新太郎君は魔法使い!

「あーっ!」


 昨日ファミリーレストランでクッキーのお母さんを見かけてしまったせいでクッキーと顔を合わせにくいなと思いながら登校した月曜日、校門でクッキーがぼくの顔を見ながらそんな大声を上げて来た。

 ああどうしよう、もうがまんできそうにない。でも、まあ知ってるよねクッキーならお母さんがどうしてるかなんてさー……。


「梅雨まで時間の問題、高温多湿こうおんたしつなのは当たり前。ああうっとおしい!」

「はらしんの言う通り、今日はまだくもりだけどそろそろかもしれねえ。ああ外で遊べない季節の到来だぜ、ったくやんなるよなあ」

「そうだよね、本当にまいっちゃうよね……」


 ぼくがもうあきらめてすなおに言っちゃおうと思ったとたん、新太郎君と大木君からそんな言葉を投げかけられた。


 6月6日。そう、まもなくつゆ入り、雨ばっかりの季節の始まり。そのせいか、今日も朝からじめっとしてむしあつい。

 そのせいで顔から汗があふれてるんだろうとごまかすことにしてポケットからハンカチを取り出し顔の汗をふくと、雨も降ってないのにぐっしょりだった。


「って言うか、何だよあっ!てさ」

「筆箱……忘れた……」

「なんでぼくの顔を見て思い出すんだよ、それってどういう意味!」

「いやその、良晴君って、忘れ物とかした事ないじゃない……」

「えー?」

「確かに!」

「そうだよなあ、それってけっこうカッコいいんじゃねえ?」


 新太郎君が確かにって言うんならばまちがいないだろうな、そう思えて仕方がない。100点しか取れない新太郎君のいう事ならばきっとまちがいない!

 なぜだか、そんな風に信じてうたがわなかった。新太郎君だけじゃなく、クッキーも俊恵ちゃんも、そして大木君まで言うんだから。


 ぼくは大木君のように速く走れないし、新太郎君のようにテストで毎回100点を取れると言う訳でもない。それでもぼくにはそういうじまんがあるじゃないか。なんとなく自信がついた気分になる。


 ……と、そうなった所でクッキーの問題が解決する訳じゃない。どうしよう、ぼくもえんぴつは5本持ってるけど消しゴムは1つしかない。


「案ずるな、姉から預かったこの箱がある」


 いやしんちょうに書けば問題ないよねと思いながらぼくがランドセルを下ろして筆箱を開けてえんぴつを1本渡そうとすると、新太郎君がそう言いながらぼくらより早くランドセルを地面に下ろして筆箱とは少しちがうかんじの茶色い木の箱を取り出して来た。


 普段新太郎君は黒い筆箱を使っているはずだ、いったい何だろうと思っていると、新太郎君はいつもの筆箱から1本の消しゴム付きえんぴつを出した。

 そして新太郎君はその茶色い箱にいつも使っている筆箱から取り出したその1本の消しゴム付きえんぴつを入れ、いつものように右手の親指以外で頭をおさえるポーズになった。そして少しの間うなり、そしてその右手を頭からはなして箱を叩いた。そしてその箱をふると、カランカランって音が聞こえた。


「もしかしてこれ、えんぴつが……2本になった?」

「おいおい!タネも仕掛けもあるんだろうな!」

「これは本来、僕が筆記用具を忘れた時の保険……姉には後で謝らねばならない」

「ごめん」

「構う物か、友だちだからお互い様……!」


 大木君がさわいだのは当たり前だ。


 実際、こんなマジックめいたって言うかマジックそのものの光景を見せられればおどろくだろう。

 でも不思議な事に、ぼくはあまりおどろく気になれなかった。じっさいに、その箱から1本しか入れなかったはずの消しゴム付き鉛筆が2本出て来た。


「ちょっとそれ、じっくり見せろ!」

「構わぬ」


 クッキーがありがとうと言いながらえんぴつを受け取っているのを横目にしながら、ぼくらは新太郎君が持って来た不思議な木の箱を、開けたり閉じたり回したりのぞきこんだりしながら、あちこちさわってみた。

 でもふつうの箱にしか見えない。タネも仕掛けもあるはずだと思っていると、なぜか底が少し変だった。何て言うか、ぴったり合っていない感じ。


「なんか乗っかっているだけって言う感じ……」

「まあ、そういう事だ」

「ようするにここにかくしてたってわけか、ったくややこしいもんを作るよな」

「姉の練習のついで、そういう事だ」

「ってか、こんなのオレらに見せていいのかよ、ヤバくねえか」

「初歩の初歩、今さらこんなマジックは前座にもならないと姉は言っている」


 なるほど、お姉さんはプロのマジシャンだって言うけれどこういう風に家族の前でいろんな練習や失敗をして来た訳だ。新太郎君もある意味でめいわくなのかもしれない。


 でもだからと言って、こんな風にマジックのタネをあっさり教えちゃっていいんだろうか。ぼくらだってまねしようとすればかんたんにできそうだ、まあじっさいにできるとかどうかは別としても。


「ってかさ、フツーに一本えんぴつをわたせばよかっただろ、なんであんな事したんだよ」

「もういいかもしれない、と思ってな」

「もういいって何だよ、ああもしかしてだいぶ前の仕掛けだったからって事」

「まあそうだ、これ以上引きずる理由もない」


 引きずる、何か変な言葉だ。


 もしこんな仕掛けを見せたいのならば、もっと早く別のチャンスに見せられたはずだ。例えば、毎週土曜日にいっしょに遊ぶ時とか。

 でもまあ、これはお姉さんにとっては大事な道具のはずだ、ぼくらにそう簡単に見せちゃいけない物かもしれない。

 それを見せてくれたって事は、新太郎君にとってもういいって言うほどかんたんな問題じゃないのかもしれない。


「まあそれはなんだ、オレらを信用してるって事でいいんだよな」

「その通りだ!」


 友だちって言うのは、何でもかんでも話したいことをはっきり言える物。幼稚園の時に、そんな話を先生がしていた気がする。

 はっきりと覚えてないけれど、確かにそんなきおくがある。ひまわり組の時だっけ、うさぎ組の時だっけ、くま組の時だっけ……。


 うーん、思い出せない。まあいいか。








 それで放課後。クッキーからえんぴつを返してもらった新太郎君の顔は、朝よりさらにおもたくなっていた。


「どうしたんだよ、何かまずいもんでも食ったような顔してさ、今日の給食のパンそんなにまずかったのか」

「いや……」

「どうしたって言うの、何かあるんなら早く言いなさいよ」


 俊恵ちゃんが新太郎君にせまると、新太郎君はこれまでいっぺんも見せた事のないような顔でぼくらをにらんだ。そして右手を大きく自分の顔に向かってふりながら、こちらへ来いとぼくらをさそって行く。

 大きなリアクションだったけど、それが本気っぷりを見せつけている感じでぼくらは新太郎君にしたがって歩いた。そして他の子たちがいない路地うらに連れ込まれたぼくたちに向かって、新太郎君は大きく口を開いた。


「何だよさんざんもったいぶって、言いたい事があるんなら早く言えよ」

「でははっきりと言おう。ボクが、浅野三郎さんを作ったんだ」

 まさかぁ。本当なら、そう言うべきだったのかもしれない。でも、なぜかそんな気になれない。


 なんとなく、もしかしたらと言う気がしていたから。


「……お前、クローンとかでもできるのか」

「そんな事はしない、ボクの力でだけだ」

「まさかマジックでとか言わないよな!」

「言ったらどうする?ああさっきのはまちがいなく姉のマジック用具だが」

「作ったってんならくわしく説明できるんでしょうね!説明しなさいよ!」


「年齢は言うまでもなく40歳、職業は漫画家。大学2年生の時に雑誌に寄稿してデビュー、しばらくはその雑誌でホラー漫画を描いていたけど4年前その雑誌は廃刊している。

 それから現在では月刊ワイズコミックスでのホラー漫画の連載、週刊金融とボクの父が勤めている会社の社内誌の4コマ漫画。それから地方紙でイラストを描いていて、あとインターネットでもツイッターで4コマ漫画をアップロードしている、ちなみにペンネームはスリーと言う。「そんな問題が解けなく」てとか「減る女」とか、インターネットで検索すれば出るはずだ。また残念だけど、結婚はしていない。漫画ひとすじで過ごし、20代後半で出会った3つ下の女性とも半年で別れている」




 いっぺんしか会った事がないはずなのに、あまりにもくわしすぎる。そのおかげで、新太郎君が浅野三郎という人を自分の手で作り上げたってことがよーくわかる。


 そうでもなければこんなに立て板に水って調子でしゃべる事なんかできない。立て板に水って言葉も新太郎君が教えてくれたんだけど、この時急に思い出した。


「そんな事言っても、それインターネットで調べれば……」

「好きな食べ物はオクラと豚ひき肉、嫌いな食べ物はチーズ。ああ牛乳はよく飲む、趣味は実益を兼ねての古い漫画漁りあさり。自分ではお腹の肉が出て来たって言ってるけど身長170センチ体重55キロとむしろやせ型。言っておくけど血液型はAB型、そしてそれこそボクが三郎さんを作った最高の証明だ。治郎さんの両親はどっちもA型だからね」


「………………」

「………………」

「………………」


 血液型ってのがどういう意味なのか、ぼくにはわからない。わかるのは、新太郎君が俊恵ちゃんたちのしつもんを全部シャットアウトしちゃったって事だけだ。

 ああちなみにぼくはO型だ。どういう意味なのかわかんないけど、覚えておけって言われている。健康しんだんとかでも、いつも書いてある。


「………………どんな方法?」

「それはさすがに言えない」

「………………それってマジックって言うか魔法だよ」

「まあ、その通りだ」




 ホンモノが今、目の前にいる。アニメやゲーム、絵本で見たような魔法使いが、今ぼくの前にいる。もし新太郎君がそういうお話にいたら、シンデレラにかぼちゃの馬車をあげたり人魚姫に足をあげたりするんだろう。ぼくは、もうそういう事を考えるのでいっぱいいっぱいだった。


 どんな魔法を使えばそんな事ができるのか、どんな風にすればそんな魔法が見に付くのか、それをなぜぼくらに言ったのか、そして何よりなぜこんな事をしたのか。いくらでも聞きたい事はあるけどひとつも口にできない。




「ったくよ、オレらは今むちゃくちゃな事を聞かされてるはずなのにまるでうたがう事ができねえ。これも魔法なのかね」

「まあ、そうなるな」

「これはぼくらだけの秘密?」

「うむ、そういう事だ!」


 いつもの新太郎君の口調だけど、ふしぎな事にいつもよりずっと重い。

 ぼくら5人だけの、お父さんやお母さんにもぜったいにしゃべっちゃいけない秘密。そんな物が、とつぜん飛んで来た。飛んで来たってのは変かもしれないけど、本当にそんな感じ。

 あまりにもとつぜんすぎて、よける事なんかできなかった。そして体の中に入って来て、ペッとはきだす事もできない。もしかして、おしっこやうんこをしたら出て行くのだろうか。

 そんな話じゃないと思うけど、とにかく出したくてしかたがなかった。


「どうしてだよ…………」

「それは、君たちが親友だからだ、それだけだ!」

「そんな話をしてるんじゃなくて!」

「そうでもなければこんな秘密を話すはずもない!」

「………………」


 親友ってのは、ものすごく仲のいい友だちって事だよね。

 でもぼくはそこまで新太郎君の事をなかがいい友だちって思ってたんだろうか?


 大木君も、俊恵ちゃんも、クッキーも、そして新太郎君も同じぐらいなかのいい友だち。まあ4人とも親友だって言うんならそれでいいけど、いきなり親友だしとかと言われても何も言えない。


「………………お前さ、お前ひとりでんな事やったのかよ!」

「まあ、そうなるな。もっとも、まだボク1人ではカンペキなそれはできなかったけれど」

「何それ、他に誰かこんな事を手助けしたって言うの?って言うかまだって事はその内できるようになるって事?」

「ああそうだ」


 ぼくだって、勝手にニセモノを作るってのがどんなにいけない事かはわかる。


 テレビでニセモノのお札を作って捕まったってニュース番組が流れた時、お父さんは勝手にニセモノのお金を作ったらホンモノのお金を誰も信じなくなるって言った。100円玉を100円と決めたのは日本の政府であり、その信用がなくなっちゃったらこの国はおしまいだって、ああこわかったなあ。

 父さんったら母さんからさすがに言いすぎだっておこられてたけど、勝手にニセモノを作るってのがいかにとんでもない事か、わかった気はした。


「って誰だよ手助けしたのって」

「父と兄は関係ない、つまりそういう事だ」

「じゃあ母ちゃんはあるのかよ!」

「まあ、そうなる。だが言っておくが姉とは関係ない!」


 新太郎君のお母さん、本当にお母さんよりひとつ上なのってぐらい若いあの人。美魔女とかって言葉を聞いた事があるけど、もしかして本当に新太郎君のお母さんは魔女なんじゃないんだろうか。

 だとすればそんなお母さんの子どもである新太郎君が魔法を使えるのももっともかもしれない。


「ウソつけよ!お前の姉ちゃんはマジシャンなんだろ、そんなら」

「あれにはタネも仕掛けもある、マジックと魔法はまるで別物だ。もし姉が本当に魔法を使えるのであれば、今頃マジシャンなどと言うその事が露見する機会が増えるような仕事などはしない」

「まったく、いちいちへりくつを言うんだから!」

「屁理屈?どの辺りが?」

「カエルの子はカエルって言うだろ、お前の母ちゃんがすげえ魔法使いなのにお前だけがそんなな訳ねえだろ!オヤジ……さんはともかくとして、アニキやアネキにどうして伝わらなかったんだよ!」

「遺伝はそんな単純な物じゃない、優性遺伝子と劣性遺伝子という物がある。ボクにしかお母さんの血が出なかった、というより母子続けて出た事が一種の奇跡なんだ」

「ああもう、ラチがあかないわ!こうなったらじかに聞きに行きましょう!」


 俊恵ちゃんはすっかりあつくなってしまい、新太郎君の手をにぎりながら家へと引きずろうとしている。ぼくがちょっと待っていったん家に帰ってからと言ってもまったく聞いていない。たしかにおどろかされっぱなしだけど、そこまでなるものなんだろうか。


 そしてこの間、クッキーは何も言わなかった。あまりにもいろんな事が起きすぎてなにがなんだかわからなくなってるのかもしれない。


 って言うか、それが一番ふつうの反応の気がする。でもいきなり、お父さんを2人にしたのは自分の親友の1人だなんて言われたらぼくだってこんな風に何も言えなくなるかもしれない。


 って言うか、この状況であそこまで言える俊恵ちゃんと俊恵ちゃんに負けないぐらいしゃべれている大木君はけっこうすごいのかもしれない。







「おじゃまします!」


 しかたがなく俊恵ちゃんをいったん家に帰らせランドセルを家におかせてから、ぼくたち4人は新太郎君の家に向かった。俊恵ちゃんが大声を上げながらチャイムをならす。大木君はそれを止めないし、ぼくも止めない。クッキーも、ただ見ているだけ。


 何十回も見ているし、何回も入った事がある新太郎君の家。見た目はぼくや俊恵ちゃん、クッキーの家とそんなに変わらないはずだ。

 でも、いつもよりげんかんが大きく、重たく見える。クッキーやぼくの家とあまり変わらないはずなのに、家にいる人ってのは家を変えちゃうのかなあ。

 そう言えば大木君の住んでるマンションのドアはどこかしっかりしててセキュリティが強そうに見える。大木君のお父さんが若くて筋肉質な人のおかげだろうか。ぼくの家ってはどういう風に見えるんだろうか、なんとなくいいことが起こりそうに見えているといいなと思うけど。


「はーい、あら俊恵ちゃんたち」

「新太郎君のお母さんですね、今日は聞きたい事があって来たんです!」

「それなら上がっていいわよ、ああ新太郎なら部屋で塾の宿題してるから」

「本当にですか?」

「もちろんよ」


 相変わらずの若い顔に、若い声。それでいて決して派手なかっこうをしているわけじゃなく、いかにもお母さんって感じのかっこう。

 この真っ白なエプロンはどこで買って来たんだろう、あるいはどうやって作ったんだろう。


「何かずいぶんと深刻そうな顔して、何かあったの?新太郎とケンカでもした訳?じゃあ新太郎には悪いけどちょっと宿題を中断して」

「いいえちがいますから、お母さんに聞きたい事があって」

「あら私に?女同士、なんか話したい事でもあるの?」

「そうじゃなくて、新太郎君から聞いてるんです」

「あらまあ、あの子ったら何か言ったの?俊恵ちゃんに失礼なことでも」

「そうです!」

「大丈夫よ、口数が多くなるのは心配してる証なんだから。あなたもうちの新太郎の事ずいぶんと心配してくれてるのね、ああそれからお兄さんの事も。そういう気配りがうまい子はきっとモテるわよ」


 なんだろう、まるで俊恵ちゃんのパンチをかわしているみたいだ。俊恵ちゃんにしてみれば必死なのに、新太郎君のお母さんはまったく平気そう。大人と子どものちがいってこう言う所なのかな、あるいはやっぱり新太郎君のお母さんは新太郎君の言う通り魔女なんだろうか、そのおかげなんだろうか。


「まあまあ、新太郎のお友だちならどうぞ上がりなさい。お茶とお菓子でもあげるから」

「いいです!」

「あらそう、嬉しいわ。存分に食べてちょうだいね」

「ハハハハ」

「何がおかしいの!」


 大木君がわらっちゃったのは、ぼくと同じ事を考えていたからかもしれない。

 俊恵ちゃんがどんなに必死になっても、まったくかなわない存在がいる。あまりにも必死すぎる俊恵ちゃんが、ぼくにもなんかおかしく見えて来てしまった。


「でもさ、いいですって言葉はYESの意味でも使うもんな。NOならばお断りしますとか言えばよかったのによ」

「うるさい!」

「お前が一番うるさいな」


 ぼくやクッキーの家にあるのとそんなに変わらない、イスとテーブル。それでもやけにきれいにかがやいてるせいか、やっぱりどこか別物に見えて来る。

 どこで買ったんですかと聞いても、たぶんぼくんちのと同じホームセンターとしか言わないんだろう。それにしても広い家だ、あるいは物が少ないからなのかなあ。


「はい、どうぞ食べてちょうだいね、ああ遠慮してもいいのよ」

「いただきます」

「いただきますじゃないでしょ!クッキー、あんた何しに来たの!」

「えーと……」


 大木君が何も言わずにあられを食べている中、俊恵ちゃんは大木君と同じようにあられを食べようとしているクッキーの手をはたいた。ぼくも手を伸ばそうと思ったけど、あまりにも俊恵ちゃんがこわいもんだから動けなくなっちゃった。


「どうしたの、そんなにカッカしちゃって」

「聞きたいんです!どうして新太郎君はクッキーのお父さんを2人にするようなマネをしたんですか!」

「へえ、そうだったの」

「私は本気で言ってるんです!」

「あらそうなの大変ね、クッキー君のお母さんも。そうよ、新太郎がやった事よ」

「よくそんな顔できますね!」

「おいバカ、はらしんのおふくろさんに何をするんだよ!」

「止めないで!」


 俊恵ちゃんはイスをたおしながら立ち上がり、右手をぐっと伸ばして真っ赤な顔で新太郎君のお母さんのほっぺをつかんで引っ張った。

 面の皮が厚いって言うのがはじを知らないって言う悪口だって教えてくれたのは新太郎君だ、その悪口を今試すかのように俊恵ちゃんは新太郎君のお母さんの顔をひっぱろうとしているんだろうか。


「あらまあ大変ねえ」

「お母さんから何か注意する事はないんですか、勝手にこんな事してとか!ちょっと、ヨッシーも大木君なんか言いなさいよ!」

「だったらボリュームを落とせよ……」


 俊恵ちゃんは女の子だから当たり前だけど、ぼくら5人の中で一番声が高い。それで今はこうふんして声が大きくなっているから、よけいにひびく。すぐとなりにいる大木君なんかぼく以上に頭にひびいているんだろう、たいへんだなあ。


「クッキー、何か言いなさいよ!」

「お母さんは毎日大変なんです、僕と2人のお父さんのめんどうを見るのに……」

「あら、私なんか毎日お父さんと3人の子供、合わせて4人の面倒を見てるのよ?」

「そういう問題ですか!」

「2人のお父さんの、ダメなとこばかりクッキーのお母さんは見せられてるんですよ!」

「そうです、2人の収入には3倍ぐらいの差があって……」


 浅野治郎さんは夜遅くまで仕事でお母さんは置き去り、浅野三郎さんは家の中に引きこもりでたぶん収入も少ない。

 治郎さんと三郎さん、それぞれのカッコ悪い所ばかり見ている訳だ。治郎さんが外でがんばって働いてお金をかせいでいるのも、三郎さんが家の中でクッキーとなかよくしてくれているのも本当なんだろうけど、お母さんには2人分のめんどうを見させられている方がつらいんだろう。


「私も主婦だからね、わかるの」

「本当にわかってるんですか!そんな家庭、私だったら耐えられなくて逃げ出しますよ!」

「そのためにやってるんだけど」

「へぇ!?」

「泰子さんとは新太郎が小学校に入った時から何回か会ってるけど、ずいぶんと結婚生活に疲れちゃってた感じで。旦那さんにかなりうんざりって、まああなたたちにもそういう事を言ってたぐらいだからよっぽど参ってたみたいでね、それでいっそ背中を押してあげればって思ってね」

「…………じゃ、おふくろさんが」

「そう、新太郎に勧めたの、やってみなさいって。でもあの子もまだ半人前よね、存在は完ぺきに作れたけどあなたたちにこんなに早く疑問を抱かせちゃうなんて、まあ今の時点では上出来ってとこだけど」




 まるで、何か別の世界の話をしているみたいだ。俊恵ちゃんに引きずられてクッキーがようやく自分の家のありさまを話したけれど、それでもまったく何がわるいのかわかってないような、ぼくらよりずっと物事を知らないようなかんじのアクセント。

 由美子さんは自分の事を39歳って言ってるけれど、まず見た目からして信じられなかったし、そしてこの反応を見たらもっと信じられなくなった。


「お仕事も私があっせんしてあげたの、そうすれば1人でも何とかなるでしょ」

「………………」


 別れさせるためにそこまでするだなんて、もう何が何だかわからない。そしてぼくは新太郎君のお母さんの言葉で改めて、あの日見かけたのがクッキーのお母さんである事をはっきりとみとめるしかなくなった。


「ああ大木君、欲しければ本を何冊かあげるけど」

「何だよ、魔法の本か何かか!?」

「ううん、ただの絵本よ。私なんか3人も子どもがいるから、10年以上前に買ったのをなかなか捨てられなくてね。大木君の弟って5歳なんでしょ、まだ読めるだろうし」


 ぼくらが新太郎君のお母さんの言葉におされてぼうぜんとしている間に、3冊の本がテーブルにおかれた。

「ちからたろう」「したきりすずめ」「しおふきうす」と、ちょっとめずらしいかもしれない昔話の絵本。

 それでもなんとなく、ああそういう話がのってる絵本もあるんだろうなって納得しちゃうのは、新太郎君のせいだろうか。お母さんのせいだろうか。


「由美子さん」

「どうしたの」

「失礼しました、帰ります」

「おいしゅん帰るのかよ」

「大木君、本は」

「もらいます、見た事もない話なんでオレもちっと読んでみたいなーって」


 そしてあそこまであつくなっていたはずの俊恵ちゃんが、急におとなしい顔になりながら頭を下げたのはなぜだろう。

 大木君も素直に新太郎君のお母さんこと由美子さんの言葉をすんなり聞き入れて3冊の絵本を受け取り、あられをもう1つ口に入れながら家を出て行く。ぼくとクッキーも大木君に続き、俊恵ちゃんも続いた。




「俊恵ちゃん」

「何か、納得しちゃったよ、何もかも」

「だな」


 俊恵ちゃんと大木君がまるでじゅぎょう中のような顔をしているもんだから、ぼくは何も言えなくなった。


 クッキーもまた、何事もなかったかのように平然としている。そうだね、クッキーでさえこんな表情をしてるってのはたいした事じゃないんだろうな。よし帰ろうか。

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