衝動的アサシネイト(2)

 隊の拠点を北支部に移すための手続きは、正直ぞっとするほど面倒だった。

 

 寮の確保に始まり、本部の交代要員の確保。北支部に巣食う珍生物、コードネームMacrophageの収容プロトコルの徹底。部下や関係各所への依頼書の作成。


 とにかく凄まじい量の書類に目を通してはサインをしたり、現地の責任者と打ち合わせたり、本部の交代要員と話を合わせたりととんでもない手間がかかった。


 直属の部下であるティアが仕事の出来る女で良かった。彼女なしにこれだけの雑務をこなすのは、ちょっと想像もしたくない。


「じゃあ終わったんでアレやりましょう!」


「そうですね。体も動かしたいですし」


 据わった目でじゃらじゃらと大鎌を用意しだしたティア。これでこの好戦的な性格と加虐趣味さえなくなればいい部下なんだけどなといつも思う。


 殺人を厭わず、血湧き肉躍る闘争を求める殺戮者。ユウヒ隊入隊前は犯罪者で、今でも絶賛指定危険犯罪者だという彼女は体が疼いて仕方ないようで、訓練場へ足早に向かってしまった。


 今回ばかりはデスクワークばかりさせてしまったユウヒの責任でもある。ティアのフラストレーションが他の部下に向かう前に発散してやらなくてはならない。


 この間新調したばかりのタクティカルナイフだけ腰に佩き、ユウヒもまた訓練場へ向かった。



◇◆◇


 円形の訓練場は他の部下が利用していたが、ユウヒ達の到来に気付くとすぐにやめた。ユウヒとティアの手合わせを観戦したいからなんて言っていたが、恐らくティアが不機嫌にならないように気を使っただけだろう。


 いつものカーボンブレードは使わない。あれは加減が難しいからだ。うっかり部下を殺しましたなんてことしたくはない。


 ということで先程のナイフを使う。特別製の鞘に包まれたこの逸品は、そのままでも有用な打撃武器として使える。 


 対してティアは抜身の大鎌。どう見ても趣味の領域の武器で、その形状に合理性が見当たらない。彼女曰くロマンとのことだ。ロマンならしかたないか。


「ルールはいつもどおりでいいですか?」


「いいですよ。好きなようにどうぞ」


「では、その胸お借りします」


 唐突に沈み込んだティアの体が、弾丸と化して跳躍した。不意打ち同然の石突による打突だった。


 胸骨を砕かんと迫るその鎌を無造作に打ち払う。それで事足りた。残像すら残す神速の突きは、しかしユウヒには遅すぎる。


 払われた勢いを利用して大きく弧を描いたその鎌の一閃さえ、やはり遅い。無造作に、ただ払う。

 

 ティアの武器は普通に刃のあるものなのに対し、ユウヒのはそうではない。もとよりティアの攻撃など、ユウヒにとっては脅威足り得ないからだ。


 息を吐かせぬティアの猛攻はユウヒの前に無力。しかし彼女が弱いわけではない。


 ティアは強い。そのはずだ。カテゴリーⅣの超獣を相手に、単独で勝ちを拾いうる人間が弱いはずもない。


 ただただ相手が悪かった。


 生物を挽肉に変える膂力があるのなら、更なる剛腕をもって粉砕する。

 目にも留まらぬ速さで動くのなら、更なる速度でもって凌駕する。

 積み上げられた技巧による業を見せられたのなら、更なる緻密をもって上回る。


 ユウヒとはそういう理不尽だ。


 ただ上回り、凌駕するだけの強者。

 生まれてこの方ユウヒが戦闘において敗北を喫したことは一度もない。


「流石…流石です! まるで歯が立ちませんね!」


「喋ってる余裕があるんですか?」


「まさか! これっぽっちもありませんとも!」


 埒の開かない武器の応酬に距離を取ったのはティア。その隙をユウヒは追わない。


 どこから取り出したのか、ティアが投擲したのは先端に錘のついた極細のワイヤー。正確に首元を狙って飛来したそれを、あえて腕に絡める。避けてもよかったのだが、周囲の備品に当たったら修繕が面倒だったからだ。


 先端の錘には火薬が仕込まれていたようで、握り込んだところ爆発した。ユウヒの手に傷はない。


「ユウヒさんなら止めてくれると思いましたよ! これでまず右腕を封じました」


「そうですか」


 言うやいなやワイヤーの逆端を地面に打ち込むティア。返しでもついているようで容易に抜けそうにない。移動範囲を狭めるのが目的だったのだろう。


 それにワイヤーの絡まる腕は、確かにナイフを握るには不便だ。


 だから引きちぎった。


 無造作に、ぶつりと。


「…それ炭素繊維ワイヤーですよ。どう力入れたらちぎれるんですか」


「どうと言われても、千切れるまで力を入れましたので千切れただけですよ?」


 断裂したワイヤーを唖然とした表情で見つめるティア。ナイフを引き抜いて斬ったのであればまだ話はわかる。目にも留まらぬ剣閃ならばまだ理解はかなう。


 だがまさか膂力任せに引きちぎるのは、はっきり意味不明だ。環境さえ整えれば、カテゴリーⅣの超獣すら拘束しうるはずだった。


 しかし、そんな思考の混乱と裏腹にティアは即座に行動を変えている。


 たかだか理解不能な事態に直面した程度で硬直しているようでは、とても生きていけない。


 大きく宙に跳躍する。


「なんのつもりですか?」


「こういうつもりですよ!」


 再びワイヤーの投擲。時限信管が作動し先端の錘に仕掛けられた火薬が炸裂する。その内側にあった本命のアンカーが爆風に煽られ加速。


 狙いはユウヒ近くの地面の二点。ワイヤーの巻取り機構が作動し、宙に浮いていた体に加わるベクトルが急変化。


 更に鎌のギミックを展開。ヒドラジンと四酸化二窒素が反応。大鎌の背部スラスタが火を吹き強引な姿勢制御と加速を担う。


 大鎌は特殊な形状の武器だ。本来なら武器とすら呼ぶことのできない巨大な長物は、振り抜くことによる斬撃に適さない。


 その形状最大の強みは、円運動のもたらす慣性力を用いたにこそある。


 ワイヤーの巻取り、スラスタの噴射、重力。それらのベクトルを掌握した完全な姿勢制御から繰り出される、防御を抜く頭上からの一撃。


 空中からコマのように縦回転して落下するティアが、その勢いの間にユウヒの頭頂へ向けて鎌を振り下ろし―――



◇◆◇


「おかしいです。確かに当たると思ったはずですが」


「そうですね。私も当たると思ったので当たらないようにしたんです」


 振り下ろす刺突という防御をさせないことのみを考えたティアの攻撃は、ユウヒの割り込ませたナイフによって完全に防がれた。


 あまりに硬質な手応えから手首を壊しかけたティアは、そのまま武器を放棄。模擬戦はそのままユウヒの勝利として終了した。


「なんですか、あの変なワイヤー。東堂重工は変わったものばかり作りますね」


「あれは一発芸みたいなものですよ。ワイヤーでの立体機動、ロマンあるでしょう?」


「そういうものですか」


「そういうものです」


 ティアではユウヒに勝利を収めることはできない。勝負の行方は最初から確定しており、その努力に報いはない。


 それでもと大鎌を携えるティアの心象を、ユウヒは理解することができない。


 なぜ殺人鬼である彼女が己だけを殺さんと付け狙うようになったのか。なぜ虐殺を起こさなくなったのか。なぜ負けるとわかりきった戦いを何度も繰り返すのか。


 ユウヒには理解ができない。


 ユウヒにとっての戦いとは、勝利すべくして勝利するもの。戦う限りにおいてユウヒには勝利しか手に入らない。


 そのようにできている。


 だから、わからない。


 敗者の論理を理解できない。


◇◆◇


 おおよそ戦いを生業にする者には、必ず一つの壁が待ち受ける。


 敗北だ。


 強さをもって生を勝ち取るものは、いつかより強き者によって打ち砕かれ命を落とす。

 戦う限り、敗北の運命は死神めいて背後を着けてくる。


「それにしても相変わらず規格外ですね。勝てる未来が見えません。まあそれはそれとしていつか必ず殺しますが」


「…無駄だと思いますよ。私はに負けないので」


 ティアもいつか剣戟の果てに死ぬのだろう。もうひとりの部下もいつか死神に追いつかれるだろう。


 敗北という硬質の壁は、必ず戦う者の前に立ちはだかる。その運命だけは万人に平等に訪れる、覆しようのない結末。


 ユウヒだけだ。


 ユウヒだけが唯一つの例外だ。


 訪れるべき敗北という結末。

 その結末からユウヒだけが見放されている。

 ユウヒだけが敗北という苦役を免除されている。


「それでもです。それでもいつか殺します」


「では期待せずに待っています」


 ティアの金の瞳にこもる感情は、やはり理解できない。できなかった。

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