掌編(R18)

R18BL 掌編 月夜のつきづき

 腹が減った。そうは言っても今しがた山菜と新鮮な鮎を食べたばかりだ。

 これは「食べるものが欲しい」空腹ではなく、「肉を食べたい」空腹。獲物に忍び寄り、どくどくと脈打つその喉元に噛み付き温かな血を啜る。そのまま真っ赤な血に身を染めながら犬歯を獲物に深く突き刺し食いちぎり、今の今までまで生きていた肉を咀嚼すると、独特の風味と共に僅かな甘さが口いっぱいに広がるのだ。

 想像するだけで眩暈がしそうな程の魅力。これはもう衝動に近い、人狼としての、捕食者としての抗うことの出来ない欲望だった。


「……くそっ」


 最近周りをうろつき始めた小さな人間と子狐の姿が頭を過り、どくんと心の臓が熱くなる。ぐっと拳を握り締めて寝台へと倒れ込めば、そこにも子供たちの柔らかな匂いが染み付いていて、空木は小さく舌打ちをしながら身体を起こした。

 だから人の部屋で好き勝手するなって言っただろうが、ちび共。あいつらは餌じゃない。俺はもう二度と肉は食わない。獣如きの本能に呑まれるほど、堕ちてはいない。あんな思いは、二度とごめんだ。


「……くそっ!」


 口を開けば悪態をつくことしかできない自分自身に呆れながらも、空木は自分の身体が限りなく限界に近付いているのを感じた。食いたい、血を浴びたいという欲望に飲み込まれ、いつかのように我を忘れて「狩り」を行ってしまう。それをなんとか留めている理性は、きっともう残り少ない。

 その証拠に、鋭さを増した犬歯が頬に当たって骨が軋むのを感じる。駄目だ。呑まれる。直感的にそう感じた空木は、やけに大きく聞こえる自分自身の脈の音を抑えるように大きく深呼吸をしながらよろよろと小さな硝子瓶を手にとった。

 囲炉裏の火を受けてきらきらと輝くその小瓶の中で揺れる、新鮮な血のように鮮やかな赤い液体。その魅惑的な色がこの液体を作った雌狐の艶やかな唇を連想させて、空木はもう一度舌打ちをする。それでも震える手でなんとか小瓶の蓋を開けると、その中身を一気に流し込んだ。かたん、と音を立てて床に転がる硝子瓶。

 どういう仕組みか分からないが、何度飲んでもこの液体が無くなることは無かった。ごくりと喉を鳴らして飲み干せば、鮮やかな色をした見た目に反してどろりとした食感の液体が身体の奥の方へと伝っていくのを感じる。


「……っ、」


 そして突如として身体を襲う、熱の波。下半身からせり上がってきたその熱のお陰で、全身からどっと汗が吹き出る。それに合わせてどくどくと脈は速くなり、乱れ始める呼吸。気を抜けば意識を持って行かれそうなほど、強い快感。それは獲物に初めて歯を立てるときの感覚と、何処か似ていた。


「……っ、はあ……」


 空木が飲み干した赤い液体は、所謂媚薬と呼ばれるものだった。外の世界から現れたと噂されている妲己という女――正しくは雌狐だが――から貰った、極めて高い催淫効果を持つ薬。一応男としての面子の為に言っておくと、別にこれが無ければ勃たないという訳ではない。ただ、自身で抑えきれないほどの食肉衝動に駆られたときには、何か代わりになる強い衝動が必要なのだ。それこそ、自分では抑えが効かないほどの。

 帯を解くのももどかしく感じる程の欲に、空木は顔を歪めながら自身の下腹部へと手を伸ばす。質素な老竹色の紗の着物を捲ると、目に入るのは下帯の上からでも分かるほど勃ち上がった自身のもの。ずるずると床に座り込みながら下帯の紐を解けば、布の擦れる感触だけで全身に電流のような刺激が奔る。


「……ぁ、っ!」


 根元から掌で包み込むようにして陰茎を扱く。強弱をつけて絞るように手を上下させれば、止めどない熱が全身へと広がっていくような気がした。

 毎度毎度、嫌になる。自分自身の欲を抑えきれないことも、こうやって薄暗い部屋の中で小さく身体を丸めて自身を慰めることも。そう思いながらも、空木は呼吸を早めて自身を高めていくことへと意識を集中させる。早く終わらせてしまいたい。その一心で。

  溢れる先走りを熱に塗りこむように刺激を強めていけば、呼吸はますます荒くなり身体が震える。そのまま床に額を擦り付けるようにして身体を丸めると、強すぎるほどの快感に小さく唸り声を上げながら空木は静かに達した。その後に訪れるのは、新たな熱の波と独特の虚無感。その時雄の臭いが充満する小屋の中で気怠さに身を任せて床に倒れ込んだ空木を、夜風がするりと撫でた。


「またそんなことやってんのか」

「……勝手に、入ってくんじゃねえ、よ」

「そういうことは扉に錠を付けてから言え」

「う、っせえ……!」


 相手の顔を見なくても分かる、聞き慣れた声。床に倒れ込んでひやりとした感覚に火照った身体を預けていた空木は、小さな小屋の戸口に凭れてこちらを見下ろす鉄色の瞳の持ち主を力なく見上げた。


「そこまでして肉を食わねえのか。馬鹿だなァ、お前は。」

「……その口、食い千切るぞ、鹿槻……。」


 寝転んだままそう言えば、鹿槻と呼ばれた男は「ふんっ」と小さく鼻で笑いながら空木の方へと足を進めた。

 鹿槻は、空木の数少ない人狼仲間の一人だ。それも結構な古株の馴染み。小さな陰陽師、天古が探していると言っていた「三又の槍」を持つ人狼とはこいつのこと。昔はこいつのせいで村を追い出されたりしたもんだが、腐れ縁というか何というか、今でも変わらずこの交友関係は続いていた。


「魚は食うのに肉は食わねえのな。」

「あー、もう、お前……何しに来たんだ、本当に、食っちまう、ぞ……っ!」


 人を馬鹿にしたような目で見下ろしながら軽口を叩き続ける鹿槻に空木ががしがしと頭を掻きながらそう漏らすと、鹿槻の纏う空気ががらりと変わった。


「やってみろよ?」


 ぎらぎらと強い光を放つ鉄色の瞳に、逆立つ菫色の髪。威嚇をするようにふさふさとした尾を膨らませながらちろりと赤い舌を見せる目の前の獣に、空木はごくりと喉を鳴らすとゆっくり身体を起こした。

 張り詰める空気。相手を射殺さんばかりの睨み合いを先に破ったのは、鹿槻の方だった。彼は人ではあり得ない脚力で一瞬にして間合いを詰めると、その場で立ち上がろうとする空木の上へと唸り声を上げながら覆い被さる。


「まだ満足に身体動かせねえくせに、何が「食っちまうぞ」だ」

「っ!」


 勢い良く背中を打ち、一瞬空木の呼吸が止まる。鹿槻は思わず顔を歪めた空木を見て口の端を上げると、その喉元にそっと犬歯を立てた。


「……ぁ、」


 ぶつりと肉に鋭利なものが食い込む感触。少しでも鹿槻が本気を出せば、空木はあっさり死んでしまうだろう。それさえも、今の空木にとっては痛みではなく快楽を助長するものでしかない。自分の下で小さく身体を震わせる空木の姿を確認すると、鹿槻は首元から滴る血液を舐めとってそのまま鎖骨へ舌を這わせた。


「っ、待て、」

「何だ今更。手伝った方が早いことはアンタもよく分かってんだろ?」


 首から鎖骨、鎖骨から胸。獣同士が行う毛繕いの要領で舌を滑らせ、辿り着いた胸の突起を口に含む。


「っ、あぁっ!」


 眩暈のするような痺れにも似た感覚に低い呻き声を漏らし、空木が顔を覆う。それと同時に鹿槻は己の下腹部辺りでぐっと硬さを増す存在を感じ、そちらにそろりと手を伸ばした。


「待、て、って!」


 ぐるり。反転する視界。背中に固い床の存在を感じ、鹿槻はようやく今まで自分が組み敷いていた相手が苦しそうな表情を浮かべて自分を見下ろしていることに気が付いた。元から少し体格差がある所為か、薬で弱っているはずのその身体はびくりともしない。


「おい空木。何のつもりだ」

「……っ、から、黙って、食わせ、ろっ!」

「おい、ちょ、ちょっと待てって、」


 血走った目で自分を押さえつける空木に、静止の声は届かない。身体を起こした際に紐が解けたのか、色素の薄い空木の髪がはらりと鹿槻の顔に掛かった。そんなことを気にすることなく、空木は肩で息をしながら鹿槻の耳元へと顔を寄せ、まるで狼同士が互いの存在を確認するかのようにふんふんと匂いを嗅いだ。その熱い息遣いに、鹿槻は小さく肩を揺らした。

 今の空木と鹿槻は、その精神の昂ぶりゆえに人狼の中でもより狼に近い状態だった。その証拠に、お互い頭にはピンと立った獣の耳が、尻にはふさふさとした尾が生えている。

 人間に紛れて生きているときには仕舞いこんでいるその器官が出ている間、彼らはより本能に忠実で、五感も鋭い。それを知ってか――もしくは本能的な行動なのか――空木は鹿槻の柔らかい耳を口に含むと、傷付けることがないようそっと歯を立てながら、同時にその臀部へと手を這わせてふわふわとした尻尾を撫でた。


「……っ!」


 狼にとって、尾というものは重要な器官だ。感情を表し、同時に身体の平衡感覚を保つためにも使われる。ふわふわとした毛に包まれてはいるものの、尾自体は実に細いもので、そのため他の部分よりも繊細な部分だった。

 慣れたように尾の付け根の部分を撫でながら耳を噛む空木に、鹿槻の喉から低い呻き声が漏れる。相手は同じ人狼。さらに身体を重ねるのはこれが初めてではないので、お互いの感度の高い部分はある程度把握している。それにしても、悔しい。そろそろ食欲に呑まれる頃ではないかと様子を見に来て、少し苦しみを和らげるのを手伝ってやろうとしたらこれだ。僅かな抵抗の意味を込め、そそり勃った空木のものを膝で擦り上げてやれば、頭上でふっと笑い声が聞こえた気がした。


「……泣くなよ、鹿槻」

「……誰が……っぁ!」


 鹿槻の纏う薄い浅葱の夏用の薄い着物の合わせを大きく開けば、顕になる白磁のような肌。いくら人狼が日に焼けにくい体質だとはいえ、ぶらぶらと外をうろつく機会の多い空木に比べると鹿槻の肌はあまりにも白かった。そこへ唇を寄せて貪るように吸い付けば、点々と赤い花が咲いた。その雪原に咲く椿のような光景に、空木は黙って目を細める。そんな視線が不快だったのか、鹿槻はチッと舌打ちをすると空木の首へと腕を回してその唇へ勢い良く吸い付いた。


「ん……んぅ……っ!」


 比喩ではなく相手を食ってしまいそうな口吸いに苦笑しながら、空木は喉の奥でくぐもった声を上げる鹿槻の口内で舌を絡める。舌を吸われ肩を震わせた鹿槻は、瞳を閉じて腕に回す力を強めた。そんな鹿槻の様子を確認した空木は、尾を梳く手を止めると鹿槻の帯を緩めて着物の裾をたくし上げる。そのまま下帯の上から鹿槻のものを少し強めに握れば、硬くなり始めたそこには刺激が強すぎたのか肩をがぶりと噛まれてしまった。謝罪の意味を込めてがっちりと自分にしがみついている腕を解きながら鹿槻の背に左腕を回し、髪を撫でる。菫色のさらさらとした髪は、窓から差し込む月の光を浴びて普段とは違った色を纏っていた。

 あまり事を急くのは好きではないが、そろそろ己も我慢の限界だ。空木は髪を撫でながら鹿槻の腰元へと口を寄せ口で下帯の紐を解くと、そこからはみ出て濡れる鹿槻自身をそっと撫でた。


「……ふ、ぁっ!」

「……泣くな、よ」

「うる、せえ……っ!さっさと、や、っぁ……やれ!」


 色気もへったくれもないそんな返事だが、ぎゅっと拳を握ってこちらを睨みつけてくる姿は素直に美味そうだと思う。勿論、そんなことを口にすれば後々三叉の槍で穴だらけにされてしまうだろうから言いやしないが。

 硬度を増す鹿槻のものに口を寄せ、啄むように口吻を落とす。その度にびくりと震える細い腰。その姿を見ているだけで、先程達したばかりの自身がどくどくと熱を持つ。思わず自身のものに手をやりながら鹿槻の後孔へ顔を埋めるようにして舌を入れた。


「……っぁ!……く、っそ……!」


 切なげ声と共に、二の腕辺りに爪の食い込む感触。首と肩に続いて腕まで血祭りか。そんなことを思いながら先程から鹿槻がびくびくと腰を揺らす部分を執拗に攻めてやる。もう少し慣らしておきたいところだが、痛いほど大きくなった自身のものがこれ以上耐えられるとは思えない。仕方がない、後で殴られる覚悟をしておこう。


「っ、痛っ……!」

「……息を、止めん、なっ……っ!おま、きっつ……生娘、か……!」

「死、ね!っ、んあっ!」


 案の定少し慣らし足りなかったようで、そこへ自身を宛てがいゆっくりと腰を進めた空木の腕にさらに強く爪が食い込む。鹿槻も痛いだろうが、空木も相当きつい。しかたなく更に残っていた行灯の油を手に取り慣らすように抽挿すると、なんとか動けそうな状態にはなった。


「……動、く……ぞ」


 一言そう告げてから、空木は鹿槻の膝を抱えるような体勢を取って相手の身体のより深くへと自身を埋め込んだ。風の音すら聞こえない静かな夜更けに響く、肌と肌がぶつかり合う乾いた音。


「あっ!っく……っ、ん……っ!」

「……っ、くっ!」


 まぐわう際、お互いの名前は呼ばない。これは恋人同士の甘ったるい情事ではなく、食うか食われるかの戦いなのだから。

 別にそんな決まりがあるわけではないが、人狼として、対等な友人としての関係が自然とそんな風に二人の意識に根付いていた。本能に基づく、欲と欲のぶつかり合い。そういうことにしておけば空木が鹿槻に対して負い目を感じることは無く、鹿槻も強すぎる欲を処理できない友人を憐れむ必要が無い。


「……駄目、だ、っ!」

「っ、俺も、っぁ!」


 絞りとるような強い圧迫感に耐えられず吐精した空木に続き、鹿槻もどろりとした白濁を吐き出す。青白い月の光に照らされながら鹿槻の身体から己を引き抜けば、その身体から空木の子種がどろどろと流れ出た。


「……大丈夫か」

「……ケツが痛い」

「……泣くなと言っただろう」

「な、泣いてねえし!」


 力なく床に横たわる鹿槻に少し汚れてしまった小袖をかけ、その目尻から溢れ落ちる雫を舌で舐めとれば、未だ力の入らないらしい腕で腹のあたりを殴られた。すっかり友人の気を損ねてしまったらしいが、先程よりも随分と身体は楽になった。肉を食べたいという欲も、あっさりと影を潜めている。

 身体とは都合のいいものだ。未だ悔しそうに目に涙を浮かべる鹿槻を見ていると、まだ少し薬が残っているのかぞくりと身体が震える。もう一勝負しようと言ったら、本格的に殺されてしまうだろうか。

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月に叢雲 Virtual Hitsuji @7mi___n

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