五十五話 逃走

「ガッ、ゲェアッッ」

「穂村!」


 口から血を流して倒れる穂村雫の姿に茜ヨモギは敵の攻撃を一切無視して駆け寄った。

 タラコ唇のスキルによる攻撃が茜ヨモギに直撃するが、堅牢な防御力に阻まれて多少のダメージしか通すことは出来ない。バーチャルキャラクターにそれは無意味だ。

 シンクロ率の上昇によるレベルアップ、もしくは真面な武器の入手でも叶わない限り茜ヨモギの打倒は不可能なのだ。


「まだ動くの」

「ミサキ、そいつには手を出すな!」


 銃撃された腹部を押さえたまま茜ヨモギの行動を阻止しようとしたミサキは、しかしタラコ唇に止められた。

 人間の限界近くにまで鍛えられた肉体を持つミサキは、だが、その程度の身体能力でしかない。

 エナジードレインの精気タンクによって生命力こそリンクチート保持者であるタラコ唇すらも凌駕するサキュバスのミサキではあったが、物理法則すら超越するリンクアバターとバーチャルキャラクターに基本戦闘力で敵うわけがないのだ。

 茜ヨモギに軽く殴られでもしたら次の瞬間には肉袋として破裂する。それがタラコ唇には理解出来ていた。


 それでも立ちはだかろうとするミサキを無視して、茜ヨモギは素早い身のこなしで躱(かわ)すと穂村を担ぎ上げて逃走に移った。

 殺害するのは容易いだろうが、そうしてしまうと困るのは穂村なのだ。わざわざ相手をする訳がない。

 追い縋ろうとするタラコ唇の行動を白岩姫がロックの連発で後回しにする。逃走経路は村雨ヒバナの双転移によって障害物で塞ぐ。

 そうしてパソコンのある部屋にまで逃げ込むと、穂村は辛うじて繋ぎ止められた意識でバーチャルトラベルを発動した。


「逃げられたっ」

「いや、これでいいんだ」


 歯がみするミサキと違いタラコ唇は冷静な目で呟いた。

 ネトゲをやる際に常に行っていたロールプレイとギルドマスターとしての経験が激昂した意識とは裏腹に静かに勝利条件を追求させていたのだ。

 タラコ唇は最初から穂村を殺害する気も拘束する気もなかった。


「後は任せても大丈夫だ」




 バーチャルトラベルによって辛うじて逃げ延びた穂村は今、絶望に襲われていた。

 現実世界とバーチャル界はパソコンを出入り口に行き来できるが、現実世界で前に出入り口に使ったパソコンとは別のパソコンを出入り口として使ったとしてもバーチャル界で現れるのは現実に帰還した地点となる。即ちアリス姫を閉じ込めた家の目の前だ。爆心地となったそこはもう瓦礫が散乱するだけで、もはや建物の跡地となっていたのだが。


「よう穂村。悪いが第二ラウンドだ」


 傷一つないアリス姫が不敵に笑って佇んでいた。




◇◆◇◆◇◆◇◆




「凄かった、凄かったよな。こうガチの命の取り合いって感じ」

「え、ええ」


 子供のようにはしゃぐポン太にモロホシはついていけずに軽く相槌をするに留まった。

 場合によっては本当に人が死んでいたかもしれない光景を見て喜ぶ神経がモロホシには理解できない。これはフィクションではないのだ。

 だが、昔から人は自分に危害が加わらない限り血みどろの闘争を娯楽としてきた歴史がある。ローマのコロッセオが良い例だ。

 ポン太の反応は不謹慎かもしれないが、別に珍しいものでもなかった。


「お、拳銃じゃん。俺マジモンを見たのは初めてだわ」


 穂村が殴り飛ばされた際に落とした拳銃が見学していたポン太の所にまで転がってきていた。

 特に損傷もなく、使用には問題がないように見える。ひょいっとポン太は拳銃を拾って手の中で転がした。


「手を挙げろ! なんちゃって」

「え?」


 モロホシは突き付けられた拳銃に呆けたような声を出した。

 その銃が本物であることはミサキが撃たれたことからも明らかだ。なのにポン太は何の躊躇もなく、人に銃口を向けた。

 真正面からポン太の顔を見たモロホシは寒気がした。そこには楽しげな表情で獲物をいたぶるような加虐的な目を浮かべた男の顔があった。

 本当に撃たれるんじゃないかとモロホシは凍り付いて身動き一つ出来なくなった。

 それに気が付いて、ポン太はニヤニヤと笑い―――。


「モロホシちゃんとポン太君、そっちは大丈夫?」


 リンクを解いたタラコ唇が二人の安否を気遣う声を上げることで中断された。


「うっす。拳銃が落ちてましたけど、どうします?」

「あー、どうしよう。とりあえずこっちで保管しとくかなぁ……」

「じゃあ、どうぞ」


 拾った時と同じようにポン太は気軽に拳銃をタラコ唇に放り投げた。

 うわぁっと驚愕の声を上げてタラコ唇は慌てて拳銃を確保した。暴発の危険性だってあるのだ。


「もう、ポン太君。危ないでしょ」

「すんません」


 笑ってポン太は頭を下げた。

 もうそこには得体の知れない男の姿はなかった。


「タラコ唇さん、ありがとうございます……」

「ん、震えてどうしたの? 怖かった?」

「はい」


 モロホシは両手で震える身体を抱きしめて何とか頷いた。 

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