。マオの目の奥にはいつも諦観が居座っている。しかし、それでも彼女は真摯に訴えていた。


「実験動物にされた君の妹とやら、生きてるよ。少なくとも元気に人間的な生活をしてる」


◇◆◇


 襲撃者は撤退していった。マオは懐から取り出したメモに、どこぞのカフェテリアの住所と日時を書いて放り投げた。そこで情報提供をするとのこと。護衛をつけずに行くから来てくれと言っていた。


 私はそれを見ないふりをした。


 追うな、殺すな、捕まえるなの指示を守った私は、マオを連れて北支部への道を歩きだす。


 案の定、はやばやとへばった技術顧問を担いでではあるが。


「アルミナさん、でしたか。あの人ずいぶん戸惑っていましたね」


「まあそうだろうね」


 狂乱していたと言ってもいい。彼女はマオの言を嘘だと罵りつつも、最終的には思うところでもあったのか何もせず帰っていった。


 背中から、やはり疲れたような声がする。


 肉体的な疲労だけではない、魂に染み付いた疲弊の匂い。


「…でもね」


「なんですか?」


 心底疲れたような声の持ち主が語る。


「あの子に妹なんていないんだよ」


「それは、どういうことですか?」


 疲れ切った技術顧問は、それ以上戯言を吐かなかった。

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