正当防衛


 噂はあっという間に広がり、訓練場は集まった見学人で溢れた。アンナルチアは周りを見渡したがスカーレットの姿はまだ見えない。


(まあこれだけ見物人がいるのだから、私が加害者ではないことは一人くらい証人になってくれるだろう)


 トマスのレベルにもよるが、流石に男子相手に長く打ち合えるとは思えない。果たし合いではないのだからある程度打ち流して終わらせてしまうか、誰かが止めに入るのを待つしかないか、とアンナルチアは冷静に判断し、練習用の剣を手に取った。


「仕方ありませんね。トマス君。練習とはいえ、礼儀は……」


 あんなルチアがそこまでいって振り返るとほぼ同時にトマスが剣を頭上に振りかざした。周囲からヒッと声が上がるが、アンナルチアはすいっとそれを避け、自分の持っている剣で難なく横に流した。


 他の生徒を稽古付けていたアルヴィスも気がついて、慌てて止めに入ろうとするがトマスが顔を歪ませ狂ったように剣を振るい、間に入ることもままならない。やめろ!やめるんだ、と大声を出しても周囲の歓声に阻まれて、当人同士には届いていないように見えた。


「トマス君。これは練習であって戦場ではないのですから、礼儀を欠かしてはいけませんよって、言ってる端から」


 ぶんぶんと大振りを繰り返し、右へ左へと打ち付けてくるトマスの剣を、アンナルチアはヒョイ、ヒョイと躱していく。


「礼儀もなっていなければ、構えもなっていないじゃないですか。もっと脇をしめて、ほら隙だらけです。腕も、胴も」


 パシ、パシと剣の腹で叩かれ、トマスの顔は憤怒と羞恥で真っ赤になっていた。高血圧で血管が切れてしまうかもしれないわ、とアンナルチアは要らぬ心配をする。


「くっ、くそっ!なんで当たらない!」


「片手剣を両手で振っているからですよ。ご自分の急所を守るように剣を構えて、上半身は力まず柔軟に。ほら、視線は剣ではなく相手に。足元が覚束なければ、剣は振れませんよ。ちゃんと校庭は走りこんでいますか?基礎訓練をバカにしてはダメです。足腰はちゃんと鍛えなければ」


 キン、キンと自分の振る剣を弾かれ流されて、大きく振りかぶったところで、剣の腹で脇を打たれ、腿を打たれ、首筋に剣を突きつけられたところで、アンナルチアの剣が止まった。


「トマス君。まずは礼儀から復習です。今の手合わせだけで、あなたは片手片足をなくし、胴体は切り裂かれ、首も落ちてしまいましたよ。素振りからやり直すのが賢明かと思われますわ」


 時間にして五分足らず。ボコスコに言われ汗だくになって崩れ落ちたトマスに向かって、汗もかかず、ほんの少し制服のベストを正しただけで直すべき箇所を端的に述べるアンナルチアに、見物人たちはぽかんと口を開けた。何人かは剣を片手に、いつでも助けに入れる状態を作っていたものの、余りのことに誰一人として動くことはできなかった。


「アルヴィン様、せっかく講師としてお呼びしたのにも関わらず、素人の私がお邪魔しましたことをお詫び申し上げます。終了まではまだお時間もありますから、どうぞこのままお続けくださいまし。私はこれで失礼いたします」


 ペコリと頭を下げ、剣を差し出したアンナルチアに言葉もなく、アルヴィンはああ、いや、あの、と意味のない音を発した。


 扉の前で頭を下げ、退出するために訓練場に背を向けたときだった。


「……ふざけんなよ!このクソアマがぁ!!」


 誰が止めるよりも早く、怒りに狂ったトマスがアンナルチアに飛びかかった。スローモーションのようにトマスがアンナルチアのまとめられたポニーテールを掴み、後ろに引っ張った。見物人の中から悲鳴が上がる。


 次の瞬間、ダダン!と床に振動が伝わり、同時に「アニー!」と叫ぶ声が響いた。


 おそらく引っ張り倒されたであろう少女を案ずる声につられて皆が床を見ると、そこには床に仰向けにひっくり返ったトマスの姿があった。


「え?」


 何が起こったのか、トマス自身も目を点にして唖然としている。その手前には、パタパタとほこりを払い立ち上がったアンナルチアの姿があった。


「……と、このように暴漢に後ろから襲われた場合、即座に体重を相手にかけ、暴漢のバランスを崩します。その間に相手の手首を掴み、肘から逆方向へ捻り返すことで相手の掴みかかる力が緩みます。そして相手の慣性力を利用して背負い投げをすることで、このように小柄な私でも相手をひっくり返すことができるというわけです。女生徒の皆様は一つ二つ、こうした自己防衛の体術を覚えることをお勧めしますわ……あ、会長。ルーク先輩も、ちょうどいいところへ」


 トマスは、床に大の字になったまま呆然としているが、アンナルチアは何事もなかったかのようににっこりと笑いアレックスとルークを見上げた。


「ええと。剣技の手合わせをこちらのトマス君と行いましたが、終了後、後ろから襲われましたので正当防衛で対処させていただきました。ですよね、皆さん?」


「……えっと?」


 アンナルチアが一年男子に絡まれて剣技場にいる、とスカーレットが慌てて生徒会室に駆け込んできたため、その場にいたアレックスとルークが大急ぎで現場に駆けつけたわけだが、なぜか目の前でアンナルチアが引っ張られた状態からフッと姿を消し(た様に見え)、男子生徒が宙を舞い、床に叩きつけられたのを見せつけられた。


 見物人たちは若干引き気味に頷き、呆然とするトマスと、にこやかに佇むアンナルチアを交互に見る。


「女性貴族の嗜みですわ」


 その後、授業に基礎保身術クラスが増設され、社交ダンスクラス以上に女生徒の人気クラスになったことは言うまでもない。

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