六十七話 ひとしずくの希望

「どう? 貴方のことを思い出せたかしら?」

「嫌になるくらいハッキリと思い出したな」


 自己嫌悪で吐きそうになるくらいには記憶を取り戻した。たぶんドリームランドに迷い込んだ際に発狂しそうな程の衝撃を受けたことを利用して意図的に忘却したのだろう。オーディンが認識を弄って精神的な安定を取り戻した後も都合良く忘れたままだった。俺にとっちゃ、そっちの方が気楽だからな。

 でも、俺のバーチャルキャラクターのリデルはそんな逃げの姿勢を許さなかった。


「お前の禁則事項が『見ざる聞かざる』なのって」

「ご明察。過去を見て見ぬ振りをして聖人ぶっていることに罪悪感でも感じていたんじゃないかしら?」

「結局、自業自得か」


 タラコ唇さんに優しくしたのも弱っている姿が以前の同僚と被ってるような気がしたからだ。一緒に居て話を聞いてると俺も救われたような気がして居心地が良かった。代償行為だったんだな。

 前世の上司が非常識な程に性格破綻してたのはともかく、愛想笑いで楽しくもない職場を乗り切るなんてことは誰にだって経験がある。自分を押し殺してその他大勢に埋没するなんてよくあることだ。単なる同調圧力。

 だから俺は普通であることを嫌悪してたのか。特殊な人間が好きなんじゃない。普通であることを憎んでいたんだ。

 頭の中でこれまでの自分の行動が急速に理屈付けられていくのを感じる。これが俺か。


「でも、依怙贔屓だと言われようが穂村を排除する気はねえぞ。アイツはこんなとこで終わって良い奴じゃない」

「そうね。良いんじゃないかしら」

「異論があるんじゃないのか? 過去を思い出させてまで俺に意見しようとしたんだろ?」

「私の禁則事項に『言わざる』はないもの。貴女の行動を指図するつもりはないのよね。ああ、でも一つ」


 モロホシの言葉はちゃんと聞いて上げなさい。

 そう、リデルは笑顔で告げたのだった。




「うっ、ぐず……」

「あー、そのな。入ってもいいか?」

「どうぞっ」


 モロホシは自分の部屋のベッドで一人、ボロボロと泣きながらうずくまっていた。泣いてる顔も可愛くて様になってんな。

 感情がグチャグチャになった時の顔なんて普通は見れたもんじゃないんだが。モロホシはCMに流されても違和感のない綺麗な泣き方をしてる。

 こういう言い方は好きじゃないんだが心まで綺麗なんじゃないかと周囲に思わせるのだ。実際、モロホシって性格も悪くないし間違っちゃいないんだよな。

 振る舞いが整いすぎているせいで裏があるんじゃないかと勘ぐられてしまうような、そういう女なのだ。


「あのな。穂村と話してるのを俺も聞いたんだ」

「はい……」

「何て言うかな。そのな」


 頭が真っ白だ。俺は何を言いに来たんだろう。最初は炎上しないようVtuberとして支障がないように諭すつもりだった気がする。

 でも、それでいいのか? 何かを間違えてはいないか? 俺は……。


「ありがとうな」


 気が付けばモロホシに感謝の言葉を告げていた。

 それにモロホシは更にボロボロと涙をこぼして言葉にならない声を上げて俺に抱きついてきた。

 溢れてやまない涙が俺の胸元を濡らしていく。


「お、お礼。言うのは私達、のほっです。あの時。引き出し屋に怒鳴った時に」

「うん」

「姫様は、気付いてなかったかも、しれないですけど。泣いたんです」


 一筋。引き出し屋を怒鳴りながら、俺は一筋の涙を流したらしい。


「あの涙を信じようって。皆で、決めたんです。何も信じられなくなってた私達ですけど。でも、それを信じて生きようって。希望なんです」


 ひとしずくの希望を頼りに生きている。

 モロホシの歌だ。川村の作った『見えない明日を』の歌詞だ。あれは俺のことを歌っていたのか。


「だから、だからぁ。殺すと言われて嬉しそうにしないで下さい。もっと、自分を大切にして下さい。きっと私達だけじゃないんです。姫様は。駄目です。希望なのに。それじゃ駄目なんですっ」

「うん。うん。ゴメンね……」


 泣いて、ろれつが回らなくて、子供のように泣きじゃくりながらモロホシは俺にしがみついていた。

 リデルが居て良かった。俺はこんな子を説得しようなんて考えていた。どうにか丸く収めなきゃいけないと変な勘違いをしていた。


 他人事じゃないんだ。俺だ。俺の話だ。

 モロホシは俺の為に怒っていたのに、俺は第三者みたいな顔で平然としていた。何もわかっちゃいなかった。

 俺はモロホシにお礼と謝罪をしなきゃいけなかったんだ。

 そんなことに、ようやく気が付いた。馬鹿だな俺は。本当に。

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