3話
彰が去って、まもなく榊と鈴が帰った。
残されたのは命と永久と氷雨。あかしやの従業員達が、顔を突き合わせて話し合う。真っ先に氷雨が頭を下げた。
「ごめんな。うちが来なかったら、こんな面倒なことにならなかったんや」
「遅かれ早かれ、いずれはこうなってたわよ。氷雨のせいじゃないわ」
「命さんは、あの人に逆らえないの?」
永久が不思議そうに問いかけるので、苦笑いを浮かべた。
「師匠だし、長年お世話になってる人だし、頭が上がらないのよね」
あかしやの収益の大きくは茶葉の通販だが、それも彰が仕事を分けてくれているだけだ。茶葉の仕入れも、売り上げも、彰がいなければあかしやはやっていけない。
「ただの昔馴染みだから仕事を貰ってるわけじゃないの。彰さんは私の実力を認めて、仕事を分けてくれるの。実力がない従業員を雇うようでは、仕事を任せられないと言われても仕方がないのよね」
命が悔しげに唇を噛み締めると、永久は不服そうに眉根を寄せた。
「命さんが僕を選んでくれたのに。あの人に認めてもらわないと、一緒に働けないなんて……なんか、嫌だ。こう……このあたりがぞわぞわする」
胸の辺りを押さえて、不愉快そうに顔を歪めた。永久がどういう感情を抱いてるのか、命にはわからない。
「とにかく。あと一週間で何とかしましょう。彰さんも『紅茶』に限定してくれるだけ、温情がある……と思う」
「紅茶だと、良いことあるん?」
「そうね……日本の緑茶は、そこまで高い値にはならない。どのお茶が高いのか、味だけで判断はできないわ。逆に中国茶はあまりにも高額すぎて、私も最高級のお茶は飲めないからわからないし」
「命さんでも、飲んだことがないの?」
永久が驚いたように目を瞬かせたので、命は説明する。
中国で最も貴重な茶樹から取れる大紅袍は、中国政府が管理するから一般人が入手できない。
その木を接ぎ木して栽培された大紅袍なら命も飲んだことはあるが、大紅袍は偽物も多い。見抜くのは難しい。
命は立ち上がってキッチンに向かい、『ダージリン』と書かれた茶缶を持ってきた。
「紅茶の世界では、ダージリンは高額になりやすい産地よ。毎年オークションで高値で取引されるわね」
「そういえば、めにゅーには何種類も書かれてるけど、だーじりんは他より高いね」
永久は改めてメニュー表を確認し、小さく首を傾げた。
「……だーじりんって何種類あるの? 値段が違うものが色々あるよ」
永久がメニューを指差す。書かれている値段は様々だ。
「ダージリンは春、夏、秋が収穫期で、三つの季節で味が違うわ。春のファーストフラッシュ、夏のセカンドフラッシュ、秋のオータムナル。一番高値が出やすいのが夏摘みのセカンドだけど、物によってはファーストが上をいく場合もあるわね」
永久がすぐにメモをとる。永久は命の話を聞くだけでなく、いつもこうしてメモを取って覚えようとしてくれる。それだけでも得難い才能だと思う。
飲み比べた時の舌の良さも、お茶をまったく知らなかった割には良い。
永久の努力と才能を彰さんにも認めてほしい。そう思ったら、命のやる気に火がついた。
「ダージリンの三つの季節のお茶を、徹底的に飲み比べて、違いを覚えてもらうわよ。それだけなら一週間でも何とかなると思うの。永久次第だけど」
「僕ができることは頑張るよ。命さんと一緒に仕事をしたいから」
「うちにできることってなさそうやね。せやけど永久が頑張るなら、うちも隣で応援するわぁ」
「ありがとう。気持ちだけでも嬉しいわ」
こうしてあかしや従業員による、話し合いは終わった。
あかしやの平日はいつも暇である。だから臨時休業の立て札をつけて、永久の勉強会を開くことにした。
「お茶の勉強はまず何より、飲み比べることよ。いろんなお茶をどんどん飲んでもらうわ」
「飲みきれない分は、うちがぜーんぶ飲んだるわぁ。まかしてくれてええよ」
「それ、ただ氷雨が飲みたいだけじゃないの?」
永久が呆れたように問いかけると、氷雨はニコニコ笑った。
「うん、うちも色んなお茶飲んで見たいわぁ」
「熱いお茶飲めないでしょ」
「冷めるの待てばええんよ。冷ますのもできるし」
氷雨が手をかざすと、飲み物の温度が急激に下がる。急ぎでアイスティーを作りたい時にとても便利だ。
氷雨と永久が話してる間に、命は三種のお茶を淹れて、カップに注いだ。
「最初はダージリンのファーストフラッシュ。春摘みね」
「ふぁーすと? ふらっしゅ?」
「日本語で言えば一番茶かしら」
「ああ、一番茶か。茶摘みの季節に、最初に摘むお茶は美味しいと聞くね」
「日本では一番茶が評価されやすいけど、ダージリンだとそうとは限らないのよ」
命がダージリンのファーストフラッシュを淹れて見せると、永久がカップの上から覗き込む。金色に輝く淡い色合いに、永久は目を丸くした。
「凄い色が薄い。紅茶じゃないみたい」
カップを持って湯気の香りを鼻で味わい、一口飲む。驚いたように目をぱちぱちさせた。
「色が薄いから、味が薄いのかと思ったら、しっかり渋いね。でも、渋み以外は味はあっさりかも。香りがすごく良い。草原に寝転んだような、爽やかで青い香り」
「一回でしっかり特徴がわかって、偉いわ」
「偉い? 僕偉い?」
尻尾をパタパタさせて喜ぶ永久の隣で、氷雨は残ったお茶を冷やして飲む。
「これ、冷たくするとスッキリした香りと渋みが美味しいわぁ。夏飲みたなる味やない?」
「そうなの。夏場はファーストフラッシュのアイスティーが飲みたくなるわ」
氷雨と命が話してる間に、永久は次のお茶を覗き込んだ。
「せかんど……二番茶だね。色はさっきよりは濃いかな? これも香りがとっても良いけど、ちょっと違う」
真剣な表情で香りを確認してから、一口飲む。永久は難しい顔をした。
「これも香りが良いけれど、さっきとはまた違う。青さより、甘さ? 香ばしさ? ううん……言葉にできないけど、とにかく香りが違う。これも渋さがあって、味はこっちの方が深い……濃いような?」
一生懸命味の説明をしようとして、言葉にできなくて悩んでるようだった。
「それだけ違いがわかれば十分よ。あとは何度も飲んで味を覚えていけばいいわ。最後はオータムナル、秋摘みよ」
茶碗の色は普段飲む紅茶より、少し淡いくらい。香りも際立って強いわけでもない。一口飲んで、永久はほっと表情を緩ませた。
「一番、普通の紅茶に近い気がする」
「そうね。秋が一番、ダージリンらしい個性が弱まるわ。その分、ダージリンが欲しい人からすると評価が下がって安くなる」
「そうなんだ。僕はほっとするから、これが一番好きだよ」
真剣に一口、一口味わってるせいか、三杯飲んだだけで、疲れた顔をしていた。
「お茶の合間にプリンを用意してあるわよ」
「わーい! 命さんのぷりん」
「命のプリン? うちの分もある?」
「だめだよ。これは全部僕の」
「ええやん。いっぱいあるんやし」
「喧嘩しないで。いっぱいあるから、分け合ってね」
どちらが多くプリンを食べるか決めようと、永久と氷雨はじゃんけんを始めた。
その微笑ましい様子を眺めつつ、命はポツリと呟く。
「一番高い茶か……」
彰が何を見極めようと、そんなお題を出したのかわからない。初心者に値付けをしろというのは無茶な話だ。
日本紅茶協会が主催するティーインストラクターの資格試験でも、ティスティングはあるが、個性の異なる各産地の味の違いをわかるようにするテストだ。値段で測るようなことはしない。
「ただの意地悪を、彰さんがするとは思えないのよね……」
命が悩む横顔を、永久がじっと見ていることに気づかなかった。
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