五十六話 結界魔法
アリス姫がリンク能力とエナジードレインのチートを所持しているとしても、建築物が吹き飛ぶレベルの大爆発に巻き込まれて無事で済むのは明らかにおかしかった。
穂村はマンションの十階から飛び降りて半死半生ながらもアリス姫が生き延びたことを知らない。だが、それを計算外の要素として考慮してもなお不自然であった。
家の中には確実に焼き殺せるようにガソリンの入ったドラム缶や粉塵爆発を誘発するようにばらまかれた小麦粉があったのだ。そこへ複数個の手榴弾が放り込まれたのだから散らばる鉄片と消えない炎で再生しようが回復魔法で治そうが、ジワジワと余力を削られて死ぬしかなかったはずである。
だが、それにも関わらずアリス姫は無傷で立っている。リンクによる変身で変貌したこぢんまりとした身体には怪我一つない。いや、それどころか纏う白いドレスは煤(すす)による汚れすら皆無だった。
穂村はそれを見て複数の可能性を考慮しながら茜ヨモギを突撃させた。
「この化物がっ!」
「酷い言い草だな」
アリス姫を罵る茜ヨモギの攻撃は前衛として鍛えられたステータスを持つタラコ唇すらも4発で沈める程の威力を持っている。
エナジードレインによる身体能力の底上げがあろうとシンクロ率が50パーセントと同レベルであり、純後衛であるアリス姫はタラコ唇程の物理ステータスを持つのかも疑わしい。アバターが2メートルの大男と十歳の少女であることも考慮すると、身体能力はタラコ唇を下回っていると思われる。
故にアリス姫では茜ヨモギの攻撃は捌けない。そのはずであった。
「なんだ、そりゃ。その華奢な身体でどうして受け流せる」
茜ヨモギの拳はアリス姫の小さな手に逸らされて空振った。武術で受け流すにせよ力があまりにもかけ離れていると普通は上手く行かない。
突っ込んでくるダンプカーを生身で進路変更しろと言っているようなものだ。物理力学的に不可能である。
「ゴホッ。ヨモギ、相手の手をよく見て。何かがある」
「穂村」
あばら骨が折れた痛みに咳き込みながらも助言した穂村の言葉に茜ヨモギはアリス姫を注意深く観察した。
確かに攻撃を受け流される度に茜ヨモギの拳はアリス姫の身体の手前に発生する青い光の壁に触れている。肉体で受け流されているのではなく、壁に阻まれて攻撃が届いていない。そうヨモギは理解した。
「バリアか?」
「正解。結界魔法だよ。アークビショップの補助魔法の一種。現実になるとここまで有用だとはね」
爆風の中、アリス姫が何とか生還できたのもこの魔法のおかげであった。
必要習得レベル45。ギリギリでこの魔法を習得できていたことにアリス姫は心底感謝した。
「なるほどな、つまり」
「意識外の攻撃は防げない?」
茜ヨモギの言葉を継ぐように村雨ヒバナは語った。
村雨ヒバナの固有能力『双転移』。5メートル以内の5kg以下の物体の座標を入れ替える能力。本来なら空気のような形のない物は対象に出来ないのだが、穂村自身が空間を目視した上に空気の成分割合や性質を詳細に知り得ていることで対象へと至らしめた後天的に強化された異能である。
タラコ唇にはまだ殺さないようにと遠慮して発動されていたその異能が、アリス姫を抹殺しようと本気で発動された。
端的に言うとアリス姫の眼球すれすれにガラス片を転移させたのだ。
「くっそ危ねえ」
悪態を吐いてアリス姫は結界魔法が間に合ったことに安堵の溜息を零した。
それを穂村は20秒先の未来として予知した。
「【ロック】君の魔法を3秒間、後回しにした」
「ガァッ」
白髪青眼の少女、白岩姫がアリス姫を指さして告げる。
ありえた未来の可能性を消され、アリス姫は片目をガラス片に抉られた。
その隙を茜ヨモギが見逃すはずもなく拳を振りかぶり、途中で取り止めて急いで穂村の元へと走った。
アリス姫が穂村が出現する前に結界魔法で宙に浮かべていた巨大岩石が穂村に落下し始めていたのだ。
「くっそ質、悪いなオイ!」
「こっちの台詞だっつの!」
茜ヨモギが穂村を救出してアリス姫に対峙する頃には、既にアリス姫の回復魔法によって眼球は再生していた。
次に放たれた村雨ヒバナの転移攻撃はアリス姫のアイテムボックスに収納されて無効化された。
未来予知によりそれを知り得ていても結果は同じ。ロックでアイテムボックスを後回しにしても結界魔法で防がれる。
ロックをインターバルを置いて連続発動することは可能でも、同時に二つの対象を後回しにすることは出来ないのだ。
こうして村雨ヒバナの転移能力は無効化された。
「リンク能力者、嫌い」
「向こうもバーチャル能力者に言われたくはないと思うぞ」
村雨ヒバナの愚痴に笑ってアリス姫は返す。戦う内にアリス姫は余裕の表情を見せるようになってきた。
それはアリス姫が強くなったのではなく、穂村が弱ってきているからだ。
ミサキの一撃によってあばら骨を折られた際に骨が内臓を傷つけていたのか、どんどん痛みが酷くなっていく。
いや、もう既に痛みが強すぎるせいか頭がボンヤリとして熱いとしか穂村には感じることが出来なくなってきていた。
サモンバーチャルはバーチャルキャラクターの意思と本体の意思が重なってこそ本領を発揮できる。片方の意思だけでは基本的な動作すら覚束ないのだ。
「もうそろそろいいだろ、穂村。何でこんな事をしたんだよ。教えろよ」
「なんで、だと?」
穂村の容体が危ないと理解したアリス姫は戦いを中断して話を聞くことにした。死なないように回復魔法をかけたいのだが、それをやると戦いが終わらないばかりか他の人間に危害を加える可能性すらある。事情を聞いて対処しようと考えているのだ。
そう、アリス姫は未だに穂村を殺すつもりがなかった。宙に浮かべた巨大岩石が落下した時も結界魔法で守れるようにと注視していたのだ。
呆れる程のお人好しだった。相手はこちらを殺すつもりで罠まで仕掛けていたのにも関わらず、その相手を守ろう等と考えていたのだ。
その態度が茜ヨモギのトラウマを刺激した。
「聖人君子のフリをしやがって! 死後の魂を騙し取って死ねもしない奴隷に貶めようとしてやがる悪魔がっ!」
「別に理不尽な命令をするつもりはないぞ?」
「最初はな! 誰だってそうなんだよ!!」
茜ヨモギは咆(ほ)える。その咆哮(ほうこう)は泣き声のようにも聞こえた。
「あいつらだってそうだった! 善良な人間だった!」
もう戻らない日々を思い返して茜ヨモギは泣いた。
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