自覚
僕の人生に影が差したのは、この学園に入学してすぐだった。生みの母親が突然現れて、僕が公爵家の私生児だと知らされた。両親だと思っていた人たちは、全く赤の他人で僕はもらわれた子供だったのだ。
その後弟と妹ができて、僕は突然邪魔者になった。いや、僕が知らなかっただけで、弟が生まれて以来、ずっと邪魔者だったのだ。これ幸いと、育ての親は僕を追い出そうと手を替え品を替え、僕を追い詰めた。可愛がっていた弟も妹も掌を返した様に僕を避け蔑んだ。
そんなことがあって、ずいぶん捻くれた子供になったが、公爵夫人がせめて卒業まではエドモントン家の名を名乗らせてほしいと両親に告げた。代わりに僕は寮に入り、すべての学費や諸経費は公爵家が引き継ぎ、僕は第二王子の側近へと推しあげられた。養父母たちが渋々了承したのを見て、僕は親子の絆の儚さを知った。この家にとって僕は単なる厄介者で、これっぽっちも愛情などなかったのだから。
だが、卒業までに何とか自立できるだけの力をつけなければ、と割り切ることにした。卒業したらもう関係のない人たちになるのだから。
第二王子のアレックスと婚約者であるアマリアはどちらも優秀で生徒会を盛り上げ、男尊女卑や貴族の序列制度に疑問を持ち、実力主義を主張した。第一王子の時代から生徒会は実力主義を維持していたが、今度はそれを全校生徒へと意識づける努力をした。僕もそれに感銘を受け、生徒会に力を入れた。きっと僕は人間らしい感情を忘れていたのだと思う。がむしゃらに勉強をして、力をつけることだけを考えていた。
そしてアンナルチアと出会った。
学園生活も最終年になって、アンナルチアとの出会いはルークの人生を変えるほどの衝撃を与えたが、まさか恋だなんて考えてもいなかった。そう、どちらかと言えば彼女との出会いは人生の可能性だとか、甘さとか、厳しさとか。根本を揺るがす様な感情を刺激されたのだと思う。
どれほどの重荷をあの小さな肩に背負っているのだろうかと。
小柄で華奢な割に気が強く、貴族然とした振る舞いが、ひどく背伸びをした子猫のように思えた。キュッと引き締めた唇が時折震えるように息を吐く。生徒会の仕事の合間にふと顔を上げ、遠くを見つめる瞳。光の加減で金色にも飴色にも見える琥珀色の視線の先を目で追う。それが単に木々のさざめきだったり、小鳥だったり、疲れ目を癒すためだけだったかもしれない。その度に揺れる瞳に映るものがなんなのか、興味を持った。
アニーはクルクルとよく働いた。庶務の仕事どころか、広報に携わるソルの仕事を手伝い、会計のリンダの手伝いまで嫌な顔を一つもせずこなしていった。いつ寮に帰っているのか、いつ勉強をしているのか。職務に関しては鬼のアレックスですら心配したくらいだ。アマリア嬢などは溺愛に近く、アニーは生徒会のマスコット的存在になった。それでも中間試験では全て高得点を取り、学年一位の座は誰にも譲らない。
年相応の笑顔を見せて、生徒会では砕けた話し方を強要され、なんとかそれにも慣れてきた頃、アニーが二年生の男子生徒に告白される場面に出会した。校舎裏の噴水のそばで、生徒会室から丸見えの場所だったせいだ。アニーの顔は見えなかったが、少年の姿はよく見えた。耳を真っ赤にして手を差し出して頭を下げている。
「やるねえ。彼女モテるらしいよ」
それを同じ様に生徒会室から見ていたソルが、チラリとルークを見る。
「ふうん」
何かムッとして口を尖らせたルークは、ちっと舌打ちをして窓際から離れた。人の告白を覗き見するなんて無粋なことだと思ったせいだ。
「まあね。可愛いもんね、アニーちゃん」
ソルはそれでも窓際からその様子をニヤニヤして眺めている様だった。それがルークを余計にイライラさせた。
「可愛い?」
「ちっちゃくって子猫みたいじゃない。守ってあげたくなるよね」
「ソルは何を見てるんだ。アニーは守られる様な人じゃないだろ?」
「そう?じゃあルークから見たらどうなのよ。生徒会仲間?同志?」
「それだけじゃないけど……どちらかと言えば」
そこまで言いかけて、息を止めた。
ーーどちらかと言えば、隣に並んで同じものを見て感動して、意見を分かち合って、一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に……。
眉を顰めて、その考えを反復する。
「まさか」
口元を隠しても、顔に熱がこもるのがわかった。黙り込んだルークの肩をポンと叩いたソルがクスッと笑った。
「ようやく気が付いたか」
「な、何を…」
「これから何回こういうことがあると思う?」
「!」
アニーちゃん、なんて返事したのかなあ。気になるね、とソルは窓際を離れ笑顔で囁いた。
ルークは今年三年生で、来年からは特別学科に入るとは言え、生徒会役員からは外される。校舎も別だし、接触する機会はぐんと減る。アニーは自分がいなくなった後二年も学園の生徒なのだ。たった数ヶ月にして彼女に目をつけた男がいることは無視できない。
これからどんどん増えることは間違いない。色恋に興味のなかった自分ですら、これなのだから。
自覚してから、アニーの周りが気になった。誰と仲が良くて、どこでランチをとっているのかとか、クラスでの立ち位置はとか。生徒会にアニーがいるとさりげなく隣に座って、気のないふりをして話しかけ、偶然を装って食堂で一緒にランチを取った。それでも日に日にアニーを見つめる熱い視線は増えていく。そして悪意のある視線にも気がついた。
「困ったことがあったらなんでも言って。僕にできることがあれば、なんでもするから」
特に男関係は。
「ありがとうルーク先輩。頼りにしてるね」
「そろそろ先輩付けは無しにしない?」
「そ、そう言われても」
「卒業したら僕は君の先輩じゃなくなるんだから、今から練習しようよ」
自分的には、はっきりわかりやすいアプローチをしているのに、アニーはいつも通りの態度を崩さない。なんとか心情を読み取ろうと無駄な努力をする自分に気づき、乾いた笑いが漏れる。
「アニーは学校を卒業したら王宮に勤めるつもりなんだよね?」
「うん。奨学金制度を取ってるから二年は確実に。でも文官になってずっと働きたいと思うの」
お給料が全然違うし、結婚しなくても仕事で生きていけるでしょ、と笑うアニーに目を見張る。
「アニーは結婚する気ないの?」
「うん。うちは両親が恋愛結婚だから、私も恋愛結婚がいいなとは思うんだけど、貧乏伯爵家の出でも良いって言ってくれる人がいいし、支度金も出せないし。自分より頭の悪い人はちょっとやだなあとも思うし、仕事もできれば続けたいから、結婚は難しいと思う」
と言うことは、とルークは首を傾げた。
同学年の男はみんなアニーより頭が悪いから、心配には及ばないということか。
「私自身はこだわらないけど、伯爵家の長女が平民に嫁ぐと聞こえが悪いし、旦那様より稼ぎが多いのもまだまだ問題だしね」
「頭が良くて出世株の男か」
「あはは。そう言われるとすごい高望みだね」
貴族の長女は、通常貴族の嫡男へと嫁ぐ。矜持があるし、次男や三男ではせいぜい一代限りの騎士爵か格下の爵位を親から譲られるかになるから、娘親が嫌がることが多い。しかしながら、貴族の嫡男となれば数に限りもある所為で倍率が上がり、壮絶な争奪戦が繰り広げられるのだ。
ルークが公爵家の私生児ということは秘匿されているため、表向きは第二王子の側近で、将来は王族の護衛騎士になるから家は継がず、弟が家督を取ると公にしているため、婚約者争奪戦は免れたが、それでも王宮勤務のルークを好む令嬢もいる。護衛騎士になれば箔も上がるし、家族寮をもらい王宮に住むこともできるからだ。
「アニーのご両親は騎士との結婚は反対かい?」
「ふふ。私の父は騎士団長だったのよ、若い頃にね。でも怪我のせいで退職して、伯爵家の母に婿養子に入ったの」
「えっ。それは気がつかなかった!騎士になりたいとか言ってそんなことも知らないんじゃ、僕の知識も大したことないな」
「そんなことないよ。この国は婿養子自体、滅多にないから仕方ないわ。騎士団もたくさんあるし、ずいぶん昔に脱退した人の名前までいちいち全部覚えていられないもの」
「そうか…。今度ちゃんと調べておくよ。知らないなんて恥ずかしいし」
「ありがとう、ルーク先輩。興味があるのなら今度お父様に詳しいことを聞いておくわ」
「本当?脱退したとは言え、騎士団長の話ならすごく興味がある。よろしく頼むよ。なんなら今度の休暇に訪問してもいいかな」
これはチャンスとばかりに、食い気味に返事をする。自分を売り込む絶好のチャンスだ。
「うん。でも伯爵領は遠いよ?」
「平気だよ!アニーが戻るとき一緒に行ってもいいかな。馬車は僕が出すし。代わりと言ってはなんだけど、勉強でわからないところがあったら、僕が教えるよ。今度の試験は一緒に勉強しようか」
「え、いいの?ルーク先輩だって自分の勉強があるのに」
「大丈夫。僕はこれでも全教科トップ3に入ってるし、過去問題だからそれほど難しくはない。復習をしておいて損はないしね」
「えっとそれじゃ、お言葉に甘えて経済学でちょっと不安な部分があるのと、剣術の模擬試験の課題について教えてもらってもいいかな」
「お安い御用だよ」
生徒会にいる限り、最低でも基礎学でトップテンに入っていなければならない。大体一位はアレックスで、二位はアマリアだが、あの二人の頭脳は別格だから仕方がない。辛うじて剣技だけはトップの座を収めているし、経済学は得意だ。
「ルークにもいよいよ春がきたか」
「まあ、あの奥手にしては上出来ね」
「アニーのブレない態度もすごいけどね」
アニーの隣にぴったり寄り添い、わかりやすく全身で好意を表すルークの必死の努力を、生徒会の仲間が全員で微笑ましく眺めていた。
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