佐藤江利香の箱庭事件その7

「本気で言ってるのですか。この異界は確かに私共の世界とも貴女達の世界とも違う時空ではありますが、何らかの影響を受けてもおかしくはないのですよ?」

「そうですね。バーチャル界はVtuberを観測する人々の集団無意識によって形成されている。滅びたら人としての何かが欠ける可能性もありますし、包帯男さんが現れたようにSCPが現実世界に出現する可能性も無視は出来ないでしょう」

「分かっているのでしたら、SCP-084-AW-箱庭世界をこちらに渡して下さい」


 張り詰めた空気を気にもせず穂村さんは言葉を続ける。

 世界の危機を世間話をするかのように語る穂村さんに誰も身動ぎ出来ない。ブラフじゃないと思う。

 穂村さんは本気でSCPを解き放つ気だ。


「ですが、それはバーチャル界が滅びる前提の話ですよね?」

「当たり前です。如何にこの異界が非常識な場所だろうとSCPはそのルールを逸脱しかねない。人外にとってすら理不尽なナニカ。それがSCPです」


 あるいは貴女達のボスの邂逅した神ですら手に負えないかもしれない。そう包帯男さんは言葉を続けた。

 待って、この人ってクトゥルフ神話の知識を持ってるのよね。その邪神ですら凌駕するかもしれない? SCPって何なの?


「なるほど。それは危険ですね」

「ええ、分かってくれましたか」

「よく分かりました。つまり十分な取り引き材料になります」

「だから、この場を切り抜けたとしても世界が滅びたら意味はないと言ってるんだ!」


 ついに包帯男さんは敬語を崩して怒鳴り始めた。穂村さんは涼しい顔で気にもしない。

 こっちの方が高まる緊張感で倒れてしまいそうになる。


「滅びませんよ。何故なら貴方がいる。SCP財団がある限り世界は滅びない。滅ぼさせない。そういう組織でしょう」

「……評価してくれるのは嬉しいですがね。SCPを余りにも甘く見ている。私共の世界は一度、滅びた。終わった世界を誰かが何かが再構築した。財団ですら過程は把握できてません。次があるかは非情に疑わしい」

「なるほど、それは予想外でした」


 世界滅亡。そして再生。もはや宗教の域の話ね。

 クトゥルフ神話の邪神を包帯男さんが全く恐れていないのはSCPという神を既に知っていたからか。知りたくなかった。


「ですが、それでも世界は滅びない」

「何を根拠に」

「貴方と私がいる。SCPの詳細に収容方法を知っている貴方に、認識すれば問答無用にSCP-084-AW-箱庭世界へSCPを収容可能な私。理想のコンビだと思いませんか?」


 穂村さんは花が綻ぶように笑った。本当に綺麗な笑顔だった。


「どうします? 私と世界を救う旅にでも出ますか?」





「何故、そこまで……。世界の危機を自分で招いておきながら世界を救おうとする。矛盾している。意味なんて欠片もない」

「ありますよ。ここでSCPを放ったら貴方は私の力を借りる選択を取らざるを得ない。貴方は私情で世界滅亡の可能性を高めることを良しとする性格ではないでしょう」

「確かにそうですが、その行為の意味とは?」

「ですから、殺せなくなるでしょう? 江利香さんを」


 間が空いた。包帯男さんが無言で私を見た。

 そういう、事なの。穂村さんは私を救う為に世界が滅亡する可能性を受け入れたの。


「貴女は気が狂っている。世界が滅びれば彼女も死ぬのですよ」

「そうはさせないと言っているんです。世界は滅ぼさせない」

「理解が出来ない。貴女の協力があっても確実性なんてない。悪戯に世界の危機を招くだけだ」


 平行線だ。この二人は根本が似ている。

 まるで話に聞いたアリス姫と穂村さんの立場を真逆にして再演しているかのよう。穂村さんは本来なら包帯男さん側の人のはずなのに。

 なのに、私の為に信念を曲げたんだ。私は穂村さんを腫れ物を扱うようにして遠ざけていたのに。

 こんなに命懸けで庇って貰えるような関係じゃなかった。そんな信頼関係は結べていなかった。


 それでも、穂村さんは躊躇わない。


「変な気分ですね。確かに包帯男さんの言うように私は破綻している。死んだ際に気でも狂ったのでしょうか。でも、それが何故か心地良い」


 穏やかな声で穂村さんは言う。


「包帯男さん。貴方の選べる選択肢は私と世界を救うか、世界の危機を未然に防ぐか、どちらかです」





◇◆◇◆◇◆◇◆





 穂村雫は包帯男と見学者の男性の会話と、教授するように丁寧に解説した包帯男の説明によってSCPの危険性を知り得たつもりだった。

 世界滅亡の危機を引き起こす可能性があると理解し、最上級の警戒心を抱いた。SCPを直に触れたり見たりすること自体が危険だと服越しにSCP-084-AW-箱庭世界を持ち、転移能力の副産物である5メートル以内の気配察知と構造理解を応用して見知った気配の時空妖精のみを外へ転移させた。

 多少は内部に時空妖精が取り残されると判断しながらも仕方ないと妥協した。別のSCPを外へ出すよりはマシだろうと。


 そう、理解したつもりになってSCPを甘く見た。まるで警戒心が足りなかった。


 穂村が外へ出した時空妖精の一体が姿を変えていく。粘土のようにグニャグニャと形を変えて大きくなっていく。

 その異常な光景に誰も気が付かない。包帯男でさえ知覚は出来なかった。

 奇妙な鳴き声で笑いながら時空妖精に擬態したSCPは穂村の手にしているSCP-084-AW-箱庭世界を破壊しようと鎌を振り上げ。


「ロック」


 白岩姫に後回しにされた。



――――――

※世界滅亡の様子

Tale マリアナ海溝から回収された文書 著作者:Dr Gears

http://ja.scp-wiki.net/document-recovered-from-the-marianas-trench

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