トモちゃんの世界の本

尾八原ジュージ

トモちゃんの世界の本

 トモちゃんは美人で明るくて何でもできて、わたしから見れば完璧な女の子で、そしてこっそり小説を書いていた。


 いつもニコニコしていて、悩み事なんかひとつもなさそうなトモちゃんが、休み時間に時々真剣な顔をしてスマホをいじっている。それがどうやら小説を書いているらしい……と気づいたわたしは、彼女にこっそり「実はわたしも書いてるの」とささやいた。

 トモちゃんはちょっと驚いた顔をした後、ニヤッと笑った。

「じゃあ、しおりの小説読ませて」

「いいよ。じゃあトモちゃんのも読ませて」

 彼女はちょっと「うーん」と唸って、それから「うん、いいよ」と答えた。

 どこにも公開せず、スマホの未読メールボックスに溜めていたのを、トモちゃんはわたしに送ってくれた。彼女のことだからきっとキラキラした青春ものかな……なんて思っていたわたしは、トモちゃんの小説があまりに暗くて痛々しいのでびっくりしてしまった。

 主人公の女の子は、家ではまるで空気みたいに無視されていて、お父さんもお母さんも妹ばっかり可愛がっている。テストでいい成績をとっても、部活で表彰台に立っても、誰も褒めてくれない。

 女の子は悲しくなって、小説の中で小説を書き始めた。美人で明るくて何でもできちゃう女の子が毎日楽しく過ごす話。家に帰ると優しいパパとママと可愛い妹がいて、みんなに囲まれて幸せに暮らす物語。

 その対比があまりに辛くて、何て感想を言えばいいのかわからなくなって、わたしは「面白かったよ」なんて、簡単すぎてバカみたいなことを言うしかなかった。

 トモちゃんは怒ったりしなかった。

「もしもこの世界が、誰かが書いてる小説の中の世界だったらさ」とトモちゃんは言った。「最後はどうなっちゃうと思う? 作者が『やーめた』って言って放り出したら、世界が終わっちゃうんじゃないかな」

「えっ、終わっちゃったらどうなるんだろ?」

「わかんない。なんか、閉じた後の本みたいになるんじゃない」

 何それ、どうなっちゃうの? 真っ暗になるの? 誰からも見られなくなっちゃう? その答えはトモちゃんにもなんだかうまく言えないらしく、八重歯をチラ見せしながら「へへへ」と笑っただけだった。

 わたしが読むようになってから、トモちゃんの小説には「栞」という女の子が出てくるようになった。彼女は主人公が書いている小説の中の登場人物で、この世界が小説の中のものだということに、ひとりだけ気付いている。

(ずっと書いてなきゃ駄目だよ。でないとわたしたち、消えてなくなっちゃうから)

「栞」は主人公に向かって、小説の中から何度もそう語りかけてくる。その言葉はなぜかわたしを不安定な気持ちにさせた。

「今回どうだった? 私の小説」

 トモちゃんに聞かれて、わたしはとっさに「栞」の台詞を暗唱した。同じ言葉が何回も出てくるものだから、すっかり覚えてしまっていたのだ。

「ずっと書いてなきゃ駄目だよ。でないとわたしたち、消えてなくなっちゃうから」

 トモちゃんはびっくりしたように目を見開いて、わたしをじっと見つめて、それから唇をきゅーっと歪めたかと思ったら、楽しそうに笑い始めた。

(ねえトモちゃん、わたしたちちゃんと存在してるよね? この世界って、トモちゃんの小説の中の女の子が書いてる世界じゃないよね? トモちゃんが小説を書くのをやめたら、この世界は終わっちゃったりしないよね?)

 私は笑っているトモちゃんを見ながら、そんなこと言ったらもっともっと笑われるだろうな、と思った。まして「トモちゃんも本当は何か、悲しいこととかあるんじゃないの?」なんて、勇気がなくてとても聞けなかったのだ。


 高校一年の秋、トモちゃんに彼氏ができた。彼女の小説の主人公の女の子も、作品の中に「彼氏」を登場させた。

 高校二年の初夏、トモちゃんが足首をくじいて陸上部の大会に出られなくなった。彼女の小説の主人公も、小説の中で女の子に怪我をさせてしまった。

 夏、トモちゃんは彼氏と別れた。入れ替わるようにわたしに彼氏ができた。トモちゃんは小説の中で「栞」に彼氏を作ってくれた。

 そして高校二年の冬、トモちゃんの小説は突然終わった。


 小雪がちらつく日の夕暮れ、トモちゃんは自宅のベランダの手すりにロープの端っこを結び、もう片方の端っこを自分の首に巻いてベランダから飛び降りた。ぶらぶら揺れているのを、通りかかった近所の人が見つけたらしい。

 報せを聞いたみんなが驚いた。誰にも何も相談せず、遺書も残さないまま、美人で明るくて何でもできるトモちゃんは、こうして突然いなくなってしまった。

 トモちゃんの小説は終わった。読みかけの本を突然バタンと閉じたみたいに。傍から見れば、その本にはまだページが余っているように見えていたのに、もう先を読むことができなくなってしまった。


 トモちゃんが何も言わずにいなくなってから、もう何年も経った。世界は特に終わる気配もなく、当たり前のように続いている。

 せわしない日常の中で時々、わたしは「閉じた後の本みたいになった世界」のことを思い出す。そしてその中にいるはずの主人公の女の子と「栞」は今、何をしているんだろうかと考える。

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トモちゃんの世界の本 尾八原ジュージ @zi-yon

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