幕間 穂村アンサー

 食堂で包んでもらった弁当を片手に穂村は自室へと歩いていた。

 リリエット時代からバイトを掛け持ちしてギリギリの生活をしていた穂村にとって住み込みの上に家賃・食費・光熱費免除のワンダーランドは理想的な職場だ。金銭面での負担はグッと軽くなった。無理に掛け持ちしていたバイトを減らして時間的な余裕も捻出できている。ここまで好待遇であるにも関わらず本業の方でイマイチ成果を出せていない現状が申し訳ないくらいだ。Vtuberとしての経歴なら穂村が最も長く経験豊富なはずなのだが、それが結果に結びついていない。


 いや、普通の人間なら仕事の不甲斐なさではなく殺人未遂を犯したことを気にするのか。

 穂村はモロホシに頬を打たれたことで、ようやくその事に気が付いた。自分の中では、いいや、自分とアリス姫の二人の間ではもうそれは過去の出来事になってしまっている。冗談で笑い飛ばせてしまう出来事になっていたのだ。

 異常である。穂村雫もアリス姫も。

 だが、そんな関係が穂村には何故か心地よかった。


「そりゃそうだろうね。アリス姫は君の理解者だ。心の底から人と分かり合えて仲良くなる。穂村、君にとっては未知の体験だ」


 白岩姫。穂村雫の最古のバーチャルキャラクターが呼び出してもいないのに勝手に出現していた。その事に穂村は眉をひそめた。

 バーチャルキャラクターが主の意図を無視して行動する。それは禁則事項に違反しない限りあり得ないからだ。


「それにモロホシにビンタされて実は嬉しかっただろう、君。無駄ではあるけれど、いや無駄であるからこそ、それでも正面からぶつかって意見を言ってくれる存在は希少だ。穂村、君のような異常者にとってはね」


 モロホシは少し幼馴染みと似ているね、そう白岩姫は続けた。バーチャルキャラクターは主の記憶すら共有している。隠し事は出来ない。

 白岩姫は柔らかな口調とは裏腹に凍り付いたような目で穂村を見ていた。穂村のバーチャルキャラクターの中で穂村に最も似ているのが白岩姫だ。おそらくは穂村雫の根本的な部分。本質が形となって現れたのが白岩姫なのだ。その一面だけを形にしたが故に、あるいは穂村本人よりも白岩姫は異常であるのかもしれなかった。


「何の用?」

「おいおい、何を警戒してるのさ。要件なんて決まり切ってるだろう?」


 白岩姫は何でもない日常の延長であるかのように気軽に言葉を放った。


「アリス姫はいつ殺すのさ」

「っ!」

「モロホシに言っただろう君。アリス姫は死んだ方が良いって。本心でね。それは間違いない」


 そう、嘘や誤魔化しではない。穂村雫はアリス姫は死んだ方が良いと思っている。

 最初にアリス姫を殺そうとした時から穂村の意見は全くと言って良いほど変わってはいなかった。


「当たり前の話だよ。何故なら状況が全く変わっていないんだからね。穂村、君の予言。日本のディストピア化の話を聞いて誰か何らかの対策をしているかい?」

「……アリスさんが」

「チートを社会にバラさないようにしようって? それ、前から言ってたよね。以前と何が違うんだい?」


 何一つとして変わって等いない。何もかもが以前と同じだった。

 それでいて誰も危機感を持っていなかった。アリス姫を信じているのか、それとも。


「穂村、君の予言は狂人の戯言として聞き流された」

「所詮は可能性の話だから仕方ない」

「おいおいおいおい。正気か? 君が言うのか?」


 驚愕した白岩姫は両手を広げて世界を嘆いた。心の底から驚いていた。


「未来予知は散々利用したんだから仕組みは分かっているだろうに。穂村、君の行動によって20秒間の運命が決まっていた。複数の未来があるように見えていたのは観測した君が別の行動をするからに過ぎない。それ以外の要因では決して運命は変わらなかった。必ず予知した通りの20秒間がやって来ていた」


 だからと白岩姫は告げる。


「絶対にディストピアの未来はやって来る。可能性じゃないんだ。これは運命なんだ。変えようと動かない限り、絶対なんだぞ!?」


 白岩姫にはどうしてここまで人間が愚かなのか理解が出来ない。目の前に落とし穴があると言っているにも関わらず笑って落ちていくのだ。

 唯一、穂村だけが対応しようと動いていた。そのはずだった。


「穂村。モロホシの質問をボクもするよ。君はアリス姫を殺そうとしているかい?」

「絶対命令権が」

「イエスかノーで答えろよ。モロホシにもそうだった。君は死んだ方が良いと思うと答えた。殺そうとしているとは言わなかった!」


 白岩姫は穂村を睨む。もはや敵意を隠そうともしなかった。


「そもそもだ。絶対命令権でアリス姫が命じたことは一つ。『殺人するな』だ。『異能を使うな』でも『危害を加えるな』でもない。なのに君は絶対命令権の時間切れ以外に固有能力を使わなかった。油断を誘ってた? まあ一週間くらいはそれでボクも納得したさ。で、その後。君は普通にVtuberとして配信してたわけだけど、どういう理由なのかな?」

「どちらにせよ殺せないのなら意味は」

「馬鹿が、そんな言葉で誤魔化せるかよ。バーチャルキャラクターには自由意志がある。君が殺せなくてもボクらには殺せる。君は単にボクらを解き放つだけで良かった。爆弾を現実のアリス姫の部屋に転移させることだって可能だ。殺す準備をするのは殺人じゃない。バーチャル界で購入可能だった。睡眠薬でアリス姫を眠らせることだって可能じゃないか。命令の有効期限まで浚って閉じ込めりゃいいだけだ。本当にそれだけのことでアリス姫は殺せる。君が思いつかなかったはずがないだろう?」


 穴だらけの命令だった。強制的に穂村雫を大人しくさせるにはまるで命令が足りなかった。

 それにも関わらず穂村は大人しく命令に従ったのだ。白岩姫には裏切りとしか映らない。


「君の答えをボクが言ってやろうか。アリス姫は死んだ方が良いと思う。だけど殺そうとはしていない。これがモロホシの質問に対する本当の君の答えだ」


 穂村は。

 穂村は反論しなかった。


「君は。君はアリス姫との会話が楽しくて、ワンダーランドの居心地が良くて、だからアリス姫を殺したくない。殺せない。それだけだ。本当にただ、それだけだ」


 白岩姫は泣きたくなった。何一つ反論してこない穂村はまるで別人のように見えた。

 いや、あるいはこれこそが本来の穂村雫だったのかもしれない。リリエットでの穂村雫は冷静で礼儀正しく、そして予定外の事に弱くて楽しそうに笑うのだ。

 そんな穂村に惹かれて皆が応援していた。共感性が欠如していて、空気の読めない所はあったけれど冷たくはなかった。


「茜ヨモギをバーチャル界に没収されたからだな。彼女は君の悔いだった。リリエットで絶望した君の無念の一面だった。そんな彼女の一面が君の鋼の覚悟を支えていた。能力だけじゃない。経験までバーチャル界は没収したのか。だから君は迷っているのか。君の迷いの一面である村雨ヒバナと同じように」


 穂村は白岩姫の言葉を黙って聞いていた。何一つとして反論できなかった。


「それでまた繰り返すのか。リリエットの時と同じく、黙って見てるのか」


 人気になりたいと、有名になりたいと、テレビに出たいとリリエットは無茶をしていた。穂村にはその気持ちはよく分からなかったが、皆と一緒にいたくて何も言わなかった。本質的に人と違う穂村をそれでも受け入れてくれたリリエットが穂村は好きだった。大事な居場所だった。


「何が残った。無茶をして、一人の少女の人格まで変わって、幼馴染みとも会えなくなって、君に何が残った。答えろ、穂村!」

「私は……」


 穂村は言った。


「もうやだ」


 子供のような声だった。


「もう、何も失いたくない」


 それが穂村雫の本心だった。その姿を見て、白岩姫は溜息を吐いて諦めた。


「心の底から失望したよ、穂村。ボクが君に協力することは二度とない」


 そうして一人、穂村雫は取り残された。

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