2話


 命の父と彰は、あやかしが見える力がきっかけで、知り合ったそうだ。

 彰がまだ高校生の頃、あやかしに絡まれて困っていたのを、命の父が見かけて助けた。

 命の父からあやかしとの付き合い方を教わるうちに、彰は命の父の会社でバイトをし始めて、葛城家に行くようになった。


「お父さんらしいな」


 命は嬉しそうに笑顔を浮かべる。なぜか永久も笑みを浮かべて頷いた。


「昔の命は、あやかしが見えなかっただろう。葛城さんも命にはそのままでいてほしいと言ってたよ。見えるようになると、ろくなことがないからな。それなのに……」

「彰さん。心配してくれてありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。みんな良い子達ばかりで、助かってますし」


 命は胸を張って永久、氷雨、鈴を順番に見る。ここには命の味方でいてくれるあやかししかいない。

 彰の機嫌を取るように、鈴は足元に擦り寄った。尻尾が二本ある以外、普通の黒猫にしか見えない。


「あたいは、人間の言葉を話せるのと、人間に化ける以外、何にもできないから、迷惑かけないよ」

「うちも、一生懸命皿洗いして、氷作って、お店の手伝いしてるんよ」

「氷……」


 彰が怪訝な顔をして、先ほどまで飲んでいた、アイスほうじ茶ラテを見る。


「まさか……店に出す氷をあやかしが作ってるのか?」

「美味しい氷ですよ。何も問題ないですし」

「それで済む問題か!」


 彰が怒鳴ると、榊は首をすくめて口を挟む。


「まあ、当然の反応だわな。だからあたしは、この店では温かいお茶しか飲まないんです」

「そうだったんですか? てっきり熱いお茶の方が好きなのかと」

「あたしだって、暑い夏は冷たいお茶が飲みたい日もあるよ」


 榊にじろりと睨まれて、命は素直に頭を下げた。


「すみません。今度から冷凍庫で作った氷でアイスティーをお出しします」

「まあねえ。気持ちの問題みたいなもんで、他の客は氷入りの茶を飲んで、おかしくなった人はいないねぇ」


 それは榊なりのフォローだったのだろう。彰の怒気が和らいだ気がした。ほっと命が息を吐いた所で、永久がえへんと胸を張る。


「そこの囲炉裏の火は、僕が出してるんだよ。僕の家だから、絶対に燃えないようにしないと」


 永久が人差し指をくるりと回すと、火は赤から青に変わった。永久としては役に立ってるとアピールしたいのだろうが、逆効果だった。


「僕の家? ……まさか、あやかしと一緒に住んでるのか」

「あたいは爺ちゃんちに住んでるよ」

「うちも通いだから関係あらへん」


 鈴と氷雨が慌てて弁解する中、永久は悪気のない顔で首を傾げる。


「何が悪いの? 最初から僕の家に、命さんが店を作る約束だったんだよ。『格安物件に、無料の従業員だなんて運がよかった』って命さんも喜んでくれて……」

「永久! それ以上言わないで!」


 一度和らいだはずの彰の顔が、般若みたいに怖くなって、永久に詰め寄る。


「命と一緒に住んでるんだな。変なことはしてないだろうな?」

「変なこと? よくわからないけど、僕は命さんの家族だから、命さんが喜ぶことしかしないよ」

「家族? もしかして恋人か?」


 彰が振り返ったので、命をぶんぶんと首を横に振った。


「恋人じゃありません!」

「そうだよ。僕は命さんのぺっとだよ」

「ペット?」


 彰の怒りが急速に萎んで、怪訝な顔で命を見た。誤魔化すように、あははと笑うしかない。

 永久は、なぜ彰が怒っているのか、まるでわかっていないのだろう。それでも怒られてる命を助けたかったのか、うんと悩んで、何かに気づいた顔をした。

 ぱんと手を叩くと、大型の狐姿に変身して彰を見上げる。

 彰はギョッとした顔で、思わず後ろに下がる。大きな口で噛みつかれたら死にそうだ。


「命さんは、この姿が好きって言ってくれるよ。もふもふで癒されるって。ぺっとってそういう物なんでしょう?」

「もふもふ……? 命。この姿が怖くないのか?」

「永久は私に怪我させないように、いつも気を使ってくれるので、全然怖くないです」

「そ、そうか……」


 彰が怒ってるような、困惑しているような、微妙な表情を浮かべた。そこで永久は問いかける。


「そもそも、なんで貴方は命さんに怒ってるの? 怒る資格があるの? 家族じゃないのに」


 狐の姿の永久では、表情は読み取りづらい。けれど声だけでわかる。

 責めてる訳ではない。純粋な問いかけだ。だからこそ、彰は怯んだ。


「資格って、俺は葛城さんが帰ってくるまで、代わりに命を守ると決めて……」

「じゃあなんで、命さんを一人にしたの? お父さんの話をしないの? 僕と出会った時、命さんは寂しい思いをしてたよ。貴方が本当に命さんを守ってたら、僕と一緒に住むことはなかったかもね」

「……」


 彰がいるのに、なぜ命は一人だったのか。それは彰にとって痛い事実だったのだろう。何も言えないまま口を閉じる。

 その場にいた誰もが口をつぐんで、店の中に沈黙が漂った。

 長い、長い、沈黙の後、彰は大きくため息をついた。


「わかった。あやかしと一緒に住んでることは、もう何も言わない。そもそも命も大人だし、誰と一緒に住むかなんて、俺が口出しできることじゃなかった」


 理解を示しているようで、命を突き放している言葉だ。

 彰に怒られるのは怖いが、命を心配してくれてるからだとわかっている。怒ることを辞めてしまうのは、まるで見捨てられたように寂しかった。

 命の口から、弱々しい言葉が漏れる。


「……彰さん」

「だが、しかし。俺は命の茶の師匠だ。その立場で言わせてもらう。あやかしに茶の店員ができるのか? 無料の従業員なんていって、命の足手まといになってないか?」

「え?」


 永久が何を言われてるのかわからず首を傾げると、榊がぼそりとつぶやいた。


「そう逃げたかぁ……狡い人だね」

「狡くて、けっこう」

「僕、ちゃんと店の手伝いをしてるよ。接客でしょ、掃除でしょ。料理も運ぶし……」

「茶を淹れるのか?」

「……それは、勉強中。お茶の数が、多すぎて……」


 永久の声に力がなくなり、情けないくらい狐耳が垂れる。彰は同情するように言った。


「まあ、確かに、茶の種類は多すぎるよな。うちの従業員でも、ここまで多くの茶の知識を全部理解して淹れられないだろう」

「そんなに?」


 永久の耳がぴんと立って、嬉しそうに尻尾がゆらゆら揺れる。永久の狐姿に慣れたのか、あるいはその愛らしさに絆されたのか、彰は追求を緩めて問いかける。


「お茶を淹れる技術も、知識も、勉強すれば後から身につけられる。だが味覚は別だ。最初から茶の味を感じられる素質がなければ、茶の店員は務まらない。あやかしに人間が感じる美味しさ・・・・がわかるのか?」

「わかるよ!」

「わかった。じゃあ、試験をする」

「試験?」


 永久はピンときてないようだ。命の方が驚いてしまう。


「彰さん。何をするつもりなの?」

「そうだな……」


 彰は腕を組んで考え込んだ。しばらくして、彰の口角が釣り上る。命は嫌な予感がした。これはかなりの無茶振りをされる前兆だ。


「来週。俺が三種類の紅茶を持ってくる。それを試飲して、どれが一番高い紅茶か答えてもらう。一週間の間に、命が教えるのは許可するが、当日はこの狐が自力で答えること」

「そんな無茶な!」


 命が悲鳴をあげると、彰は楽しげに笑った。


「無茶じゃない。店を開けて数ヶ月、ずっと命の茶を飲んでいたんだろう。素質があれば答えられるはずだ」

「わかった。僕、頑張る」


 永久はどれだけ難しいことを言われているのか、わかっていないのだろう。命は頭が痛くなってきて、思わず顔を手で押さえた。


「一週間後を楽しみにしている」


 そう言い残して彰は帰っていった。

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