幕間 前田拓巳の世界

「先生。ありがとう、ありがとうございます」

「いえ、私は帰り道のヒントを出すのが精一杯でしたし、お子さんが無事なのは彼女が諦めなかったからですよ」

「それでも一人では帰ってこれなかったんでしょう? 生きたままあの世に連れて行かれるなんて恐ろしい」


 私、前田拓巳は今、成り行きで霊能力者の真似事をしていたりする。

 まだ中学三年生の子供に過ぎない私にスーツを着た立派な大人が誠心誠意、頭を下げてるのを見ると奇妙な感覚を覚える。私はそんなに立派な存在じゃないのだが。

 おそらく私の立ち位置は多少の霊感があって特殊な契約を結ぶことに成功したのなら誰にでもなれる。

 私自身は幽霊に追い回されて泣きながら逃げていたあの頃と何一つ変わってはいないのだ。


「先生、ありがとう」

「マヤちゃん。君は普段から妙な人影を見ていたりしないかい? 普通に通りゃんせで遊ぶくらいじゃ天神様の細道は通れない」


 童歌の通りゃんせは江戸時代に成立した遊び歌で誰が作詞作曲したのかは不明瞭な独特な歌だ。

 遊び方は子供が二人で向かい合って手を繋いで万歳をし、他の子供達が列を作ってその手の下を歌いながら通る。通りゃんせを歌い終わった時に手を下ろして通れなかった子供が次の関所役となる。

 だが問題なのはその童歌の内容で、天神様の細道を七つの子供のお祝いにお札を納めに通るのだが行きはともかく帰りは怖いという歌詞なのだ。

 昔は子供は七つまでは神の子とされ死んでも神の御許に帰るだけなのだから悲しんではいけないよと言う伝統があった。これは七つになるまでは医療の未熟な時代では簡単に亡くなってしまうので覚悟をしておかないといけないという教訓話だ。

 七つの子供のお祝いとは神様から自分の子供として身請けをする話だとも捉えられる。

 また逆に七つまでは神の子なのだから口減らしに間引いても良いのだという解釈もある。神様に子供をお返しするだけなのだと。お札をお金と言い換えると途端に別の意味が浮き上がってくる。

 天神様の細道をこの童歌を歌いながら子供だけで通らせる。

 これはコックリさんと同じく一種の儀式として成立してしまっているのではないだろうか。


「見たことないよ? あ、でも、そうだ。何時も遊んでる男の子がいるんだけど他の子はそんな子はいないって」

「っ!」


 これもまた幼少期に出会う類いの怪異だ。何時ものように友達と遊んで帰っていると来た時よりも一人、人数が増えているという。

 疑問に思って顔触れを確認してみても知り合いしかいない。首を傾げて帰って翌日、確認してみるとやはり人数が一人少ないのだ。

 果たしてそれは友人だと思い込んだ誰かが増えていたのか、それとも友人だった誰かが消えてしまったのか。


 マヤちゃんの場合はもっと話は簡単で他の人間には見えていない誰かを認識してるに過ぎない。

 死者と生者の区別が付いていないんだ。私と同じように。


「このお守りを持っておきなさい。それでもう怖いことは起きない」


 懐から霊山たる富士から流れ出た水で溶かした墨で書いた、護符の入った御守り袋を取り出す。これは霊を退けるだけでなく過剰な霊視能力を妨害して常人のように振る舞う助けにもなる。

 日常生活にも苦労する私を見かねて母が色々と素材を用意してくれたので片っ端から試してみたのだ。

 成果が出た結果、母が死者の魂にも関わらず常人にも見えて実体化も出来るのだと判明して苦笑いしか浮かばなかったが。

 掲示板で悪魔と呼ばれる通話の女性は私などでは及びもつかない知識と力を備えているのだろう。


「うん、ありがとう先生!」

「本当になんとお礼を言ったらよいのか」

「謝礼は貰っているのです。気にしないでください」

「いえ、ここまでの交通費を考えたら気持ち程度の金額で申し訳ないくらいで」


 中学生にとっては数万円の収入は大金なのだが、確かに専門家の方はそれじゃ動かないのかもしれないな。


「それでは料金代わりに一つ聞きたいのだけど。マヤちゃん、そのお友達は普段何処にいるのかな」





【寂しいよォォォ、誰かァァ、いないのォォォッ】


 曇天の公園を子供の霊が一人彷徨っている。暗い穴のようにぽっかりと空いた目から血の涙を流しながら。

 見た目こそ不気味だが悪霊ではない。それは他の子供達に混ざりながらも何の被害ももたらしていないことからも明らかだ。

 彼はただ寂しくて泣いているだけだ。

 母に確認してハッキリしたのだが霊に霊の姿は見えないらしい。

 生前と同じく霊感がないのなら他の霊を視認することは出来ず、生者の姿しか見えないのだ。

 そして生者の姿は見えても向こうからの反応はない。


 結果としてまるで世界で一人になってしまったかのような孤独が霊に襲いかかることになる。

 霊感を持ち自分達の姿を視認できる霊能力者に霊が集まってくるのは寂しいからだ。救いを求めて縋っているのだ。

 そのせいで霊能力者が死ぬと縋れるものがなくなり、また現世を彷徨い歩くことになる。

 決して癒えぬ孤独に苛(さいな)まれながら。

 少しずつ削れていく身体が完全に消滅してしまうまで。


 そう、放っておいても霊は自然と消える。故意に人を悪意で傷つけようとするような悪霊以外は放っておいても問題はない。

 悪霊の場合は憑き殺した人間の魂を食らうことで成長してしまうので可能な限り早急に対処しないとマズいのだが。

 このルールの例外は母以外には知らない。母だけが誰に害を与えることもなく何処からか送られてくる力を補給して存在を維持している。

 他に見たことはないが、守護霊とはこういう存在を言うのだろうか。


「君、ちょっといいかい」

【僕がァァァ、見えるのォォォ?】

「ああ、見えている」


 ニタリと顔が歪む子供の霊。昔はこの表情が怖かった。

 親戚の叔父さんにそれは人と接触する時間が少なすぎて表情の作り方を忘れてるだけなんじゃないかと笑われた時、確かにと納得したものだ。

 そう考えると途端に愛嬌のある顔に見えてくるものだから不思議なもので。

 叔父さんが行方不明になったことを思い出して胸の奥が疼(うず)く。

 年に数回会う程度の間柄でそう親しいわけでもないのだが、不思議と妙な魅力を持っている人だった。無事だと良いのだが。


「君はここで何をしているんだい?」

【友達ヲォ、待ってるんだァァァ】

「約束でもあるのかな」

【ウ゛ン゛。明日もォォ、遊ぼうねっテェェェ】


 おそらく約束したのはマヤちゃんじゃない。霊は生前のことに執着して現状を正しく認識していない節がある。

 何年も何十年もここで来ない友達を待っているのだ。自分自身が擦り消えてなくなってしまうまで。


「じゃあ明日一緒に遊ぶために家に帰らなくっちゃね。ほら、向こうで両親が待ってるよ」


 指で示した先に雲間から一筋の陽光が差す。時々だけれど、こうして何か大きなものに手助けされてるような感触を得る時がある。

 霊能力で無理に祓うんじゃない。私のちっぽけな力で救えるものなんてたかがしれている。

 やることは道を示すだけでいいんだ。そうすれば、ほら。


【本当だ、お父さんとお母さんが呼んでるや】


 血の涙も目の穴も消えた幼い顔立ちの男の子が笑顔で笑う。楽しそうに。


「じゃあね」

【うん、バイバイ。お兄ちゃんも元気でね】


 元気よく手を振る男の子が光に包まれて消えていくのをずっと見ていた。





「そんで泣いていたのか。何時まで経っても帰ってこないから心配したぞ」

「すいません」

「いや謝んなよ。お前はもうちょい文句を言うくらいでちょうどいいんだから」


 母の車で帰りの道を走る。貴重な休みをここのところ全て霊能事件の解決に使わせてしまっている。

 超常能力特訓も明確な成果が出た結果、参加を希望する生徒が増えてきているし毎日が忙しない。

 それでも文句を言いつつ付き合ってくれる母には足を向けられないな。


「ま、そんな気張るな。子供が身体を張らなきゃ崩壊するほど世界ってのは厳しくはないさ」

「でも私以外の本格的な霊能力者には会った試しが」

「お前だって契約で水増しした半端物だろーが。何時もお前が言ってることだ」


 悪戯っぽく笑う母にそんな言い訳で手を抜いてもいいわけじゃないと思いつつ、身体から力が抜けていくのが分かった。

 掲示板で弥勒菩薩だとか持ち上げられてる内に何処か自分が選ばれた特別な存在なんだと過信してしまっていたのかもしれないな。

 口では大したことはないと言いつつ、自惚れていたわけだ。恥ずかしい。


「教え子に可愛い女の子だっているじゃんか。誰か気になってる娘とかいないのかよ」

「やめてください。クラスメイトにもよく、からかわれるんですから」

「へー。そういう話題が出るってことは向こう側に意識されてるのかもしれないな」


 一瞬、ある女生徒の顔が浮かんで頭を振る。

 コックリさん事件の霊障から助けた際に依存されただけだろう。それを良いことに恋人になるのは洗脳してるようで気分が良くない。


「くっそ真面目な堅物になっちゃってまあ。本当に誰に似たのやら」

「寺の教育が良かったんじゃないですかね」

「えー、あの生臭坊主がー?」

「怒られますよ」


 窓の外を高速で移り変わっていく景色が流れていく。

 そんな風景の中でも当たり前のように霊は彷徨っていて孤独に苛まれているのだと思うと胸が苦しくなる。

 出来ることを一つ一つ。

 それがきっと、特別でない私に出来る最善なのだ。

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