師匠と一番高い紅茶

1話

 七月が終わっても、まだ暑い夏は続く。店に来る客はみんなアイスティーを頼み、氷の消費は激しい。

 つまり、氷雨は大忙しだった。


「なあ、うち、頑張ってるよなぁ? ご褒美欲しいわ」


 客が途切れた頃合いに、ぐったりした氷雨が椅子に座り込む。


「そうね。何か食べたいものはある?」

「冷たいものがええね。うちも涼みたいわ」

「冷たい物……アイスは前に作ったし。そうだ。かき氷はどう?」

「かき氷? うち、見たことあるんよ。うちの人が食べてたわぁ。でもうちは食べたことあらへん。食べて、ええの?」


 元気がなかったのが嘘のように、ぴょんと飛び上がる。永久もかき氷が気になるようで、頭から狐の耳が生えた。


「僕も、食べたい!」

「じゃあ、氷雨に手伝ってもらいましょう」


 命がシロップを用意する間に、氷雨に細かい氷を作ってもらう。ふわふわの氷は見た目にも涼しい。

 氷を器によそって、梅シロップと練乳をかける。自分の分もと三人分作った。


「はい、どうぞ」

「「いただきまーす」」


 永久と氷雨は並んでかき氷を食べ始めた。命も一口食べると、ふわふわの氷がスッと口の中で溶ける。梅の甘酸っぱさと、練乳の濃厚な甘さがたまらない。


「美味しいわぁ」

「美味しいね」

「この氷、うちが作ったんやからね」

「僕もお湯を沸かすよ」


 永久が胸を張ると、囲炉裏の火が少し大きくなった。変なところで張り合う二人を見て、命は思わず笑みをこぼす。


 そこで店の扉がノックされた。榊の声が聞こえてくる。


「邪魔するよ。鈴も一緒だから入れてくれ」

「はい。どうぞ!」


 榊だけなら問題ないが、あやかしの鈴は許可なく入れない。

 幼女の姿をとった鈴と、榊は店の中に入ってきた。二人とも涼しげな浴衣姿だ。永久と氷雨がかき氷を食べているのを見て、榊が笑みを浮かべる。


「かき氷かい。そりゃぁいいね。あたしもひとつ……」

「うちの作った氷やから、美味しいんよ」

「……雪女が作った氷ですか。なら、いらん」

「酷いわぁ。ちゃんと美味しい氷なんよ」


 氷雨の文句を無視して席に着くと、暑い中でも榊は熱いほうじ茶を頼んだ。鈴はいつも通りに鮭握り。

 氷雨はかき氷をペロリと平らげて背伸びした。


「命……。少し休んでもええ? 氷まだあるし、かき氷食べる客もおらへんし」


 氷雨はちらりと榊を見ながら笑みを浮かべた。いらないと言われたのを、まだ根に持ってるようだった。


「いいわよ。私の部屋で休んでたら。昼寝したかったら布団出してもいいし」

「ありがと。ちょっと横になるわ。そんなに長居せえへんけど」


 氷雨が母家に向かうと、二人分の器を持って永久が厨房にやってくる。


「氷雨が帰ってくるまでの間、僕が皿洗いするよ」

「ありがとう」

「美味しいかき氷が食べられたのは、氷雨のおかげだからね」


 よっぽどかき氷が美味しかったのか、永久は機嫌良く皿洗いを続けた。



 いつも通りの平和なあかしや。……の、はずだった。

 しばらくして、がらりと引き戸が開く音がする。平日のあかしやに珍しい来客だ。命が入り口に向かうと、入ってきたのは彰だった。


「彰さん! どうしたんですか? 何か約束ありましたっけ?」

「いや。時間がやっととれたから寄った」

「寄ったって……車でも片道二時間くらいかかりますよね?」

「気になってたから……」


 そう言いながら店内を見回し、鈴を見つけて止まった。今の鈴は普通の女の子にしか見えないはずだ。

 榊はニヤリと笑ってこたえる。


「うちの子に用かい?」

「失礼しました」


 客の子供をジロジロ見るのはまずいと思ったのか、目を逸らしてカウンター席に座った。手持ち無沙汰という感じでメニューを開いて、固まる。


「多いとは聞いていたが……茶の種類が多すぎだろう。これじゃ客が困るんじゃないか?」

「初めてのお客様はだいたい困りますね。だから「おまかせ」で私が選びますが」

「……紅茶だけでも大変なのに、日本茶までこんなにあつかって。手を広げすぎだろう」

「初めは紅茶だけに絞ろうと思ったんですけど……好きなお茶が多すぎて、まいっかって、全部入れちゃいました。えへへ」


 命の呑気な性格に慣れているのかもしれない。諦めたような表情で命を見た。


「でも、まあ。たまには誰かに淹れてもらう茶もいいかもしれないな。『おすすめ』で何かひとつ淹れてくれ」

「あ、彰さんにおすすめって……うわぁ、迷うな。どうしよう」


 彰の好みは知り尽くしているが、自分より遥かに実力が上の相手でもある。命は緊張しながら茶葉を選ぶ。

 今日はとても暑くだいぶ汗をかいている。仕事柄常にカフェインを取りすぎで、忙しい中無理して来てくれた。……たぶん。

 そうして命が出したお茶はアイスほうじ茶ラテだった。


「カフェインが少なくて、胃に優しいミルクが入ってる方がいいかと思って……どう、ですか?」


 おそるおそるという感じで命が差し出すと、彰は受け取って一口飲んだ。彰の表情が柔らかくなる。


「うん。美味い。自分のために選んでくれたお茶っていうのは、案外いい物だな」

「喜んでもらえてよかった。うちは土日以外は客も少ないし、お一人お一人をおもてなしできたらいいなって思います」

「儲けを考えなくていいなら、こういう店もいいかもしれない」


 空気が和みかけた所で、命の後ろから足音が聞こえた。


「命。ありがと。休んだら楽になったわぁ」


 氷雨が声をかけてきたが、彰の前だから何も気づかなかったふりをする。

 命は変わらないのに、なぜか彰が勢いよく立ち上がった。椅子が倒れて大きな音が立ち、鈴が驚いて声を上げた。


「わぁ! どうしたの? ……あっ」


 思わず人間の言葉をしゃべってしまった鈴の姿が、人間から黒猫になる。彰が振り向いて鈴を見た。驚きで口を開け、ため息をつく。


「やっぱりあやかしか。だとすると……そこの従業員もあやかしだな」


 彰の視線は、永久に向いていた。今の永久は黒髪黒目で狐の耳も尻尾もない。ただの人間に見えるはずだ。それでも彰は確信を持って睨んだ。

 永久は命と彰を両方を見比べて、観念したようにカウンターの外に出た。

 ぱんと手を叩くと、永久の姿はきらきら光る泡に包まれ、白銀の髪に狐耳が生え、着物の裾から狐の尻尾が現れる。金色の瞳で彰を見つめた。


「僕はあやかしだよ」

「初めて見た時から、普通の人間とは違う気がしてたんだ」

「……彰さん、あやかしが見える人なんですか?」

「そうだ。って……あ!」


 そこで初めて気付いたように、榊の方を振り返る。榊はニヤリと笑って答えた。


「あたしも見える人間ですよ。ここにはそういう人間しかいないみたいだねぇ」


 命が驚いている間に、彰は回り込んでカウンターの中までやってきた。命の両肩に手を置いてまっすぐにみる。逃げ場がない。


「……それよりも、命はいつから見えるようになったんだ。前は見えなかっただろう」

「えっと……この家に住むようになってから、かな……」


 永久と契約したとか、恐ろしくて言えない。考えなしだと絶対怒られる。

 

「……そういうことか。奥多摩の古民家がタダで買えるとは聞いたが、まさか曰く付きの家……とはな。なんで黙ってた?」


 背筋が凍るような声だった。怒鳴られない分、余計に怖い。


「あ、彰さんが、あやかしが見える人だって知らなかったし」


 震え声で答えると、彰の怒気が和らいだ。肩から手を離す。


「俺も、命が見えない人間だったから言わなかった。子供の頃からあやかしが目の前を横切っても全然気づかなかっただろう」

「え? そうなの? 私もお父さんみたいに見えるようになりたいなって、探したのに」


 本気で驚いて見せると、彰ははーっとため息をついた。


「……やっぱり血は争えないか」


 それが父のことだと命にはすぐわかった。命の父もあやかしが見える人だった。

 懐かしい目をして、彰は命の父との出会いについて語り始めた。

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