同罪

 俺が黙らせてやる!と叫びアンナルチアに飛びかかったトマスは、鬼のような形相でアンナルチアの胸倉を掴み、右手拳を振り上げた。抱き合いきゃあっと悲鳴をあげたリリシア達だったが、その右手がアンナルチアに振り下ろされる事はなかった。


 アンナルチアは、トマスの左手首を両手で掴み、そのまま後ろに倒れ込むような形でトマスを放り投げたのである。頭蓋をしこたま床にぶつけたトマスはギャッと叫びまたしても床に転がった。


「女性の胸倉を掴むなんて、ほんとにどんな教育を受けているのかしら」


「きっ、貴様ぁ!」


 痛む頭に手をやり涙目になったトマスは、興奮気味に叫び、素早く立ち上がりアンナルチアに殴りかかった。もう、体面もへったくれもない。がむしゃらに拳を振り回すトマスをダンスを、踊るようにヒラリ、ヒラリと躱していくアンナルチア。だがその度にトマスの手や顔に青あざが増えていく。ボロボロになって行くトマスにリリシアは訝しげな顔をした。


「な、何が起こっているの?」


 少しずつ勢いが無くなっていくトマスを見て、オリビアがあっと声を上げた。


「あ、アンナルチアさん……攻撃してる?」


「え?」


 アンナルチアはトマスの動きを避けているように見えて、拳が空振りするたびに逆に手刀を加えていたのだ。全てが見えるわけではないが、オリビアが凝視をしていると、トマスがアンナルチアと接触する度アンナルチアが手を振り払い、その瞬間トマスの頭が上下左右に振られ、青あざ赤あざが増えていくのだ。


「いい加減、やめませんか」


 トマスの体を避けながらアンナルチアが淡々と話しかけ、逆にトマスの方はすでに息も切れ切れだ。何度か顔を叩かれて眩暈もする。


「ま、まだ、だ!くそ、お前、なんなんだよ…っ!」


「あなたより強い令嬢ですわ」


「ち、っくしょう!」


 とうとうトマスは立ち上がることをやめ、腹這いになって倒れ込んだ。ゼイハアと虫の息だ。アンナルチアはそんなトマスをしばらくじっと見つめていたが、ようやく闘志が消えた事に満足したのか、構えていた両手を下ろし、制服のポケットに入っていた手帳を取り出した。


「残念ですよ、トマス君。もう少し貴族としての矜持を持って学園に入ってきて欲しかったです。それで、先程ケヴィン君の件ですが、あなた、自分のお友達を貶めて何がしたかったんですか」


「……ちっ。てめえに関係ねえだろ」


「……個人的には関わりたくありませんが、私は生徒会役員ですから。冤罪で黒星をもらった人を見過すわけにはいきません」


「冤罪、?はっ。綺麗事ばかりだな、お前みたいなやつ、とっとと退学しちまえばいいのに」


「その言葉そっくりそのまま返します。……では、オリビアさん?あなたは着替えを。もし先生に呼び出された場合は真実を話してくださいますか?冤罪である場合は黒星も取り消されますから、正直になりましょう?」


「……は、い…」


「オリビア!あなたわかってるでしょうね!」


 リリシアが威圧的にオリビアを睨んだ。オリビアがビクッと体をすくめる。


「リリシアさん、アシュレイさん、ミネルヴァさんも。ご自身の態度と立場をよく考えてくださいね。自分の友と認め共に行動を取るのであれば、時には嗜めることも諌めることも必要なのですよ?」


「あ、あなたに何がわかるのよ!ちょっと頭が良くて、生徒会に認められているからって偉そうに!どうせ友達の一人もいないくせして!」


 アシュレイがリリシアを庇いながらそう言い、涙目になる。アシュレイは少なくともリリシアを大事に思っているようだ。


「……まあ、あなた方次第ですけどね」


 アンナルチアは肩を僅かにすくめ、手帳に何やら書き込みをしパタンと閉じる。トマスに殴られた頬が熱を帯びてきたのか、軽く触れ眉を顰めた。


 鼻血まで出ているようだ。仕方なく、アンナルチアはハンカチで鼻を押さえた。


「後日、生徒会もしくは教師から事情聴取の呼び出しがあると思います。ご自身の立場を一番に考え供述されることを期待しますわ。嘘をついたり隠したりしても、調べの後で嘘が発覚次第、罰は大きくなりますからね」


「そんなもの、お父様にお願いすればなんとでもなるわ!」


「そうですか。では、お好きに。トマス君立てますか?保健室にいくのなら付き添いますが」


「お前となんか、誰がいくか!」


「わかりました、では私はこれで。ああ、リリシアさん、次の授業はサボらないように」


 アンナルチアはパタパタと土を払い、胸のリボンを整えて去っていった。


 その後、アンナルチアは保健室に顔を出し、ちょっとした事故でトマスが立ち上がれず、第一校舎の回廊と花壇の間にいることを保健医に告げ、緑化担当の教員にはオリビアの事を伝えておいた。オリビアのクラスの担任にはクラス内の嫌がらせについて目を光らせてほしいと言うこと、校則への理解の強化をするよう求めた。


 だが、暴力沙汰については口を噤んでいた。


 トマスの態度が悪いとはいえ、そうなるよう煽ったのは自分だ。そうでなければオリビアは槍玉に上げられ、きっと泣き寝入りしてしまうと思ったから。ケヴィンとミネルヴァの婚約解消の件についても、どう言う経緯でオリビアが関わってきたのかも、好奇心から知りたかったもので、事実上、生徒会とはなんの関わりもなかった。

 ただ、オリビアの様子から彼らの婚約解消に巻き込まれただけにすぎない、被害者のように思えた。


 その日の夜からアンナルチアは風邪をひき、熱を出して三日も寝込んでしまった。濡れたままでいたのが良くなかった。

 だがおかげで頬が腫れ、赤くなっていたのは誤魔化すことができた、と思っていたのだが、復活後、学園長から呼び出された。


「実は、君が休んでいるようなので心配になって、とミネルヴァ嬢が告発してね」


 アンナルチアは少し眉を上げ、驚いた。


「トマス・ベッカー君に暴力を振るわれそうになったところでアンナルチア嬢に庇われた、と。何があったのか話してもらえるね?」


「……はい」


 ため息を飲み込んで、洗いざらい話をしたアンナルチアだったが、その後、一人づつ呼び出されたリリシアとアシュレイ、トマスはそれぞれアンナルチアとは違った話をし始めた。


 そしてオリビアは無言を貫いた。


「君がリリシア嬢やアシュレイ嬢、ミネルヴァ嬢から嫌がらせを受けていたと言うのは、本当かね?」


「……それ、は……」


「いじめと言うのは、本人が自覚をして初めて成り立つものだ。君がそうではないと言うのなら、周りがどういったところでそうではないと受け止められる。リリシア嬢やアシュレイ嬢はそんな事実はないと言い張っているが、ミネルヴァ嬢はそれがあったといっているんだ。君本人は、どう受け止めているのかな?」


「そ、その……」


「アンナルチア嬢が目撃した水かけの事件については、どう?」


「あ、あれは……」


 オリビアは口を噤んで俯きそれ以上何も言わなかった。


「もしも、君に被害者としての意識がないのだとすれば、君もこの件に関しては同罪という事になるが、いいのかい?」


 オリビアがはっと顔を上げる。


「アンナルチア嬢への暴力、水かけ事件に関与するとみなし、黒星がつくよ?そうなったら君は、学園にいられなくなると理解しているかい?」


 学園長の容赦ない言葉がオリビアを貫いた。


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