佐藤江利香の箱庭事件その8
「ロック」
穂村さんのバーチャルキャラクターである白岩姫が急に出現したかと思ったら固有能力の『ロック』を行使した。
次の瞬間、2メートル近いカマキリが穂村さんの至近距離に突然現れた。いや、現れたというよりそこにいたことにやっと気付けたような不自然な感覚がある。思い返してみれば妖精の一体が粘土のようにグニャグニャと形を変えてカマキリになっていく姿を私は確かに見ていた。その記憶はあるのに私はまるで警戒していなかった。おそらくは白岩姫以外の全員が。
「ヒバナっ」
「分かってる!」
ロックでカマキリが硬直してる間にヒバナちゃんの固有能力『双転移』でカマキリは姿を消した。たぶん、虫籠の中に転移させたんだと思う。
「冗談でしょ。私は確かに【妖精の声帯】を【人間の声帯】に変化させた。それはあのカマキリも例外じゃなかった。間違いなく妖精だったはず」
「それがSCPです。貴女の力は凄まじいですが何らかの法則に従って発動されたものでしょう。SCPはそのルールの適用外に存在し得る」
エリの戦くような言葉に包帯男さんが応えた。包帯男さんも動揺してるのか手が微かに震えている。
そうよ。今、後ちょっとで世界滅亡のトリガーを引かれる所だった。穂村さんの転移による滅亡回避も出来ない本当の危機。
SCPってこんなに簡単に世界を終わらせようとするのね。
「個人間トラブルで世界滅亡が訪れるかもしれないとは生き辛そうな世界だね」
「SCP-672-AW-迷彩カマキリは知覚も記憶も誤魔化す認識災害を引き起こすSCPです。迷彩カマキリと関わったことのない人員が写真や文章などの間接的な手段で認識する以外に対処は出来ません。貴女はどうやって……」
「簡単な話さ。認識を誤魔化されるのを後回しにした。それだけの事だよ」
世界の危機を救った白岩姫は泰然とした様子で包帯男さんに相対している。バーチャルキャラクターとしては白岩姫は最弱のはずなのだけど、まるでそうは思えない。
穂村さんの問答無用な強者としての雰囲気。それと同じものを白岩姫にも感じる。
「それで、どうするんだい? まだ君は穂村と戦うつもりなのかな?」
「……止めておきましょう。敵対するには余りにもリスクが高すぎる」
「それは良かった」
皮肉気に白岩姫は笑って穂村さんを見た。
穂村さんは助かったにも関わらず険しい顔をしている。無言で虫籠を包帯男さんの手の上に転移させると黙って様子見の姿勢になった。
「やれやれ、とんだ災難でしたね。それではワンダーランドの皆様、もう会う機会がないことを願っていますよ」
そう言って包帯男さんは消えた。何の予兆も余韻もない鮮やかな去り際だった。
「た、助かった……?」
「良かった、本当に良かった」
「SCPとかマジで実在するのかよ。アリス姫がクトゥルフ神話の邪神に会った事あるとかも言ってたよな?」
見学者の人達が青白い顔をしながらも何とか無事に助かった事を喜び合っている。
SCPや邪神の実在に多少SAN値が削られてるけど。それでも日常に戻れるんだ。良かった。
「平気だったか利香」
「う、うん。私は何ともないわ。それよりお兄ちゃんこそミイラ化させるSCPに触れてたでしょ。平気なの?」
「HPは順調に回復してるからな。後遺症はないらしい」
「そっか」
お兄ちゃんもボロボロになったのは服と武器だけで身体に悪影響は残ってないみたい。
鈴原さんと穂村さんも元気そう。後、確認してないのは……そうだコティン。コティンは無事なの?
「穂村さん、コティン。コティンは助かったの?」
「そうですね。転移させてはいませんがSCP-084-AW-箱庭世界内部にコティンさんの気配はありませんでした。元から捕獲されていなかったのでしょう」
「そうなんだ、良かった」
ホッと胸をなで下ろす。誰かが死ぬことも怪我をすることもなかった最良の結果に落ち着いたんじゃないだろうか。
一時は世界滅亡の危機にまで発展したのだとはとても信じられない。穂村さんのオカゲだと思う。
いやまあ、世界滅亡の危機を招いたのも穂村さんなんだけど、そうしないと私は確実に死んでいただろうしね。少なくとも私だけは文句を言っちゃいけない。
「良かったじゃないか穂村。仲間を助けることが出来て」
「白岩姫。まさか貴女が協力してくれるとは」
「当然さ。ボクは何時も世界の為に動いてる。このままじゃディストピアになると知っていながら何もしない君と一緒にして欲しくはないな」
「……確かに、そうかもしれないですね」
え? 今、何か変な事を言わなかった?
このままじゃディストピアになる? それって穂村さんの予言よね。アリス姫が対策して回避したんじゃなかったの。
「あのディストピアってのは?」
「ふむ。君は確かSCPを事前に知っていて包帯男を半ば以上説得したMVPだったね。情報を知らせておく価値があるな。そこの穂村雫がバーチャル能力の予知で知り得た未来さ。アリス姫を頂点とした誰もがエインヘリヤルになった日本が舞台だね。未来を見た穂村が普通に死にたいとエインヘリヤルになることを死ぬより嫌がる程度には酷い未来だよ」
ちなみに未来予知は可能性じゃなく運命だから現状ではほぼ100パーセントやって来るだろうね。そう白岩姫は言った。
「は? え? 何で動かないで静観してるんですか?」
「ボクにも分からないな。前は予知を覆そうとアリス姫を殺そうとしてたんだけどね。絆されたらしくてもう嫌だって穂村がごねてるんだよ」
「えっ?」
穂村さんがアリス姫を殺すのを嫌だと白岩姫に言ったの?
モロホシちゃんにはアリス姫は死ぬべきだって言ったけど、でも実はそうだったの?
「ほら、そこの女を見ろよ。穂村がディストピアに抗う事を諦めたって言ってるのに嬉しそうだろ。ボクには人間というものが全く理解できないね」
私を白岩姫が冷然とした眼差しで見る。凍り付いたような目だ。
「最期に君に情報を託せて良かったよ」
「ディストピアの未来。アリス姫の殺害未遂事件。そんな事件と裏事情が。あのアリス姫を殺す以外に未来を覆す方法とかっ」
「知らないよ。そもそも何でディストピアになるかが分からない。アリス姫はボクから見たって素晴らしい人間に見える。気高き覚悟がある。今の穂村より何倍も好ましく思ってるくらいだ。あの輝きが曇って人形のようになるのを傍で見続けなきゃいけない未来を呪ったね」
白岩姫は吐き捨てるように言って穂村さんの前まで歩いた。
身長は穂村さんの方が高いのに白岩姫は見下すように穂村さんを見て、穂村さんは見上げるように白岩姫を見た。
あんなに不安そうな穂村さんの顔なんて初めて見た。
「まあ、もういいさ。穂村」
「っ、ええ」
「ボクが間違っていた」
白岩姫は静かに穂村さんに語り始めた。
「君に二度と協力しないなんて何の解決にもなってやしなかった。ボク自身、感情的になって未来を推測することを怠っていた。恥ずかしい話だよ」
「それでは」
「ああ」
白岩姫は朗らかに笑うと。
「ロック」
「ぐっ」
固有能力を連続で使用し始めた。
「ロックロックロックロックロックロックロック」
心臓の鼓動を三秒間後回しにする。脈拍を三秒間後回しにする。血液の流れを三秒間後回しにする。呼吸を三秒間後回しにする。
人間の活動に必要な動作を白岩姫は後回しにし続けた。優しそうな顔で何をしたのかを解説し始めた。
「すまないね穂村。まさか世界を危機に陥れる程、君が思い詰めていたなんて」
もっと早く殺してあげるべきだったね。そう白岩姫は言った。
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